私は自分の部屋の中でシャカシャカと鉛筆を動かしていた。この前まで受験生であった私も、すでに大学には合格していた。しかし、それまでの勉強する習慣が身についていた私はなんだがやることがなくて、結局はこうして勉強を続けていたのだった。そこには鉛筆の芯がノートの上を滑る音以外、何もなかった。ただ少しばかり窓の向こう、机の向こうからは何か聞こえていたが、それはきっと私には何も関係のない事なのだろうから、やはり私の部屋には鉛筆以外音というものはそれ以外存在しない。だから、その静寂を破って機械的なメロディがどこからか流れてきた時は、驚きを隠せなかった。よく聴いてみると、それは自分の携帯電話のメールの着信音だということに気がつく。耳をすまして、どこから鳴っているのかを探ってみる。どうやらベッドの方角から鳴っているようだ。そう言えば、今日学校から帰ってきて、携帯を鞄の中にしまった儘にしておいた事を思い出す。私は机から重たい腰をあげて、鞄のファスナーを開けてみる。すると、それはその中の暗闇からチカチカとなんだか怪しい光を放っていた。私はそれを取り出し、折りたたまれていた画面のディスプレイを開いてみる。驚いた。そこには、私と小学校時代を共に過ごした、懐かしい友人の名前が表示されていたからだ。前原優子……。彼女は小学校の途中で転校して少し離れてしまったが、それでも私達はメールやチャット等で連絡を取り合い、その関係を保っていた。しかし、中学校3年生ぐらいの頃、受験勉強が忙しくなるに連れて、自然と彼女との交流は毎日が2日に一度、一週間に一度、二週間に一度という具合に次第に減っていって、やがて途絶えてしまった。しかし、彼女はまたこうしてメールを送ってくれたのだ。久しぶりに彼女から連絡が来たことへの嬉しさ、緊張を抑えながら、早速その内容に目を通す。そこには、なんと彼女はこの春第一志望だった大学に合格し、晴れてこの町に戻ってくるらしい事が、女の子らしい可愛らしい絵文字とデコレーションで書かれてあった。そして、その志望校というのが、偶然にも私がこの春から通うことになっていた大学と同じ所で、私との再会を楽しみにしているというのであった。ますます嬉しくなった。が、それと同時にあろうことか、私はかつての親友に対して警戒心を持ってしまっていた。あれから3年以上の月日が流れたのだ。きっと、私には分からない、彼女とのなんらかのすれ違いがあるのかもしれない。かつて私の周りにいた友達がそうであったように……。しかし、結局私は、彼女からメールがきたことへの嬉しさに従い、メールを返信することにした。そして、私は期待する気持ちを必死で抑えながら、再び鉛筆の音のする世界へとかえっていった。
20XX年3月27日
宛先:前原優子
件名:Re:
ゆうちゃん、久しぶりだね。メールありがとう。なかなか連絡できなくてごめんね。あの後、気にはしていたんだけど、送っていいものかどうか分からなくて、その儘にしてあったんだ。でもまたこうして、連絡撮り合う事ができて、本当にすごく嬉しいよ。ありがとう。
それにねゆうちゃん、実は私もゆうちゃんと同じ大学通うんだよ?これって凄いことじゃない!!?そしたら入学式であえるんじゃないかな?もし会った時は、その時はよろしく。それじゃあ、また学校で会おうね。
入学式当日、私はゆうちゃんと再会を果たした。見た瞬間、すぐに彼女だと分かった。小学校の頃の彼女の面影がそこにはあったからだ。彼女も私の事に気がついたらしく、自分の顔の横で手を降ってくれた。そして、二人はあれこれと最近の近況、高校での事、音楽の話などで盛り上がった。ゆうちゃんは何も変わってはいなかった。相変わらず世間知らずで、人を疑う事を知らないし、愛嬌があって、私にすごく優しかった。何よりもそれが嬉しかった。また再び出会えて良かったと心の底から思えた。でも少し変わった事もあった。ゆうちゃんの体つきは十八歳の女の子らしく、腰は丸みを帯びて大きくなり、それでいて太ももやふくらはぎはスラっとしていて、胸は豊かになっていた。そうした彼女の変化は、女性の私ですら、息をのんでしまうほどであった。私は今日一日、ゆうちゃんとの会話、ゆうちゃんとの時間を楽しんだ。
そして、家に帰った私は早速今日の楽しかった出来事を思い出しながら、ゆうちゃんにメールを送信した。
20XX年4月7日
宛先:前原優子
件名:Re:
ゆうちゃん、久し振りに会えて嬉しかったよ。大人っぽくなったね。なんだ引っ込むところ引っ込んで、出るところ出たっていうか……。兎に角、すごく大人の女の子っぽくなった。女の私ですら惚れちゃいそうだよ(笑)あ、だから変な男に捕まらないようにしないと駄目だよ。ゆうちゃんは性格もいいから、それなりの人を選ばないとね。ゆうちゃんには幸せになってもらわないといけないし。なんてたって、ゆうちゃんは私の大好きな友達なんだからね。
3日後、それは確かゆうちゃんからの365通目のメールだったと思う。急にゆうちゃんは、昔の私たちのかつての友達であった、奈々子や恵とも遊びたいと言い出した。私は返信に困ってしまい、一度携帯を机の上において椅子の上で膝を抱えて考えはじめた。彼女達は私を裏切った者達だった。奈々子は他のグループの子たちと遊び、私の知らない音楽、私の知らない映画に興味を持ってしまい、私から離れていった。恵は中学校を卒業して、化粧を少し覚え、クラスの男の子たちの前で大胆になっていき、私とは距離をおくようになった。やがて、そうした彼女たちの末路を考えていると、急に私は恐ろしくなった。確かに優子は小学校の時と変わらない。だけど、これからはどうか分からない。あれから6年経った彼女は美しく、そして女らしくなった。性格も可愛らしい。そんな彼女を他の男は勿論、女の子ですら放っておくわけがない。そして、そうした事態は今まさに起ころうとしているかもしれない。この儘では、優子も私を裏切った子達のように私から離れていってしまうのではないか。そしたら、私はもうそんな思いには耐えられない。私は頭を自分の膝にうずめながらも、上目遣いで細長い板をじっくり眺めた。どう返信すべきか……。優子は私と彼女たちの間に何があったのか、一切知らない。だから、返信が遅れすぎてしまえば、彼女との仲も気まづくなってしまう。兎に角、メールを返信せねば……。よく考えてみれば、ありの儘を返信したところで問題はないのだ。ただ、彼女さえ、私の傍を離れなければ良いのだ。ただそれだけの話なのだ。そう思い直し、机の上の携帯を手にとって、彼女たちとは高校に入学してからはあまり関わりがなく連絡をとることが気まづいこと、そしてメールアドレスも変わっており連絡が取りづらいこと(最も、これは嘘であり、一方的に私が連絡をとることを避けていた)を打って送信した。返事はすぐに返ってきた。画面の文面を見た時、私はほっとため息をついて、全身の肩の力が抜けていくのを感じた。そこには、たった一言、「そっか、じゃあ仕方ないね。」と書かれてあったのだ。良かった。彼女がこの件に関して、言及しないでくれて本当に良かった。安心しきった私は椅子にいることすら苦しくなって、ベッドへと倒れ込んだ。そして携帯を枕元へと落とし、天井を向いて物思いにふけった。今回は良かった。だが、問題はこれからだ。これから、彼女は様々な人々と出会い、様々な事を経験していく。それは誰にも止められない。だから、彼女がずっと私の友達であるという保証もない。そんな事が許されるはずがない。優子は私の友達なのだ。私の、たった一人の親友なのだ。私は私と彼女の友情を守っていく義務がある。責任がある。私はこの自分の決意を次の一文に打ち込み、その日のメールを終えることにした。
20XX年4月12日
宛先:前原優子
件名:友達だから
優子、優子と私は何があっても友達だからね。
おやすみ。
それ以来、私はゆうちゃんと以前よりもべったりとくっつくようになった。朝学校で会って授業を受ける時も、ご飯を食べている時も、サークル見学の時も。出来るだけ彼女といれる時は、彼女と同じ時間を過ごしていた。ゆうちゃんも私といると、楽しそうに笑って話してきてくれるので本当に嬉しい。だけど、時々少し辛そうな表情を見せる時があるので少し心配でもある。それは私が彼女から目を離した、ほんの一瞬、下を向いて疲れた顔をするのだ。優しいゆうちゃんのことである。きっと私に心配をかけまいとして、そうした表情を私の前で隠しているのだ。
そこで私はゆうちゃんの気晴らしの為、次の休みの日、昔二人でよく遊んだ商店街へ出かける事にした。これには彼女も喜んでくれたみたいで、彼女は遠い目をして、クレープ屋さんの跡地、名前のロゴを新しく取り替えた喫茶店、昔も今も変わらない美容院の店内をきょろきょろと見回していた。私はそうした彼女の何気ない仕草が愛しく感じられた。この儘ずっと彼女と遊んでいたい。この儘ずっと彼女の傍にいられたらどんなに幸せな事だろうか。だから、私は私と彼女との関係を守っていく。守りぬいて見せる。私は彼女のあどけない表情を見ながら、そうした決意の炎を更に激しく燃え上がらせた。
そして家に帰り机に向かっている今も、その炎はめらめらと燃えている。同時に、私はこの時淡い気持ちも持ちあわせていた事もここで告白しておく。シャワーを浴びた私は、早速今日彼女と共に買ったおそろいのTシャツに袖を通していたのだった。それを着ているとなんだか常にゆうちゃんと一緒にいるような気がした。何から何まで彼女と繋がっている気さえした。すると、私の頬は熱くなり、私は机に埋もれて足をバタバタさせずにはいられなかった。もうこうなっては満足に勉強もできないし、寝ることもできない。しかし、何があっても彼女とのメールはやめない。私は彼女に今の気持ちを少しだけメールで告白して、自分の気持ちを落ち着かせようとした。だが、これは逆効果で、彼女にメールを返信すると私は更に、自分の気持ちを抑えつけることができなくなっていった。結局この日、私はゆうちゃんが寝るまでずっとメールのやり取りを続けることとなった。
20XX年5月4日
宛先:前原優子
件名:Re:Re:Re:
ゆうちゃん、今日のデート、楽しかったよ。ありがとう。昔よく行ってた商店街の小物屋さんや、クレープ屋さん、潰れちゃってたのは残念だったよね。でも地元の私ですら、普段あの商店街いかないんだから、潰れたって可笑しくないよね。でも、その分ゆうちゃんとプリクラ撮ったり、ごはん食べたり、お揃いのお洋服買えたから満足。嬉し過ぎて、私なんてもう服に袖とおしてるからね(笑)今日はこれ着て寝ようかな。
ゆうちゃんの方は楽しかった?なんだか最近暗い顔してる時があるから、少し心配してるんだ。だから今日の事が少しでも気分転換になるといいかなと思って、誘ってみたんだよ。何があったかは知らないけど、あんまり無理しちゃ駄目だよ。
また明日、学校で会おうね。おやすみ。
しかし、私のそんな気持ちとは裏腹に、ゆうちゃんは相変わらず苦しそうな顔を見せるのだった。そして、日に日にその表情を見せる回数が確実に多くなっていった。おまけにゆうちゃんは私の知らない友達をどんどん増やしていき、私と同じ授業以外は、毎回別の友達と授業を受けているようだった。毎日続けているメールの頻度だって少なくなってきている。それらの事が私にとって何よりも苦しかった。ゆうちゃんは何を悩んでいるのだろう。何故多くの友達をつくろうとするのだろう。私はゆうちゃんがいればそれで充分。もう他には何もいらない。だけど、彼女の方はそうではないのだろうか。いや、そんな事は決してありえない。だって彼女は笑っていた。私の傍で確かに、昨日も一昨日も笑っていた。そしてこれからも、彼女は私の傍でずっと笑うのだ。だとすれば、彼女の悩みというものは寧ろ、私以外の友人関係にあるのではないか。そうだ。きっとそうに決まっている。少なくとも、私の前では彼女は明るいのだから、きっと他の友達の前ではそうではないのかもしれない。ならば、他の者達から私が彼女を守ってやらなくてはならない。この私が……。
ある日の昼下がり、ゆうちゃんと学校の廊下で話していると、突然知らない男子学生がなれなれしく「ゆうちゃん」と遠くから手を振ってきた。ゆうちゃんも、それに笑顔で応じる。ゆうちゃんがそうした態度をとったことをいいことに、男子学生は晴れ晴れとした表情で私達との距離を詰めてくる。私は彼をきっと睨んだ。しかし、男子学生は気づいているんだがいないんだか、それに構わず、なんと私を無視してゆうちゃんと会話をはじめたのだ。二人は楽しそうに互いの近況、授業の事を話しているようだった。はじめは私も、平常を装ってそれを聞いてはいたのだが、この男子学生の態度、そして彼に向ける彼女の笑顔、更にリズムの良い会話。これらが私の仮面を徐々に剥がしていく。遂に耐えられなくなった私は、ゆうちゃんに「ごめん、先帰ってる」と言い残し、その場を後にした。
帰ってきてからの私は手に負えなかった。まず、背負っていたショルダーバックを床に叩きつけて、携帯をベッドに投げつけた。そして自分もベッドに投げ込んで、顔を埋めて蒲団を片手で殴った。声は決して出さなかった。その代わり、泣きながら散々暴れてやった。そしていつもの私に戻るまでに、結構な時間を要した。
落ち着いてから、私はゆうちゃんとあの男子学生が、あの後どうなったのかを考えた。一緒に授業を受けたのだろうか、一緒に下校はしたのか。もしかして、ゆうちゃんの家に行ったなんて事はないだろうか。私ですら、大学に入ってまだ一度もその敷居を跨いだ事がなにのに、そんな事が許されるはずがない。そう考えると、再び抑えていたものが私の底から湧き出て私を暴れさせた。しかしまた落ち着きを取り戻していった。まだそうと決まった訳ではないのだ。それにゆうちゃんは私の友達だ。友達であるなら、私を悲しませるような事はしないはずである。そうして自分を納得させながらも、不安は完全には拭えなかった。そこで私はゆうちゃんに直接聞いてみることにした。
20XX年5月9日
宛先:前原優子
件名:すごくムカついたんだけど
なんなのあの子?私がゆうちゃんと話してる時に、急に割って入ってきて。ごめんね、突然いなくなっちゃったりして。ちょっと邪魔かなと思って先に帰っただけだから。それにしても、あの子が途中から話しかけなければ、もっと一緒に話せたのに……。ゆうちゃんも、そう思うよね?その後、あの後どうしたの?あの男の子と一緒に遊びに行ったのかな?ちょっと心配。あの子、きっと下心があって、ゆうちゃんに近づいているんだもん。だってずっとゆうちゃんの唇や胸ばかり見てたんだもん。汚らしい。だから、もうあんな子と付き合うのやめときなよ。ゆうちゃんには……私がいるじゃん。それで充分じゃん。
送信した後、中々返信が来ない。勉強しても、読書しても、好きな音楽を聴いて気を紛らわそうとしても駄目だった。何度も何度も、携帯のディスプレイを見てしまう。結局、彼女のからメールがきたのは私がいつも寝る時間になってからだった。そこには、あの後すぐに帰ったこと、彼とは何もないことが書かれてあった。充分満足のいく返信ではなかったが、そのメールは私を幾分か安心させた。私はすぐにおやすみのメールを打ち、蒲団にくるまった。蒲団にくるまりながら、私はこれからはより彼女と一緒にいる時間を増やさなければならない事を悟った。この儘では駄目である。この儘では優子を私以外の誰かに奪われてしまう。だから、今まで以上に彼女と時間を共にすべきなのだ。例え、それで授業の単位を落とすことがあっても仕方がない。私には彼女が必要なのだ。私は再びそう決意し直し、朝を待った。
しかし、優子からのメールはそれ以来来なかった。電話にも出なかった。学校でも彼女を探した。しかし、彼女はいつも私の知らない友達に取り囲まれていて、中々話す機会を得られなかった。仕方がないので、私は何通も何通も何通もメールを打ち、何度も何度も何度も電話をした。
20XX年5月11日
宛先:前原優子
件名:どうしたの?
ゆうちゃん、昼間電話したんだけど、でなくて心配してメールしてみました。大丈夫?何かあったの?困ってることがあったら、なんでも相談してね。メール待ってるよ。
20XX年5月12日
宛先:前原優子
件名:どうしたの?
ゆうちゃん、メールや電話には気づいているよね?気がついたら連絡してきてよ。心配してるんだよ。お願いだから連絡して!!
20XX年5月12日
宛先:前原優子
件名:優子、
どうして連絡くれないの?私に話したくない事でもあるの?何があったの?お願いだから連絡頂戴!!!心配してるのが分からないの!?友達なら連絡してよ!!
そして、遂に彼女から連絡がきた。それは彼女とのメールが途絶えて、一週間程してからの事であった。これには私も驚いた。それと同時に、そこには今更メールを寄越したのかという思い、散々人を心配させたことへの思い、やっと返信がきたことへの思いと様々なものがあった。そして肝心の中身だが、そこには「一度会って話をしよう。1時に学校の食堂に来て。」とあった。私はすぐに支度をはじめた。その最中、私の目にあるものが飛び込んできた。それは私に何か訴えているような感じがした。「万が一の為、持っておいたいいのかもしれない。」そう思った私は、ズボンのポケットにそれを突っ込んで部屋を後にした。
彼女が指定した時間は、丁度学生たちが授業に向かう時間であり、食堂の学生たちの人数が少なくなる時間でもあった。食堂に入ると、私はすぐに優子を見つけることができた。彼女は建物の角の、丁度食堂全体が見渡せるところにいた。そこは食堂の中でも優子のお気に入りの席でもあった。彼女の顔は相変わらず、小さくて、スタイルも良くて可愛らしい。そして彼女の着ていた白いワンピースは、彼女の持っているふわふわした、また柔らかい雰囲気をより引き立てていた。私は彼女に近づいて行くも、未だどういう顔で彼女に会えばいいのか、その心構えはだまできていなかった。どうやらそれは彼女も同じようであった。私を見つけた彼女顔は笑っていたが、唇の辺りの皺がひきつっている。それに応じる私もやはり、笑っているものの目線を少し下に下げる。
「なんだか久しぶりだね。」
と、まずは彼女から話しかけてきた。
「そうだね、元気だった?」
彼女はただコクリと頷くだけだった。その後、私は彼女が口を開くのを待った。というのも、彼女は私に何か話したい事があるらしく、口をもごもごさせている。やがて彼女の口は少しだけ開いた。
「あのね。」
私は手に汗をかいた。生きている心地がしない。センター試験の時よりもはるかに緊張していた。息が止まりそうだった。そんな私の気持ちを察してか、彼女も話したい内容まで行きつくには時間がかかった。
「あの、前からずっとずっと言おうと思っていたんだけど、なんていうか、どうしても言い出せなくて。でも言わなきゃ駄目って思ったからこうして話しにきた。」
「……うん。」
そして、こう言った。
「メールするの、正直つらいっていうか、しんどいっていうか……。はじめは楽しかったんだ。でも、段々あっちゃんの気持ちについていけなくなったっていうか、なんていうかさ。だから、……連絡暫く取らないで欲しい。ちょっとだけ、だから。ちょっとだけ、ね?」
「……うん。」
「別にあっちゃんの事嫌いになったとかじゃないのね。ただね、ちょっと疲れてんだ最近。それで、ちょっとメールするの、しんどくなっちゃって……。」
「……うん。」
「でもほら、元気になったらあたしからメールするし。ずっとじゃないから。ごめんね、私の都合で……。」
「……うん。」
私は優子の言葉を一切聞いていなかった。優子はそんな私をよそに、あれこれと話の方向性を変えて、次々と言葉を並べ立てている。こうして私は彼女に裏切られるのか……。いや、彼女に決定的な言葉を言わせない。そして、これからもそんな事は言わせないし思わせない。そう考えた私は、「万が一の為」に持ってきたものをポケットから取り出し、優子に切りかかった。優子は「ヒャッ」と声を裏返らせながら、それを防ぐようにして手を出してきた。その腕からは赤い血がまるで線でも引いたように浮き出てきた。そして彼女は椅子から転げ落ちたかと思うと、酔っぱらいのようにふらふらしながら食堂を走り去っていった。私はゆっくりと、まるで何かにとり憑かれたかのように椅子から立って彼女を追った。そして、漠然と「いつになったら捕まるのだろう」という事を考えていた。こういう時、勇敢な男子学生が私をすぐに取り押さえてもよいものである。しかし、意外に誰も私の事など止めようとはしない。取り押さえられたのは、結局事が起こって数分経ってた後であった。取り押さえたのは、ある中年の教授であり、彼は「手に持ってるもんを捨てて、こっちに来い。」という、なんだか間の抜けた台詞を吐いた。だが、この時の私は頭にのぼっていた血も少しは引いたのか、すんなりと彼の言うことを聞いたのだった。
それからが大変だった。私はまず大学の学長のもとに行き、あれこれと説教された。もともと周りの大人たちに取り入る事が上手だった私は、あえて学長の言うことに逆らわず、じっと話を聞き、相槌を打ち、涙を流した。そして私の両親と、優子の両親がやってきた。私は自分がありの儘に思っている事のほんの一部をそこで話した。私の親は泣き崩れ、優子の母親は私を睨みながら泣いていた。ただ、彼の父親だけは複雑そうにしている。実は優子の両親とは面識があり、彼女の父親とは何度か話もしたことがある。それだけに彼女の父にとって、私が実の娘を傷つけたことが信じられなったのだろう。私は彼に取り入るために、彼らの前で両親と共に謝罪の言葉を、出来るだけ誠意を込めて述べた。そして、私のそうした試みは上手くいったらしく、私が退学する事を条件に、彼らは私を訴える事を取りやめてくれた。こうして、私は優子に対しての友情を確かなものにすると共に、自身の社会的な立場をも守ることができたのだ。これで優子も私から離れたり、誰かにその事を相談しようなどとは考えないだろう。私は再び、優子に向けて新たなメールを送信することにした。彼女は新しくアドレスを変えていたらしいが、私はそのアドレスを奈々子か恵かどちらかが知っていると考え、彼女たちから優子のアドレスを聞き出すことにした。案の定、その予想は的中した。菜々子は返信も返してくれなかったが、恵はすんなりと何も言わず、彼女のアドレスを渡しに教えてくれた。アドレスを受け取ると、私は早速優子に対して、メールを打つことにした。
20XX年5月20日
宛先:前原優子
件名:優子
この前はごめんね。手の傷、まだ傷んでるかな?はやく治るといいね。ねぇ優子、これで分かったよね?私たち、何があっても友達だからね。何があっても……。
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