2013年11月17日日曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年4月5日

 今回の手紙では、遂にヘレンは全てのものには名前があることを理解した、ということが綴られています。
 それでは早速、その内容を見ていみましょう、と言いたいところですが、その前にヘレンの「認識」では、これまで物質(現象)と名前にどのような繋がりを持っており、どのように変化していったのかを整理しながら見ていきたいと思います。

 はじめ彼女は直接的に自身の興味のあるものについての名前を指文字で習い、うまく書ければサリバンからそれらを受け取っていました。この時点ではヘレンは個々別々の指文字のあり方や形式を区別出来ていなったはずです。また指文字は何らかの記号や彼女の好きなものをあげるサインか何かだと捉えられ、書く行為自体が自身の好きなものと直接的に結び付けられていたことでしょう。

 ですが徐々に彼女の覚える記号が多くなるにつれて、aに触れればA、bに触れればBというように、あるパターンのようなものがぼんやりと概念として浮上してきはじめます。こうして記号と物質の繋がりは徐々に強くなっていきます。

 ところがそんな中、ある例外が発生してしまいます。彼女は湯のみに入ったミルクを、ミルクと湯のみとにうまく分離し区別出来なかったのです。そこでサリバンは井戸小屋に湯のみを持った彼女を連れて行き、水の出口に湯のみを持った手がくるよう誘導してやりました。やがて水は湯のみを満たし溢れだしてきます。この時サリバンはヘレンのもう片方の手に水(Water)と書いてやりました。この瞬間、ヘレンは湯のみを落とし、立ちすくんでしまいます。この時、ヘレンの頭の中では湯のみと水やミルクといった液体を分けて考える事が出来たのです。同時に彼女は、「このようなものにまで記号が存在するのであれば、もしかすると全てにあるのかもしれない。」という仮説を持ったことでしょう。事実、彼女はその後様々な物の名前を聴き覚えてしまったのです。

 こうして彼女は物質(現象)と記号の結びつきを強くし、それぞれを比較し区別していく中で、言葉の存在を知っていったのでした。

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