今回の手紙において、サリバンは自身の教育論について、ある確信を得ます。それは、幼稚園の教具や教室の中での箱庭的な教育は必要ない、という事です。つまりビーズやカードであそんでみたり、優しい声で生徒と一緒に積み木遊びをするよりも、子どもの好奇心にまかせて現実の出来事に触れてみる方が子供の成長がはやい、と彼女は考えています。
どうやら、彼女はビーズ遊びや教室での教育が現実の一面を切り抜いてつくりあげられた理論の総体である、ということに問題を感じているようです。というのも、それらは一面では現実に即しているものの、別の一面から見れば誤謬も含まれています。またある場合には、理論そのものが適切でない時だってあるのです。よってそうした教育を受けてきた子供達が現実の対象と向き合った時、「あれ?今まで習ってきた事と何か違うぞ」と違和感を覚え、混乱してしまう可能性があります。
例えば医療関係者やある専門分野において仕事をされている方なら頷いて頂けると思うのですが、これまで習った看護論、介護論、教育論がその儘実践で使えるのかを考えてみれば分かりやすいかと思います。多くの場合、まずどの理論を適応すれば良いのかで混乱し、次に適応しても、もしそれが失敗した時、何が間違っていたのか分からず混乱するでしょう。
しかしここで注意して頂きたいのが、「やはり何事もやってみなくてはわからないものだな。だから理論なんていらなかったのだ。」という経験主義的な考え方に陥らない事です。そうして取り出してきた理論が間違いである場合も十分にあるのですから。
そしてサリバンの場合も、やはり経験主義的な立場からそのような事を言っているのではありません。彼女はあくまでこれまで培ってきた教育論をもとにして、現実のあり方をヘレンに正しく教えているのです。
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