2012年2月14日火曜日

船医の立場(修正版)

日本がまだ鎖国政策をとっている時代、日本人である吉田寅次郎と金子重輔(じゅうすけ)は異国からきた黒船に乗り込む事を計画していました。彼らはそうして船に乗り込み、外国へ渡りその文化を知ることで異人を追い払おうと考えたのです。やがて、彼らは様々な苦難を乗り越えて、黒船に乗り込むことに成功します。
一方彼らが乗り込んだ黒船、ポウワタン船では、彼らを巡って会議が開かれることとなります。副艦長のゲビスは二人の日本人の熱意に動かされて、彼らを受け入れるべきだと主張します。ですが、提督であるペリーと艦長は、彼らを受け入れる事は日本政府を刺激する事になり、開国を求める自分たちの立場を危うくする危険性があると主張するのでした。しかし、それでもゲビスは二人に、この日本人たちは自分たちに追い返されてしまえば処刑される事を覚悟でこの場にいる事を告げます。この彼の主張に二人は何も言えなくなってしまい、提督は苦しまみれに他の者に意見を求めはじめます。すると、船医であったワトソンは、二人の日本人のうち一人が疥癬(しつ)という皮膚病にかかっている事を思い出します。そしてこれはアメリカでは珍しい病気であり、船内での感染は脅威にもなり得るというのです。結局一同は彼の言葉を信じ、二人の日本人を追い返す事にしました。
ところが、彼らは実際に罰せられている彼らの姿を目の当たりにした途端、その時の判断をもう一度検討しはじめます。そして、その決定的な言葉を述べたワトソンは、心の苦痛を抑えるために、文庫の方へ向かっていくのでした。

この作品では、〈感情に振り回される事なく、最後まで自分の立場に責任をもとうとした、ある船医〉が描かれています。

まず、物語の中で、会議に参加したアメリカ人達はある共通した心の悩みを持っていました。それは、自身の感情を優先させて二人の日本人を受け入れるべきか、或いは立場を優先させて彼らを拒絶すべきかということです。この問題に際して、副艦長のゲビスはしきりに己の感情に従い、彼らを受け入れるべきだと考えています。それに対して、提督や船長の意見は、確かに自分たちも日本人達の気持ちは痛いほど感じてはいるが、まずは現実的に自分の立場を考えて行動すべきであると述べています。やがて議論の末、ワトソンの「船医として」の一言が決め手となり、彼らは全員が一応はそれぞれの立場を優先させることとなります。
しかし、その日本人二人が実際に罰せられる一端を見て、彼らは再び上記の問題を考えはじめます。それでは、この時の彼らのそれぞれの反省に注目してみましょう。まず、提督のペリーはこうした現実を知り、「君の(副艦長ゲビスの)感情がいちばん正しかったのだ。君はこれからすぐ上陸してくれたまえ。そして、この不幸な青年たちの生命を救うために、私が持っているすべての権力を用うることを、君にお委せする」と述べています。つまり彼はそれまでの自分の考えを否定し、副艦長の考えを全て採用しようとしています。ここから、彼は感情か立場かと問題に対してどちらか一方を採用し、どちらか一方を切り捨てるべきであるという考え方をしていた事が理解できます。それでは、この問題に対して決定的な言葉を放った人物、船医のワトソンはどうだったでしょうか。彼はこの事実を知ると、誰よりも自らの言葉に責任を感じ、果たしてその時の自分の判断は正しかったのか、もしかしたら日本人が持っていた病気は大した事はなかったのではないか、と自ら審査をはじめます。そうしてその揺れ動きを感情で解決しようとはせず、あくまで「医師として」自分の判断に責任を持つため一人書庫へと向かいます。つまり彼はこの問題に対して、立場は優先すべきものであるが、自身の感情はその立場に支障をきたさなければそれを遂行しても良いと考えています。ワトソンは提督のように、あれかこれかで考えていたのではなく、あくまで自分の立場にかえった上で自分の感情というものを考えており、そう考えているからこそ、他の人物たちよりも一層その問題に対して深く悩んでいるのです。

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