日本がまだ鎖国政策をとっている時代、武士である吉田寅次郎と金子重輔は、どうにかしてアメリカ船に乗り込もうと苦心していました。彼らの目的は、そうしてアメリカに渡る事でその技術を学び、日本からアメリカ人を追い払うことにあるのです。そして数々の苦難の末、彼らは漸くアメリカ船、ポウワタン船へ入船するこに成功します。
一方、そのポウワタン船では、この日本人二人をめぐって激しい議論が展開されていました。というのも、彼らのアメリカに対する熱意に感心した副艦長、ゲビスは是非とも彼らをアメリカに招くべきだと主張する一方、提督であるペリーをはじめとするその他の人々はこの意見に反対していたのです。しかしそれでもゲビスは諦めず、彼らはここで自分たちが断れば、日本の厳しい法律によって死ぬことになる事を覚悟して乗り込んでいるのだが、それでも何か感じるところはないのかとペリーらに問いかけます。そしてこの彼の熱弁は、次第に周りの人々の心を動かしはじめます。ですが、船医であるワトソンの次の一言がその流れを変えました。彼は日本人の一人が皮膚病を患っている事を思い出し、その病気が未知数のものである以上、医師として乗船は許可できないと言いました。これには流石のゲビスも言葉を失い、アメリカ人達は日本人達を下船させることにしました。
ですが、実際にその日本人達の処刑の一端を見たアメリカ人達は、改めて彼らに関して検討し、提督であるペリーはその時の自分の判断を反省して、彼らを全力をもって助けると意気込み出します。一方、船医であるワトソンだけは悄然として、船の文庫へと歩いて行きました。
この作品では、〈感情を優先できないことに苦しさを感じながらも、結局は立場によってそれを抑えなければならなかった、ある船医〉が描かれています。
では、この作品のテーマにもなっている船医ワトソンの心情をより深く理解する為に、もう一度二人の日本人に関するアメリカ人達の議論を振り返ってみましょう。まず、副艦長のゲビスは二人の日本人達の熱誠に心打たれ、アメリカへと連れて帰るべきだと主張していました。言わば彼は自身の感情にそのまま従ったことになります。そして、このゲビスが感じていた日本人に対する思いというものは、他の人々も大なり小なり持っていました。しかし、ペリー提督をはじめとするゲビス以外の人々は、日本人達を受け入れる事は日本政府を刺激する事でもあり、日本に開国を求める自分たちの立場としては、それは避けるべきだと述べています。つまりこのアメリカ人達の議論では、彼らの感情を優先する心と立場を優先する心とがせめぎあっているのです。そして、このせめぎあいに終止符を打ったのが、船医ワトソンの一言でした。この彼の放った「彼の青年の一人は不幸にも Scabies impetiginosum に冒されている。それは、わが国において希有な皮膚病である。ことに艦内の衛生にとっては一つの脅威である。」という一言によって、アメリカ人達は日本人達を拒絶する事を決定しました。
ところが、二人の日本人が実際に処刑されている姿を見た途端、彼らは再び自分たちの判断を検討します。その際、提督ペリーは「そうだ。君の感情がいちばん正しかったのだ。」と、立場よりも感情を優先させるべきだった事を認め彼らを日本の法律から救うことを心に決めます。
しかし、医師であるワトソンは提督のようには振る舞えず、心の痛みにも堪える事ができませんでした。彼は医師という立場上、日本人二人に対して重要な決定を下すための決め手を言い放ったにも拘らず、その立場故に彼らの為に出来る事を見い出せずにいたのです。ですが、その一方で日本人達への申し訳なさだけが募っていき、「彼の心には Scabies が、この高貴にして可憐な青年の志望を犠牲にしなければならないほど恐ろしい伝染病であるかどうかが、疑われてきた」と、次第にその時の自分の判断にすら自信が持てなくなっていきます。そこで彼は、せめて医師としての立場に責任を持つために、船の文庫へ向かい自分のその時の判断が正しかったのかどうかを調べる事にしたのです。
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