私は津軽に来てその金木町から津軽鉄道で一時間ちかくかかって行き着ける五所川原という町で買い物していたところ、旧友の加藤慶四郎との再会を果たします。彼らは久しぶりの再会に浸った後、慶四郎の家で遊ぶことを約束します。
そして約束の日の夜、慶四郎は伊藤温泉での療養時代のことを話し出します。その中で彼はかつての自身の失敗についても触れることになります。それは一体どういったものだったのでしょうか。
この作品では、〈ある線と線を正確に結べなかったある小説家〉が描かれています。
まず、慶四郎の最大の失敗とは、かつて淡い恋心を抱いていた少女、ツネを自身の苛立ちから誤って足を射ってしまったことにあります。彼はその事件を今でも後悔していています。そして彼の告白の終りかけた時、細君がお銚子のおかわりを持って来て無言で2人に一ぱいずつお酌をして静かに立ち去る姿を著者が見たとき、彼はその細君が片足を引きずっている光景を目にします。この時、彼は直感的に、この細君はツネであると考え、「ツネちゃんじゃないか。」と慶四郎に告げます。ですが、これは著者の間違いで、細君はツネではありませんでした。
では、著者の失敗は何処にあったのでしょうか。彼は先程のエピソードと目の前の片足を引きずっている細君を頭の中に並べ、「片足を引きずっている」ことと、「慶四郎が誤ってツネを撃った」ことを結びつけて、細君とツネは同一人物だと結論づけました。しかし、ここで彼はある違和感を抱きます。それはツネは色白で大柄な体格だったということを取りこぼしていることにあります。ここから彼は、自分の結び方が間違っていたことに気がつきます。つまり彼は線と線とを結ぶ過程の中で、「片足を引きずっていること」以外のヒントを例外として片付けてしまったのです。
またこのような失敗は、私たちの世界に大きく横たわっています。例えば、あなたの家のある棚の上にはお菓子があります。それは小さい子供がどう頑張っても取れる位置にはありません。ですが、ある時それがすっかりなくなっているではありませんか。そこであなたは日頃あなたの3歳の子供が自分の目を盗んでお菓子を食べていることを思い出し、早速彼を叱り始めます。ところが、それをあなたの夫(または妻)がそれを止めに入ってきます。そしてよく事情を聞くとなんと、お菓子を食べたのは、子供ではなく、あなたの相方だったというではありませんか。ここから、あなたは、自分の論理の中で、一部(日頃子供は自分の目を盗んでお菓子を食べていること)だけを取り上げ線を結び、それ以外(棚の上のものには子供は手が出せないこと)を例外として片付けてしまったことがここで明らかになります。
論理の中で、例外を認め、線を引いてはいけません。例外を認めてしまうということは、その論理が既に間違っていることを示しているのです。
2011年2月26日土曜日
2011年2月22日火曜日
自作を語るー太宰治(評論自己分析)
私はこの作品を読んだ時、最初〈作品の中で、著者は自身の主張は全て述べており、その中以外で自分の主張を述べることに嫌悪感を感じている〉というものが、作品の命題だと考えていました。しかしコメント者の指摘を読み、〈作品を自ら説明することは、作家にとって敗北である〉ということが書かれていることが分かりました。
私はここから自身が作品の表面的な理解しか出来ておらず、著者の心情を我が身に繰り返すことも出来ていないことを知りました。 ですが、何故自分が著者の心情を自分の中に持つことが出来なかったのか、今でもはっきりとは分かりません。
ですので私が思いつく最大の解決策は、やはりいつもコメント者が指摘しているように自身の創作における苦悩と著者のそれを重ねて、我が身に繰り返すように読むしかないと考えています。
私はここから自身が作品の表面的な理解しか出来ておらず、著者の心情を我が身に繰り返すことも出来ていないことを知りました。 ですが、何故自分が著者の心情を自分の中に持つことが出来なかったのか、今でもはっきりとは分かりません。
ですので私が思いつく最大の解決策は、やはりいつもコメント者が指摘しているように自身の創作における苦悩と著者のそれを重ねて、我が身に繰り返すように読むしかないと考えています。
2011年2月16日水曜日
じゅりあの・吉助ー芥川龍之介
じゅりあの吉助は、肥前の国彼枠郡浦上村の生まれで、はやくに両親を亡くし、幼少の頃から土地の乙名三郎治の下男になった男です。しかし、彼は性来愚鈍の為、朋輩からは弄り物にされていました。その吉助は18、9の時に三郎治の娘、兼に恋をします。しかし、彼は自身の恋心に耐えられなかったために出奔します。
そして3年後、彼はひょっこりと帰ってきて、再び三郎治の下男になります。ですが彼はその時、当時認められていなかった、キリスト教をその3年の旅の中で紅毛人に教えられ、信仰していたのです。そしてそれを知った彼の朋輩は三郎治に伝え、すぐに代官所へ引き渡されてしまいます。さて、その後彼は代官所で取り調べを受けるのですが、その中である奇妙な発言をします。それは一体どのようなものだったのでしょうか。
この作品では、〈正しくキリスト教を理解出来なかったある愚人の姿〉が描かれています。
まず、代官所の取り調べの中で彼は、キリスト教を説明する際、「べれんの国の御若君、えす・きりすと様、並に隣国の御息女、さんた・まりや様でござる。」、「えす・きりすと様、さんた・まりや姫に恋をなされ、焦れ死に果てさせ給うたによって、われと同じ苦しみに悩むものを、救うてとらしょうと思召し、宗門神となられたげでござる。」等と間違った理解をしていることが伺えます。具体的に指摘すると、キリストとマリアは同列の存在ではありませんし、また恋仲ではなく母子の関係になります。ですが、それでも著者は作品の最後に、そんな吉助に対して「最も私の愛している、神聖な愚人」と評しています。では著者は一体彼のどこを評価しているのでしょうか。それは、彼の一途な信仰心に他なりません。いかにキリスト教というものを理解していまいが、彼の信仰は本物であり、最後まで信仰し続けたところを著者は評価しているのです。
そして、このようなエピソードは何もキリスト教に限っただけの話ではありません。仏教の法華経という経文の中の、周利槃特という人物のエピソードがそれにあたります。彼は2人兄弟の弟で、兄の方は聡明で釈尊(釈迦)の教えをよく理解していましたが、弟の方は愚鈍で、四つの句からなる一偈の中、一句を憶えようとすると、もう先の句を忘れてしまい、四ヶ月かかっても、その一偈すら暗記出来ないような人物でした。ですが、その強い信仰心のために彼は兄よりも先に仏界に至ることになります。
これらから宗教というものは、いかにそれを理解しているかというよりも、それをいかに信仰しているかということを重視しているということが分かるはずです。
そして3年後、彼はひょっこりと帰ってきて、再び三郎治の下男になります。ですが彼はその時、当時認められていなかった、キリスト教をその3年の旅の中で紅毛人に教えられ、信仰していたのです。そしてそれを知った彼の朋輩は三郎治に伝え、すぐに代官所へ引き渡されてしまいます。さて、その後彼は代官所で取り調べを受けるのですが、その中である奇妙な発言をします。それは一体どのようなものだったのでしょうか。
この作品では、〈正しくキリスト教を理解出来なかったある愚人の姿〉が描かれています。
まず、代官所の取り調べの中で彼は、キリスト教を説明する際、「べれんの国の御若君、えす・きりすと様、並に隣国の御息女、さんた・まりや様でござる。」、「えす・きりすと様、さんた・まりや姫に恋をなされ、焦れ死に果てさせ給うたによって、われと同じ苦しみに悩むものを、救うてとらしょうと思召し、宗門神となられたげでござる。」等と間違った理解をしていることが伺えます。具体的に指摘すると、キリストとマリアは同列の存在ではありませんし、また恋仲ではなく母子の関係になります。ですが、それでも著者は作品の最後に、そんな吉助に対して「最も私の愛している、神聖な愚人」と評しています。では著者は一体彼のどこを評価しているのでしょうか。それは、彼の一途な信仰心に他なりません。いかにキリスト教というものを理解していまいが、彼の信仰は本物であり、最後まで信仰し続けたところを著者は評価しているのです。
そして、このようなエピソードは何もキリスト教に限っただけの話ではありません。仏教の法華経という経文の中の、周利槃特という人物のエピソードがそれにあたります。彼は2人兄弟の弟で、兄の方は聡明で釈尊(釈迦)の教えをよく理解していましたが、弟の方は愚鈍で、四つの句からなる一偈の中、一句を憶えようとすると、もう先の句を忘れてしまい、四ヶ月かかっても、その一偈すら暗記出来ないような人物でした。ですが、その強い信仰心のために彼は兄よりも先に仏界に至ることになります。
これらから宗教というものは、いかにそれを理解しているかというよりも、それをいかに信仰しているかということを重視しているということが分かるはずです。
2011年2月15日火曜日
自作を語るー太宰治
この作品で、著者は自身の作品について語ることに対する、ある違和感を述べています。その彼の主張はこうです。自分は作品の中で自身の主張を分かりやすく書いているつもりであり、それが分からなければそれまでである、というのです。では、この主張から、一体作家としての彼のどういった姿勢が現れているのでしょうか。
彼はこの作品の中で、〈作品と作家との関係性〉について述べています。
まず、著者は自身と作品の関係について「私は、私の作品と共に生きている。私は、いつでも、言いたい事は、作品の中で言っている。他に言いたい事は無い。」と考えています。つまり彼は何らかの主張があるために、作品を創作しているのであり、それ以外の事で作品を扱うことに対して嫌悪感を抱いています。そして彼にとって、自分の作品の作品について感想を書くということはまさにこの嫌悪感の象徴との言えるのです。つまり、自身の作品について「いや、これは面白い作品のはずだ」と、自身を肯定する目的で作品を扱うことを嫌っています。彼にとって自作を語るとは、まさにこのように映っているのです。
彼はこの作品の中で、〈作品と作家との関係性〉について述べています。
まず、著者は自身と作品の関係について「私は、私の作品と共に生きている。私は、いつでも、言いたい事は、作品の中で言っている。他に言いたい事は無い。」と考えています。つまり彼は何らかの主張があるために、作品を創作しているのであり、それ以外の事で作品を扱うことに対して嫌悪感を抱いています。そして彼にとって、自分の作品の作品について感想を書くということはまさにこの嫌悪感の象徴との言えるのです。つまり、自身の作品について「いや、これは面白い作品のはずだ」と、自身を肯定する目的で作品を扱うことを嫌っています。彼にとって自作を語るとは、まさにこのように映っているのです。
2011年2月13日日曜日
散華ー太宰治
著者はこの作品の中で、三井と三田という自身の友人2人の死について述べています。その中でも、特に三田について描かれています。この三田という青年は、口数はどちらかというと少なく、真面目で、詩について勉強していた人物のようです。そんな彼は大学を出た後、すぐに出征し、その先で死んでしまいます。その死ぬまで間、彼は著者に向けて手紙を4通程送り、その中の1通がこの作品を書くきっかけになったと言います。それは一体どのような内容だったのでしょうか。
この作品では、〈ある道のために死んでいった、ある日本一の男児の姿〉が描かれています。
まず、著者が心うたれたという1通が下記のものになります。
御元気ですか。
遠い空から御伺いします。
無事、任地に着きました。
大いなる文学のために、
死んで下さい。
自分も死にます、
この戦争のために。
彼は、この中の「死んで下さい」という表現に心うたれています。この時、三田は戦争の為、明日の日本の為にまさにその身を捧げようとしています。そこから彼は文学も同じで、その身を捧げる覚悟でやらなければならないと述べているのです。またそういった意味では、三田にとって、作家も兵隊も命を捧げるという意味では、同じものであったと言えます。この彼の心こそが著者が感動しているものの正体なのです。人はついつい形上の立場や権力に奪われ、その人物を判断してしまいがちです。ですが実際は作家、兵隊等の立場に問題がある訳ではなく、問題はその志であり、自身の道にどれだけ身を捧げられるかが問題なのです。
この作品では、〈ある道のために死んでいった、ある日本一の男児の姿〉が描かれています。
まず、著者が心うたれたという1通が下記のものになります。
御元気ですか。
遠い空から御伺いします。
無事、任地に着きました。
大いなる文学のために、
死んで下さい。
自分も死にます、
この戦争のために。
彼は、この中の「死んで下さい」という表現に心うたれています。この時、三田は戦争の為、明日の日本の為にまさにその身を捧げようとしています。そこから彼は文学も同じで、その身を捧げる覚悟でやらなければならないと述べているのです。またそういった意味では、三田にとって、作家も兵隊も命を捧げるという意味では、同じものであったと言えます。この彼の心こそが著者が感動しているものの正体なのです。人はついつい形上の立場や権力に奪われ、その人物を判断してしまいがちです。ですが実際は作家、兵隊等の立場に問題がある訳ではなく、問題はその志であり、自身の道にどれだけ身を捧げられるかが問題なのです。
2011年2月12日土曜日
火事とポチー有島武郎
ある夜、武男は愛犬ポチの鳴き声で目を覚ましてしまいます。と、思うと彼の目には真っ赤な火が映ります。そしておばあさまが布のようなものをめったやたらにり振り回している姿を見て、彼はそれが火事だとはじめて気がつきました。彼はおばあさま一人では駄目だと思い、彼は事態を納めるために、お母さんのもとへ、そこからお父さんのところへ、近所のおじさんの家々を走りまわります。そして彼や近隣の人々の助けもあり、火事騒動はどうにか落ち着きました。ですが、その三日後、彼らは火事の第一の発見者ポチが行方不明になっていたことがここで発覚します。はたしてポチは無事に生きているのでしょうか。
この作品では、〈主人公とその大切な友人との別れ〉が描かれています。
まず、作品を論じる前に、一般的な感動的なヒューマンドラマの構造について論じておきます。多くのヒューマンドラマの場合、その舞台として日常的な場面(ある事件が起きる以前のこと)と非日常的な場面(ある事件以降のこと)が用意されています。そこに二人以上の登場人物をおいて、事件の前後を比較するように描かれています。そうすることにより読者は、登場人物たちのバックグラウンドを知ることにより、「以前は仲良く暮らしていた人々が事件が起こったせいで、このように不幸になってしまった」と、事件の前後の彼らの様子を比較し悲しみをより引き立たせるのです。
では、この作品ではそれがどのように設定されているのでしょうか。まず、非日常的なパートとして火事という場面が設定されています。ですが日常的なパートは、物語が火事の場面(事件以降)から始まっていることもあり、一見、ないようにも感じます。しかし、よく見ると、「もとはっていえばおまえが悪いんだよ。おまえがいつか、ポチなんかいやな犬、あっち行けっていったじゃないか」という武男とその兄弟との喧嘩での会話や、ポチの普段の仕草や癖を描いている箇所があり、そこから日常のポチという像が浮き彫りになってくるのです。そして、ポチが衰弱するにつれて武男を中心にポチを労る姿から、読者は武男一家のポチへの思いを読み取り、更にそこから日常のポチの姿を思い起こし、感動するのです。
この作品では、〈主人公とその大切な友人との別れ〉が描かれています。
まず、作品を論じる前に、一般的な感動的なヒューマンドラマの構造について論じておきます。多くのヒューマンドラマの場合、その舞台として日常的な場面(ある事件が起きる以前のこと)と非日常的な場面(ある事件以降のこと)が用意されています。そこに二人以上の登場人物をおいて、事件の前後を比較するように描かれています。そうすることにより読者は、登場人物たちのバックグラウンドを知ることにより、「以前は仲良く暮らしていた人々が事件が起こったせいで、このように不幸になってしまった」と、事件の前後の彼らの様子を比較し悲しみをより引き立たせるのです。
では、この作品ではそれがどのように設定されているのでしょうか。まず、非日常的なパートとして火事という場面が設定されています。ですが日常的なパートは、物語が火事の場面(事件以降)から始まっていることもあり、一見、ないようにも感じます。しかし、よく見ると、「もとはっていえばおまえが悪いんだよ。おまえがいつか、ポチなんかいやな犬、あっち行けっていったじゃないか」という武男とその兄弟との喧嘩での会話や、ポチの普段の仕草や癖を描いている箇所があり、そこから日常のポチという像が浮き彫りになってくるのです。そして、ポチが衰弱するにつれて武男を中心にポチを労る姿から、読者は武男一家のポチへの思いを読み取り、更にそこから日常のポチの姿を思い起こし、感動するのです。
勝負事ー菊池寛
著者はある一人の友人から、勝負事についてこんな話を聞きました。「私」の家では勝負事に関してどんな些細なことでも戒めてられていました。そして、ある時「私」は何故自分の家が勝負事に厳しいのか知ることになります。それは、「私」が学校の修学旅行を目前に控えていた頃の話です。当時、「私」は修学旅行を楽しみにしており、どうしても同級生と共のそれに行きたい様子。ところが、「私」の両親いわく、「私」の家は貧乏で「私」を修学旅行に行かせてあげられるような余裕はありません。更にその貧乏になった原因は彼の祖父の勝負事にあるというのです。一体どういうことでしょうか。
この作品の面白さは、〈勝負事と祖父に対する印象の変化〉にあります。
そもそもこの祖父という人物は、元来「私」の家へ他から養子に来た人なのですが、三十前後までは真面目一方であった人が、ふとしたことから、賭博の味をおぼえると、すっかりそれに溺れてしまって、家の物を何もかも売ってしまったそうです。ですが、そんな祖父ものある転機が訪れます。それは彼の祖母の死に他なりません。彼女は祖父に対して、「わしは、お前さんの道楽で長い間、苦しまされたのだから、後に残る宗太郎やおみねだけには、この苦労はさせたくない。わしの臨終の望みじゃほどに、きっぱり思い切って下され』と、説得し、賭博を止めさせたのでした。以来、祖父は賭博らしい賭博は一切やっていません。
しかし、彼の晩年で例外がひとつだけあります。それは、子供の頃の「私」と藁の中から、一本の藁を抜いてその長さを競って遊んだ時のことです。この光景が、それまで悪いものとして扱われていた、勝負事と祖父の印象を一転させ、良いものへと印象を変えさせてくれます。そこにこの作品の面白さがあるのです。
この作品の面白さは、〈勝負事と祖父に対する印象の変化〉にあります。
そもそもこの祖父という人物は、元来「私」の家へ他から養子に来た人なのですが、三十前後までは真面目一方であった人が、ふとしたことから、賭博の味をおぼえると、すっかりそれに溺れてしまって、家の物を何もかも売ってしまったそうです。ですが、そんな祖父ものある転機が訪れます。それは彼の祖母の死に他なりません。彼女は祖父に対して、「わしは、お前さんの道楽で長い間、苦しまされたのだから、後に残る宗太郎やおみねだけには、この苦労はさせたくない。わしの臨終の望みじゃほどに、きっぱり思い切って下され』と、説得し、賭博を止めさせたのでした。以来、祖父は賭博らしい賭博は一切やっていません。
しかし、彼の晩年で例外がひとつだけあります。それは、子供の頃の「私」と藁の中から、一本の藁を抜いてその長さを競って遊んだ時のことです。この光景が、それまで悪いものとして扱われていた、勝負事と祖父の印象を一転させ、良いものへと印象を変えさせてくれます。そこにこの作品の面白さがあるのです。
2011年2月10日木曜日
猿面冠者ー太宰治
どんな小説を読ませても、はじめの二三行をはしり読みしたばかりで、もうその小説の楽屋裏を見抜いてしまったかのように、鼻で笑って巻を閉じる傲岸不遜の男がいました。彼はいかなる時でも文学作品の台詞を引用し、自身の世界に浸っています。そして、著者はそんな彼がもし小説を書いたならば、どのような作品が出来るのだろうか、と考え始めます。果たして彼はどのような作品を書き上げたのでしょうか。
この作品では、〈失敗するまで自分の実力が分からなかった、ある文学好きの男の姿〉が描かれています。
結論から言えば、彼の小説は「男は書きかけの原稿用紙に眼を落してしばらく考えてから、題を猿面冠者とした。それはどうにもならないほどしっくり似合った墓標である、と思ったからであった。」とあるように失敗に終わります。ですが、それまで彼は自身の小説と才能に自身を持っていました。何故彼は失敗するまで、自分の実力が分からなかったのでしょうか。
例えばあるお父さんは野球が好きで、毎日テレビでその試合を見ながら、監督の戦略や選手の批評をしているものですが、実際にそんなお父さんがプレーしてみるとプロと同じような珠を投げれるでしょうか。恐らく無理でしょう。お父さんは、プロの選手がボールを投げるとき、どのタイミングで腰をひねっているのか、手首を曲げているのか、どのような姿勢で投げているのかを全く知らないでしょう。これはプロの選手、つまり実際に体験した者でなければ、分からない事なのです。そして、このような一見しただけでは捉えにくい誤差が重なり、ボールの速さ、回転の違いという結果に繋がってくるのです。
そして、物語の彼についても同じことが言えます。確かに彼は文学作品を他人よりも多く読んでいるかもしれませんが、彼は文学作品を最後まで創作したことがない故に、創作の上での細やかな技術が読み取れなかったのでしょう。また彼はその細やかな技術が見えていないために、文学作品を創作することが簡単だと思い込んでしまっていたことも、自分の実力が分からなかった要因になっています。つまり、もう一度例に戻ってみれば、彼にはピッチャーが、単にキャッチャーに向けてボールを思いっきり投げているようにしか見えていなかったのです。その証拠に、彼は「やはり小説というものは、頭で考えてばかりいたって判るものではない。書いてみなければ。」と、あたかも何に注意しなくとも、小説は書けると考えているようです。これでは、多くの文学作品が同じレベルに見えても可笑しくありませんし、自分のレベルすら分からなくて当然です。そして、そんな彼だったからこそ、結果的に失敗するまで、自分の実力に一切気づかなかったのです。
この作品では、〈失敗するまで自分の実力が分からなかった、ある文学好きの男の姿〉が描かれています。
結論から言えば、彼の小説は「男は書きかけの原稿用紙に眼を落してしばらく考えてから、題を猿面冠者とした。それはどうにもならないほどしっくり似合った墓標である、と思ったからであった。」とあるように失敗に終わります。ですが、それまで彼は自身の小説と才能に自身を持っていました。何故彼は失敗するまで、自分の実力が分からなかったのでしょうか。
例えばあるお父さんは野球が好きで、毎日テレビでその試合を見ながら、監督の戦略や選手の批評をしているものですが、実際にそんなお父さんがプレーしてみるとプロと同じような珠を投げれるでしょうか。恐らく無理でしょう。お父さんは、プロの選手がボールを投げるとき、どのタイミングで腰をひねっているのか、手首を曲げているのか、どのような姿勢で投げているのかを全く知らないでしょう。これはプロの選手、つまり実際に体験した者でなければ、分からない事なのです。そして、このような一見しただけでは捉えにくい誤差が重なり、ボールの速さ、回転の違いという結果に繋がってくるのです。
そして、物語の彼についても同じことが言えます。確かに彼は文学作品を他人よりも多く読んでいるかもしれませんが、彼は文学作品を最後まで創作したことがない故に、創作の上での細やかな技術が読み取れなかったのでしょう。また彼はその細やかな技術が見えていないために、文学作品を創作することが簡単だと思い込んでしまっていたことも、自分の実力が分からなかった要因になっています。つまり、もう一度例に戻ってみれば、彼にはピッチャーが、単にキャッチャーに向けてボールを思いっきり投げているようにしか見えていなかったのです。その証拠に、彼は「やはり小説というものは、頭で考えてばかりいたって判るものではない。書いてみなければ。」と、あたかも何に注意しなくとも、小説は書けると考えているようです。これでは、多くの文学作品が同じレベルに見えても可笑しくありませんし、自分のレベルすら分からなくて当然です。そして、そんな彼だったからこそ、結果的に失敗するまで、自分の実力に一切気づかなかったのです。
2011年2月6日日曜日
おぎんー芥川龍之介(修正)
浦上の山里村に、おぎんと云う童女が住んでいました。彼女の両親は彼女を残したままこの世を去り、残されたおぎんはおん教を信仰しているじょあん孫七の夫婦の養女となります。三人は心からおん教の教えを信じ、村人に悟られないようひっそりと断食や祈祷を行い、幸せに暮らしていました。
ところが、ある年のクリスマスの夜、何人かの村人が孫七の家を訪れ、おん教のことがばれて彼らは捕らえられてしまいます。彼らはその後、その儘代官の屋敷に連れて行かれ、おん教を捨てされるべく、様々な責苦に遭わされました。しかし、彼らは一向に自分たちの信仰を捨てようとはしません。そこで代官は、一月彼らを土の牢に入れた後、焼き殺す事にしました。
そして一月後、全ての準備ができた時、ある役人の一人から「天主のおん教を捨てるか捨てぬか、しばらく猶予を与えるから、もう一度よく考えて見ろ、もしおん教を捨てると云えば、直にも縄目は赦してやる」と告げられます。そして、その言葉を聞いたおぎんの口から思わぬことが発せられます。
この作品では、〈恥とは〉ということが描かれています。
まず、上記にもあるように、ここでおぎんは自らの死を目前に控えている最中、予想外のことを役人に告げます。それは、なんと彼女はこれまでずっと信仰を捨てなかったおん教を、ここにきて捨てると言うのです。この台詞を聞いた人々は、彼女が悪魔に取り憑かれ、死を恐れているのではないかと考えています。「生きている両親」もその例外ではありません。ですので、彼らはおぎんにもう一度信仰の心を起こし、所刑にされるよう説得をはじめます。ところが、おぎんは死を恐れている訳ではありません。彼女は、自身がおん教を捨てる理由についてこう述べています。「あの墓原の松のかげに、眠っていらっしゃる御両親は、天主のおん教も御存知なし、きっと今頃はいんへるのに、お堕ちになっていらっしゃいましょう。それを今わたし一人、はらいその門にはいったのでは、どうしても申し訣がありません。」なんと彼女はおん教を知らなかった、「死んだ産みの親」の事を考えて、自ら天国に行くことを拒んでいるのです。そして、それだけではありません。彼女はその後に「どうかお父様やお母様は、ぜすす様やまりや様の御側へお出でなすって下さいまし。その代りおん教を捨てた上は、わたしも生きては居られません。………」と、今度は生きている親」の顔を立てる為、おん教を捨てた自分も死ぬと言っています。ここに彼女の恥というものが成り立っています。この場合、彼女はどんな状況でもおん教を信じ、天国にいけない事が恥だとは考えていません。むしろ、おん教を信じるが故に「死んだ両親」、「生きた両親」を見捨て、自分だけが助かろうとする行動にこそ、恥を感じているのです。だからこそ著者は末尾で、「これもそう無性に喜ぶほど、悪魔の成功だったかどうか、作者は甚だ懐疑的である」と述べているのです。自分だけが信仰を捨てず、天国に行くことが常に誉れだとは限らないのです。
ところが、ある年のクリスマスの夜、何人かの村人が孫七の家を訪れ、おん教のことがばれて彼らは捕らえられてしまいます。彼らはその後、その儘代官の屋敷に連れて行かれ、おん教を捨てされるべく、様々な責苦に遭わされました。しかし、彼らは一向に自分たちの信仰を捨てようとはしません。そこで代官は、一月彼らを土の牢に入れた後、焼き殺す事にしました。
そして一月後、全ての準備ができた時、ある役人の一人から「天主のおん教を捨てるか捨てぬか、しばらく猶予を与えるから、もう一度よく考えて見ろ、もしおん教を捨てると云えば、直にも縄目は赦してやる」と告げられます。そして、その言葉を聞いたおぎんの口から思わぬことが発せられます。
この作品では、〈恥とは〉ということが描かれています。
まず、上記にもあるように、ここでおぎんは自らの死を目前に控えている最中、予想外のことを役人に告げます。それは、なんと彼女はこれまでずっと信仰を捨てなかったおん教を、ここにきて捨てると言うのです。この台詞を聞いた人々は、彼女が悪魔に取り憑かれ、死を恐れているのではないかと考えています。「生きている両親」もその例外ではありません。ですので、彼らはおぎんにもう一度信仰の心を起こし、所刑にされるよう説得をはじめます。ところが、おぎんは死を恐れている訳ではありません。彼女は、自身がおん教を捨てる理由についてこう述べています。「あの墓原の松のかげに、眠っていらっしゃる御両親は、天主のおん教も御存知なし、きっと今頃はいんへるのに、お堕ちになっていらっしゃいましょう。それを今わたし一人、はらいその門にはいったのでは、どうしても申し訣がありません。」なんと彼女はおん教を知らなかった、「死んだ産みの親」の事を考えて、自ら天国に行くことを拒んでいるのです。そして、それだけではありません。彼女はその後に「どうかお父様やお母様は、ぜすす様やまりや様の御側へお出でなすって下さいまし。その代りおん教を捨てた上は、わたしも生きては居られません。………」と、今度は生きている親」の顔を立てる為、おん教を捨てた自分も死ぬと言っています。ここに彼女の恥というものが成り立っています。この場合、彼女はどんな状況でもおん教を信じ、天国にいけない事が恥だとは考えていません。むしろ、おん教を信じるが故に「死んだ両親」、「生きた両親」を見捨て、自分だけが助かろうとする行動にこそ、恥を感じているのです。だからこそ著者は末尾で、「これもそう無性に喜ぶほど、悪魔の成功だったかどうか、作者は甚だ懐疑的である」と述べているのです。自分だけが信仰を捨てず、天国に行くことが常に誉れだとは限らないのです。
2011年2月3日木曜日
おぎんー芥川龍之介
浦上の山里村に、おぎんと云う童女が住んでいました。彼女の両親は彼女を残したままこの世を去り、残されたおぎんはおん教を信仰しているじょあん孫七の夫婦の養女となります。三人は心からおん教の教えを信じ、村人に悟られないようひっそりと断食や祈祷を行い、幸せに暮らしていました。
ところが、ある年のクリスマスの夜、何人かの村人が孫七の家を訪れ、おん教のことがばれて彼らは捕らえられてしまいます。彼らはその後、その儘代官の屋敷に連れて行かれ、おん教を捨てされるべく、様々な責苦に遭わされました。しかし、彼らは一向に自分たちの信仰を捨てようとはしません。そこで代官は、一月彼らを土の牢に入れた後、焼き殺す事にしました。果たして彼らはこの儘焼き殺されてしまうのでしょうか。
この作品では、〈生きているとはどういう状態なのか〉ということが描かれています。
まず彼らは火あぶりにかけられた当日、全ての準備ができた後、ある役人の一人から「天主のおん教を捨てるか捨てぬか、しばらく猶予を与えるから、もう一度よく考えて見ろ、もしおん教を捨てると云えば、直にも縄目は赦してやる」と告げられます。そして、その言葉を聞いたおぎんの口から思わぬことが告げられます。なんとあれ程おん教を捨てることを拒んでいた彼女が、自分からそれを捨てると言い出したのです。これを聞いた二人は必死に彼女の説得に努めます。ですが、彼女の「お父様! いんへるのへ参りましょう。お母様も、わたしも、あちらのお父様やお母様も、——みんな悪魔にさらわれましょう。」という台詞を聞いたおすみ(孫七の妻)はおろか、あれ程意固地になっていた孫七も信仰を捨てる決意を固めたのです。
では、ここで最大の疑問は、やはりおぎんは何故信仰を捨てることになったのかということでしょう。そもそも彼らの論理性というものは、信仰であるものが善、そうでないものは悪というところに成り立っています。そして彼らにとって、信仰の為に命を捨てることは善であり、いかなる状況においても信仰を捨てることは悪であったはずです。ここまで読むと多くの読者は、尚更おぎんの決断に疑問を感じているはずです。ここで注目すべきは、「この眼の奥に閃いているのは、無邪気な童女の心ばかりではない。「流人となれるえわの子供」、あらゆる人間の心である。」というおぎんの表情について述べられている箇所です。つまり、察するに彼女は孫七達に信仰を捨てさせてまでも、生きて欲しいと考えているのです。
私たちは現在の世界に何故生きているのでしょうか。論理的に突き詰めても、その答えはでないでしょう。ですが、少なくとも生きていて良かったという感想を持っているからこそ、こうして生活していることは確かなことのはずです。しかし、そうであるにも拘らず、おぎんや孫七は信仰の為にその素朴な感想を捨て去り、死のうとしています。彼女はここに信仰というものの欠陥を見ているのです。私たちが生きていて良かったという感想を持っている限り、自ら死を選ぶことは難しいことなのです。
ところが、ある年のクリスマスの夜、何人かの村人が孫七の家を訪れ、おん教のことがばれて彼らは捕らえられてしまいます。彼らはその後、その儘代官の屋敷に連れて行かれ、おん教を捨てされるべく、様々な責苦に遭わされました。しかし、彼らは一向に自分たちの信仰を捨てようとはしません。そこで代官は、一月彼らを土の牢に入れた後、焼き殺す事にしました。果たして彼らはこの儘焼き殺されてしまうのでしょうか。
この作品では、〈生きているとはどういう状態なのか〉ということが描かれています。
まず彼らは火あぶりにかけられた当日、全ての準備ができた後、ある役人の一人から「天主のおん教を捨てるか捨てぬか、しばらく猶予を与えるから、もう一度よく考えて見ろ、もしおん教を捨てると云えば、直にも縄目は赦してやる」と告げられます。そして、その言葉を聞いたおぎんの口から思わぬことが告げられます。なんとあれ程おん教を捨てることを拒んでいた彼女が、自分からそれを捨てると言い出したのです。これを聞いた二人は必死に彼女の説得に努めます。ですが、彼女の「お父様! いんへるのへ参りましょう。お母様も、わたしも、あちらのお父様やお母様も、——みんな悪魔にさらわれましょう。」という台詞を聞いたおすみ(孫七の妻)はおろか、あれ程意固地になっていた孫七も信仰を捨てる決意を固めたのです。
では、ここで最大の疑問は、やはりおぎんは何故信仰を捨てることになったのかということでしょう。そもそも彼らの論理性というものは、信仰であるものが善、そうでないものは悪というところに成り立っています。そして彼らにとって、信仰の為に命を捨てることは善であり、いかなる状況においても信仰を捨てることは悪であったはずです。ここまで読むと多くの読者は、尚更おぎんの決断に疑問を感じているはずです。ここで注目すべきは、「この眼の奥に閃いているのは、無邪気な童女の心ばかりではない。「流人となれるえわの子供」、あらゆる人間の心である。」というおぎんの表情について述べられている箇所です。つまり、察するに彼女は孫七達に信仰を捨てさせてまでも、生きて欲しいと考えているのです。
私たちは現在の世界に何故生きているのでしょうか。論理的に突き詰めても、その答えはでないでしょう。ですが、少なくとも生きていて良かったという感想を持っているからこそ、こうして生活していることは確かなことのはずです。しかし、そうであるにも拘らず、おぎんや孫七は信仰の為にその素朴な感想を捨て去り、死のうとしています。彼女はここに信仰というものの欠陥を見ているのです。私たちが生きていて良かったという感想を持っている限り、自ら死を選ぶことは難しいことなのです。
2011年2月2日水曜日
あばばばばー芥川龍之介
安吉はある時、行きつけのお店に煙草を買いに行ったところ、いつも見慣れている眇の主人の代わりに西洋髪に結った若い女の姿を見ました。彼女は安吉が「朝日を二つくれ給へ。」というと、恥ずかしそうに接客をします。ですが、彼女は朝日を彼の前に出さず、違う商品を渡してしまうのです。そしてそれに気がつくと、彼女は顔を真赤にして謝り、一生懸命朝日を探します。女はいつ来てもこのような調子で、顔を真赤にしながら失敗ばかりする始末。
ですが、その翌年の正月、女はそのお店から突然姿を消してしまいます。さて、彼女はどうなったのでしょうか。
この作品では、〈必然とはどういうことか〉ということが描かれています。
まず、気になるのは女のその後ですが、安吉は二月の末に例の店の前で「あばばばばばば、ばあ!」と、再び赤子をあやしている彼女の姿を目撃します。そして、その時安吉は偶然彼女と目が合い、この瞬間、彼は彼女がいつものように顔を真赤にする様子を想像します。しかし、彼女の顔は一向に赤くならず、澄ましています。そして再び我が子をあやしはじめるのです。一体なぜ彼女は顔を赤らめなくなったのでしょうか。
その答えを紐解く最大のヒントは、安吉の心の声にあります。彼はこの時、「女はもう「あの女」ではない。度胸の好い母の一人である。一たび子の為になつたが最後、古来如何なる悪事をも犯した、恐ろしい「母」の一人である。」と赤ん坊の存在が彼女を変えたのだと指摘しています。では、赤ん坊は具体的にどのようにして女に影響を与えて行ったのでしょうか。
例えば、ある人物は大家族の一人で、他の兄弟達は大食いで、食事の際は彼らの好きなものから順番になくなっていきます。するとその人はこの大家族の中で、食事に関して得をしたいと思うならば、必然的に図々しく他の兄弟達よりも先に好きなものに手をつけなければならないということになります。そうして彼が図々しくなっていったとするのであれば、それは紛れもなくその兄弟達との関係性にあると言えます。
話をもとに戻すと、女の気質がかわったことも、まさに赤ん坊との関係性にあると言えます。女が以前のように、他人と話すときにいちいち顔を赤らめていたら、果たしてこの赤ん坊をまっとうに育てていけるのでしょうか。女は赤ん坊の存在を考えれば、どのような状況であれ、その子の前に立って引っ張っていかなければいけません。いちいち顔を赤らめている余裕すらないのです。
また、このように私たちは変えることの出来ない環境の中で、自身の性格が変わっていくことを〈必然〉と呼びます。まさに女の気質が変わったことはこの〈必然〉によるものなのです。
ですが、その翌年の正月、女はそのお店から突然姿を消してしまいます。さて、彼女はどうなったのでしょうか。
この作品では、〈必然とはどういうことか〉ということが描かれています。
まず、気になるのは女のその後ですが、安吉は二月の末に例の店の前で「あばばばばばば、ばあ!」と、再び赤子をあやしている彼女の姿を目撃します。そして、その時安吉は偶然彼女と目が合い、この瞬間、彼は彼女がいつものように顔を真赤にする様子を想像します。しかし、彼女の顔は一向に赤くならず、澄ましています。そして再び我が子をあやしはじめるのです。一体なぜ彼女は顔を赤らめなくなったのでしょうか。
その答えを紐解く最大のヒントは、安吉の心の声にあります。彼はこの時、「女はもう「あの女」ではない。度胸の好い母の一人である。一たび子の為になつたが最後、古来如何なる悪事をも犯した、恐ろしい「母」の一人である。」と赤ん坊の存在が彼女を変えたのだと指摘しています。では、赤ん坊は具体的にどのようにして女に影響を与えて行ったのでしょうか。
例えば、ある人物は大家族の一人で、他の兄弟達は大食いで、食事の際は彼らの好きなものから順番になくなっていきます。するとその人はこの大家族の中で、食事に関して得をしたいと思うならば、必然的に図々しく他の兄弟達よりも先に好きなものに手をつけなければならないということになります。そうして彼が図々しくなっていったとするのであれば、それは紛れもなくその兄弟達との関係性にあると言えます。
話をもとに戻すと、女の気質がかわったことも、まさに赤ん坊との関係性にあると言えます。女が以前のように、他人と話すときにいちいち顔を赤らめていたら、果たしてこの赤ん坊をまっとうに育てていけるのでしょうか。女は赤ん坊の存在を考えれば、どのような状況であれ、その子の前に立って引っ張っていかなければいけません。いちいち顔を赤らめている余裕すらないのです。
また、このように私たちは変えることの出来ない環境の中で、自身の性格が変わっていくことを〈必然〉と呼びます。まさに女の気質が変わったことはこの〈必然〉によるものなのです。
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