2014年10月30日木曜日

鬼ー織田作之助(修正版)

 著者の知り合いの辻十吉という男は、世間では金銭に関しては抜目がなくちゃっかりしている、俗物作家だと思われていました。ですが実際はその逆で、彼は金銭に疎く、生活力のない、所謂ところの仕事人間だったのです。煙草がないと仕事が捗らないからと借金をしたり、身内が危篤でも仕事が終わらぬうちは腰をあげようとしなかったり、挙句の果てに、自分の結婚式には仕事が終わらぬからと2時間以上新婦やその縁者を待たせたりという始末でした。
 ですが、そんな彼も小説の話となると、お金の細かい感情を積極的に出来るのです。ある時、著者が闇市で証紙を売っていたという話を辻に話したところ、いつにもなく熱心に聞いてきました。その様子を著者が不思議に思い、買いにでもいくのかと尋ねると、
「誰が、面倒くさい、わざわざ買いに行くもんか。しかし、待てよ。こりゃ小説になるね」
 と言って、金銭に困った一家が千円分の証紙が出てきた事をきっかけに、家の経済を立て直すといったシナリオの子細を話しはじめます。(※)一体彼は何故、小説の話になると、あれ程興味を持たなかった金銭の話を進んですることが出来たのでしょうか。

 この作品では、〈創作にのめり込めばのめり込む程、自分の嫌いな分野でも興味を持てるようになっていった、ある作家〉が描かれています。

 あらすじにあった問題を解くにあたって、もう一度辻が小説の話をする前の出来事から整理していきましょう。それまで著者たちは、辻のズボラな金銭感覚について話していました。そして闇市で証紙を売っている話になると、彼が熱心に聞いてくるので著者が、
「いやに熱心だが、買いに行くのか」
 と訪ねます。しかし彼は、
誰が、面倒くさい、わざわざ買いに行くもんか。」
 と答えました。ところが次の自分の言葉で、辻の頭は創作活動の事で頭がいっぱいになります。
「しかし、待てよ。こりゃ小説になるね」
 一体この一言の前後で、彼の頭はどのように切り替わっていったのでしょうか。
 それを解くためには、まず作家がどのようなものを創作の対象にしているかについて押さえておかなければなりません。小説というものは当然、人間、或いは人間的な心を持った生物の心の変化やその時々の心情を対象に物語を綴っていきます。そしてそれらを書くためには、人間の気持ちがどんな時にどのように揺れ動くかや、日々の生活をどのような心情を持ちどのように過ごしているのかを知っておかなければならないのです。牛乳嫌いなカフェの経営者が、上質なミルクに拘るように、或いは虫嫌いな児童文学者が、自然の話を書くために虫の事を研究するように、この辻も必要に迫られた故に、問題意識が台頭した際、自分の主観を捨て去り客観的に対象と向き合っていきます。そして小説というフィルターを通して、証紙を見ていくようになっていったのでした。
 同じ証紙や金銭といった対象を見るときでも、それが小説のネタになるのか否かが、辻にとっては大きな問題だったわけです。しかし市井の生活を重視する私たちにとっては、そうした問題意識が働かずどれもが重要に見えるからこそ、彼のこうした行動が滑稽に見えてしまいます。ですがこれもひとつ、私達には違う、別の問題意識が働いているからこそなのです。

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