2012年2月26日日曜日

仇討三態・その一ー菊池寛

父親を殺され、復讐を誓い長年旅をしてきた討人、惟念は母親が死んだことを知らされて恐ろしい空虚におそわれます。そしてその事をきっかけに、彼は浪華に近い曹洞の末寺に入って僧になりました。
一年後、ある時彼は薪作務(農作業、清掃等の作業のこと)を行なっていると、仇人と同じ紋のはいった羽織を着た老僧を見かけます。更にその老僧には、仇人と同じ箇所に刀傷があり、これらを見た惟念は再び復讐の炎を燃やしはじめます。ですが今の彼は僧の身であり、人を殺すことはできず、仇人が見つかったからといって再び俗世に戻ることにも抵抗を感じている様子。そこで彼は自ら仇人に自分の身の上を打ち明けて、道心の勝利を誓うことにしました。ところが仇人は惟念に対して、しきりにここで復讐することをすすめてきます。ですが、彼はぐっと自分の気持ちを抑えて、その誘惑に打ち勝つことができました。
その晩、惟念はその仇人によって命を狙われてしまいます。ですが、彼は防ごうとも逆にそれを討ち取ろうともいう気にもなれず、ただ自分を信用していない彼を憐れむばかりでした。そしてただ一言、「愚僧は宵より、右肩を下につけ、疲れ申す。寝返りを許されい!」と仇人に告げます。結局、仇人は彼を手にかけず、その翌日に寺から逃げ出しました。

この物語では、〈他人に誓いを立ててしまった為に、かえって他人の信用を失ってしまった、ある僧〉が描かれています。

この物語の面白いところは惟念が自分の身の上を仇人に打ち明けたことにより、二人の心情が大きく揺れ動いていくところにあります。まず惟念の方ですが、彼は自分の復讐の心をなんとか抑えてはいるものの、彼は今後の自分の行動に自信が持てず、いつか仇人を手にかけてしまうのではないかとう不安を感じはじめています。そこで自分を信用出来ない彼は、仇人に仇討ちをしないことを宣言することで、仇人に対して誓いをたてることにしました。こうして自分以外の誰かに自分の行動を見てもらいプレッシャーをかけることで、惟念はその決意を確固たるものにしていったのです。
ですが、一方の仇人の方はどうでしょうか。仇人は惟念の身の上を聞いた後、あたかも彼の心の中を見透かしたように、「我らを許して安居を続けられようとも、現在親の敵を眼前に置いては、所詮は悟道の妨げじゃ。妄執の源じゃ。心事の了畢
などは思いも及ばぬことじゃ。」と述べています。恐らく、仇人は惟念が何故自分に身の上を明かしたのかを理解していたのでしょう。そして当然ながら、自分の事を信用していない者から自分を信用してくれと言われても、信用出来ないのは無理もない話です。こうして仇人は惟念に対する疑いの心を募らせていき、彼を殺そうという気持ちにまで至ったのです。

1 件のコメント: