2014年11月3日月曜日

影法師ー豊島与志雄

 ある小さな村の東の端に、村一番の屋敷がり、その塀の広場は子供達の遊び場でした。ある時、長者の子供は塀の主であるお祖父さんに、「お祖父さん、僕にあの……東の塀を下さいよ」と言い、白い塀を借りて他の子供達と自分たちの影を墨で塗り写して遊びはじめたのです。これには周りの大人達も感心し、その様子を見守っていました。
 やがて塀が影の絵でいっぱいになりますと、今度はそれを動かす手はないのかと考えはじめます。すると、ある日見慣れない髪の長い男がやってきて、なんと影を動かしてやろうというのです。これには子供達も湧き上がりました。ところがそう言った次の日に、白い塀は男によって真っ黒に塗りつぶされていたのです。これには子供達も憤慨しはじめます。しかし太陽の光が黒い塀に反射すると、それぞれの影がそっくりそのまま映り込み、彼らが動くとまるで踊っているかのように影も動きました。これには子供達も大興奮です。
 後日、その話をお祖父さんにすると、「それはきっと、大変えらい人にちがいない。お前達はよいことを教わったものだ」と言ったのでした。

 この作品では、〈型破りに見える子供達の中にも、常識という言葉はある〉ということが描かれています。

 この作品に登場する子供達は、私達大人には思いつかない、白い塀に自分の影を写しとるという遊びをしていました。そしてお祖父さんをはじめとする周りの大人達も、矢張り私達と同じように、感心しながら子供達の遊びの行方を見守っていたのです。
 何故なら、私達大人には「常識」という観点が既に備わっているからに他なりません。塀を見ても「どうせこんなもの、道と家を仕切っておく以外に使い道はないだろう」や「一体こんなものを見て何が面白いのか」などということをはじめに考えるはずです。しかし子供達はそうした常識的な見方は持っておらず、周りにあるあらゆるものを自分たちの遊び道具につくりかえてしまいます。
 ところがそうした自由な発想を有している子供達にも、別の常識が備わっていました。それこそが、「黒い影を躍らせるために、塀を黒くしてはならない」ということだったのです。そしてお祖父さんが感心した、男の賢さも、そうした常識というものの見方が彼らの中にあるという事を分からせただけではなく、工夫次第で打ち破る事が出来るのだということを教えた事にあります。
 ですからお祖父さんは、男を「大変えらい人にちがいない」と思い褒めたのです。

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