2014年11月1日土曜日

千代女ー太宰治

 12歳の少女である和子は、自身の綴り方が「青い鳥」という雑誌に掲載されて以来、人生が一変してしまいます。それまで他の少年少女と変わらない暮らしをしていたのですが、雑誌に文章が載った途端、周りの大人たちは彼女に文才があることを信じて疑いません。雑誌にコメントしている岩見先生は絶賛し、叔父や母は彼女に書くことを勧め、父は刺激が強すぎると頑なに書くことを否定し、学校の先生などは他の生徒達に綴り方そのものを黒板に書いて宣伝するのでした。
 ですが自身の文章に自信が持てない和子は、そうした大人たちの期待に押しつぶされそうになっていきます。ところが、そうして大人達が彼女に期待を持っていく中で、いつしか、否応なしに彼女は自ら筆を手に取るようになっていったのです。
 しかしいざ書いてみると、大人達は彼女の才能にいつしか諦めを覚えはじめます。叔父は興醒めしたかのように見放し、母は根気がないだけだと才能らしきものを無理にでも認めようとし、父は父でどちらでも良さそうに、「好きならやってみてもいいさ」と言うようになっていくのです。
 やがて、「自分の頭に錆びた鍋でも被っているような、とっても重くるしい、やり切れないものを感じ」はじめた彼女は、嘗て自分の文章を褒めてくれた岩見先生に、「七年前の天才少女をお見捨てなく」という手紙を書くのでした。
 一体彼女はこうも、ちぐはくな目にあっていったのでしょうか。

 この作品では、〈周りの大人達の期待に応えて自分を演じたが故に、かえって自分の拠り所を失っていった、ある少女〉が描かれています。

 この物語が大きく変化するところは、和子が自ら文章を書こうとしていくところにあり、そこに上記の疑問を解く鍵が隠されているのです。ですので、まずは彼女が自ら書こうとする前後の彼女と大人達の気持ちについて整理してみましょう。
 あらすじにもある通り、周りの大人達は和子の文章が「青い鳥」に掲載されたことにより、各々が大なり小なり彼女の才能を認めはじめていきます。そして父親を除く人々は、彼女が文章を書くことを望んでいくようになったのです。
 一方、当の和子はどうだったのでしょうか。彼女はそれまでの家族との暮らしに満足しており(※1)、綴り方を書くことはそうした家族のあり方とは相反するものだと考えていました。何故なら、彼女は自分に才能がないことを強く自覚しているからに他なりません。(※2)
 しかし周りの大人達は彼女にないものを、数年の間、強く要求してきました。そうした中で、父と母の言い争いはその都度起こり、彼女は嘗て心を休めていた場所を失っていくことを感じはじめます。
 そこで和子は才能がないことを自覚しながらも、家族という心の拠り所を取り戻すために、「天才少女」としての彼女を演じようとしたのです。
 ところがいざそれに応えようとすればする程、周りの反応は冷ややかで、諦めを感じはじめていきます。(※3)言わば「天才少女」としての居場所すらも、自分自身の能力を露呈してしまった為に失っていったのでした。
 その挙句、心の行き場を失ってしまった和子は、何処かにすがりつきたい一心で、嘗て自分の文章を褒めてくれた先生に対し、手紙を出さずににはいられなくなっていったのです。

注釈
1・以前はよかった。本当に、よかった。父にも母にも、思うぞんぶんに甘えて、おどけたことばかり言い、家中を笑わせて居りました。弟にも優しくしてあげて、私はよい姉さんでありました。

2・私は息がくるしくなって、眼のさきがもやもや暗く、自分のからだが石になって行くような、おそろしい気持が致しました。こんなに、ほめられても、私にはその値打が無いのがわかっていましたから、この後、下手な綴方を書いて、みんなに笑われたら、どんなに恥ずかしく、つらい事だろうと、その事ばかりが心配で、生きている気もしませんでした。

3・すると叔父さんは、それを半分も読まずに手帖を投げ出し、和子、もういい加減に、女流作家はあきらめるのだね、と興醒めた、まじめな顔をして言いました。 それからは、叔父さんが、私に、文学というものは特種の才能が無ければ駄目なものだと、苦笑しながら忠告めいた事をおっしゃるようになりました。かえっ て、いまは父のほうが、好きならやってみてもいいさ、等と気軽に笑って言っているのです。母は時々、金沢ふみ子さんや、それから、他の娘さんでやっぱり一 躍有名になったひとの噂を、よそで聞いて来ては興奮して、和子だって、書けば書けるのにねえ、根気が 無いからいけません、むかし加賀の千代女が、はじめてお師匠さんのところへ俳句を教わりに行った時、まず、ほととぎすという題で作って見よと言われ、早速 さまざま作ってお師匠さんにお見せしたのだが、お師匠さんは、これでよろしいとはおっしゃらなかった、それでね、千代女は一晩ねむらずに考えて、ふと気が 附いたら夜が明けていたので、何心なく、ほととぎす、ほととぎすとて明けにけり、と書いてお師匠さんにお見せしたら、千代女でかした! とはじめて褒めら れたそうじゃないか、何事にも根気が必要です、と言ってお茶を一と口のんで、こんどは低い声で、ほととぎす、ほととぎすとて明けにけり、と呟き、なるほどねえ、うまく作ったものだ、と自分でひとりで感心して居られます。

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