2011年2月2日水曜日

あばばばばー芥川龍之介

 安吉はある時、行きつけのお店に煙草を買いに行ったところ、いつも見慣れている眇の主人の代わりに西洋髪に結った若い女の姿を見ました。彼女は安吉が「朝日を二つくれ給へ。」というと、恥ずかしそうに接客をします。ですが、彼女は朝日を彼の前に出さず、違う商品を渡してしまうのです。そしてそれに気がつくと、彼女は顔を真赤にして謝り、一生懸命朝日を探します。女はいつ来てもこのような調子で、顔を真赤にしながら失敗ばかりする始末。
ですが、その翌年の正月、女はそのお店から突然姿を消してしまいます。さて、彼女はどうなったのでしょうか。
この作品では、〈必然とはどういうことか〉ということが描かれています。
まず、気になるのは女のその後ですが、安吉は二月の末に例の店の前で「あばばばばばば、ばあ!」と、再び赤子をあやしている彼女の姿を目撃します。そして、その時安吉は偶然彼女と目が合い、この瞬間、彼は彼女がいつものように顔を真赤にする様子を想像します。しかし、彼女の顔は一向に赤くならず、澄ましています。そして再び我が子をあやしはじめるのです。一体なぜ彼女は顔を赤らめなくなったのでしょうか。
その答えを紐解く最大のヒントは、安吉の心の声にあります。彼はこの時、「女はもう「あの女」ではない。度胸の好い母の一人である。一たび子の為になつたが最後、古来如何なる悪事をも犯した、恐ろしい「母」の一人である。」と赤ん坊の存在が彼女を変えたのだと指摘しています。では、赤ん坊は具体的にどのようにして女に影響を与えて行ったのでしょうか。
例えば、ある人物は大家族の一人で、他の兄弟達は大食いで、食事の際は彼らの好きなものから順番になくなっていきます。するとその人はこの大家族の中で、食事に関して得をしたいと思うならば、必然的に図々しく他の兄弟達よりも先に好きなものに手をつけなければならないということになります。そうして彼が図々しくなっていったとするのであれば、それは紛れもなくその兄弟達との関係性にあると言えます。
話をもとに戻すと、女の気質がかわったことも、まさに赤ん坊との関係性にあると言えます。女が以前のように、他人と話すときにいちいち顔を赤らめていたら、果たしてこの赤ん坊をまっとうに育てていけるのでしょうか。女は赤ん坊の存在を考えれば、どのような状況であれ、その子の前に立って引っ張っていかなければいけません。いちいち顔を赤らめている余裕すらないのです。
また、このように私たちは変えることの出来ない環境の中で、自身の性格が変わっていくことを〈必然〉と呼びます。まさに女の気質が変わったことはこの〈必然〉によるものなのです。

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