幕末の時代、当時徳川宗家と親しい間柄であった高松藩では、幕府存続派と朝廷帰順派に分かれて議論が行われていました。ですが、成田頼母率いる幕府存続派の圧倒的な勢力によって、藩のあり方もそちらに傾いている様子。そこで、朝廷派の小泉主膳とその有志達は、ある晩頼母の首を打ち取ることを決意します。その中にいた天野新一郎という男は、成田家と親しい間柄にあり、頼母の長男、万之助は彼を慕っており、娘のお八重とは結納が取り交わされていました。彼もその事に関しては辛いものを感じてはいますが、同時に大義の前では仕方がない事だとも考えていました。やがて、彼らは見事成田頼母の首を打ち取る事に成功します。ですが、この出来事が後の新一郎を一生苦しめる事となってしまうのです。
この作品では、〈夢を追い求めるあまり、かえって自らの倫理によって身を滅ぼしてしまった、ある男〉が描かれています。
まず、上記の一般性をより理解する為に、その後の物語を新一郎の心情を中心にして追っていきましょう。
その後彼は頼母を殺した事に耐えかねて、成田家からやがて足を遠ざけてしまいます。ですが、これは何も殺人そのものに罪悪を感じているわけではありません。むしろ頼母を殺した事は大義、つまり自分の夢を実現するにあたって致し方ない事だったと考えています。では新一郎は一体何に耐え切れなくなり、成田家を離れていったのでしょうか。それは、頼母の息子娘である、万之助、お八重の彼に対する扱いに他なりません。というのも、新一郎の倫理で考えれば、自身の夢の為致し方ないとは言え、自分は彼らの父を殺した身であり、彼らに憎まれる事は仕方のない事だと考えていました。ですが、その一方で弟は父を殺した相手を憎みながらも彼を慕っていますし、姉は彼を愛してすらいるのです。こうした扱いからくる矛盾が彼を苦しめる為に、新一郎は姉弟のもとを離れなければならなかったのです。
しかし、そんな彼の思いなどいざ知らず、姉弟は彼がその身を置いている東京へと向かい、やがて彼の厄介になります。そして、彼らは単に新一郎をたよって上京してきた訳ではありません。姉のお八重は彼恋しさに、弟の万之助に至ってはなんと父の仇を打つために彼のもとを訪れたというではありませんか。ですが、「新日本の民法刑法などの改革に、一働きしたい野心もあった。」という一文からも理解できるように、彼にはまだ夢があります。そこで彼は自身の倫理観からくる苦しさに耐えながらも、どうにか弟の復讐心だけでも改心させることで、少しでもその苦しさから逃れようと考えます。当初彼は仇討禁止令が出れば、万之助も復讐を諦めるだろうと考えていた節があります。ですが彼の決意は固く、仇討が禁止されて自分の命と引き替えになってでも、敵を打つことを新一郎に伝えます。そして、この決意が彼の心を更に苦しめ、やがて不治の病へと追いやってしまいます。そして、彼は自分の命を限界を知り、これ以上は夢を追えないことを理解すると、自害してはじめて自分の倫理に従い、遺書に全てを書き記したのでした。
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