貧乏ながらも子煩悩で、子供が欲しがるものはなんでも買ってあげたくなる性分であるお里は、ある時、反物を番頭に黙って家に持ち帰ってしまいます。故意はなかったと弁解する妻に対し、夫である清吉は盗んできたのではと考え、彼女の買い物の様子に想像をめぐらすのでした。しかし妻の無罪を信じたい彼は、そうした自分の考えをすぐに捨て去ろうとします。
ですが、普段よりも妻の心臓の鼓動が激しい事やいちいちの行動が不自然な事が、清吉の猜疑心を大きくしていくのです。
そうしてあれやこれやと考えていると、反物が無防備にも誰の目にもつきやすい台所に置かれている事に彼は気が付きます。そこで清吉は壁の外側の戸袋に隙間を見つけ、妻のいない間にそこに隠してしまいました。ところがお里は反物が、自分が置いた場所にないことを知ると一切を悟り、夫に盗んだことを知られたショックで深く傷ついてしまうのです。
この作品では、〈悪事を働いたかもしれない妻を、頭の中で消そうとすればする程、かえって露呈させてしまった、ある夫〉が描かれています。
夫にとって、妻が盗みを働いた事実を知る事ははじめから容易であり、彼はその証拠を次々に見つけ出してしまうのでした。しかし彼はどういう訳か、妻の悪事を
「何でもない。下らないこった!」
「窃んだものじゃあるまい。買ったんだ。」
などと言ったり自分に言い聞かせたりして必死でもみ消そうとします。これはどういうことでしょうか。
「人間は正直で、清廉であらねばならないと思っていた。が今では、そんなものは、何も役に立たないことを知っていた。正直や清廉では現在食って行くことも出来ないのを強く感じていた。けれでも彼は妻に不正をすゝめる気持にはなれなかった。」と考えている清吉にとって、妻は清廉潔白でなければなりません。ですから幾ら情況証拠が揃っているとは言え、彼の中の「妻」像を守るために、清吉は妻の窃盗を認めるわけにはいかなかったのです。
しかしがお里が台所に反物を無防備にも置いていたところを発見した時、彼は咄嗟に別の場所へ隠してしまいます。幾ら盗んでいないと思おうとしても、次から次へと証拠が出てきはじめて以上、それを全て無かったことにすることは出来なかったのです。それは一度鉛筆で書いた箇所を消しゴムで消しても、消したところを注意深く見てしまうという心理状態に似通ったものがあるのでしょう。一度消してしまったものはかえってそこが目立ってしまう場合だってあるのです。
その結果、夫の心中を理解し布団の中で泣いている妻を見た時、清吉はこれ以上消しゴムで消すことが出来なくなり、妻の窃盗を認めずにはいられなくなっていったのでした。
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