ある夏の朝、12歳くらいの少女7人が水を飲むために鼓(つづみ)が滝の途中にある泉までやってきました。彼女たちは皆自然と書かれた大きな銀の杯を持っており、それに水を汲み飲んでいます。そこに彼女たちと別の、第8の少女がやって来ました。彼女もやはり杯を持っていましたが、彼女のそれは他の7人のものとは違い、小さく溶岩の冷めたような色をしていました。7人はこの少女を警戒し、第8の少女の杯を見ると、それを罵倒しはじめました。そして、少女の中の1人が自分の杯を使うように第8の少女に促します。ところが、彼女は7人が知らない言葉でそれを拒み、自分の杯で水を飲むのでした。
この作品では〈敢えて相手に分からない言語を使うことで、自らの意思をより正確に伝えた、ある少女〉が描かれています。
この作品は、泉に水を飲みにきた7人の少女とその少女たちとは別で泉にやってきた第8の少女とで成り立っています。はじめ7人の少女は第8の少女を警戒していました。そして7人は彼女の持っている杯が自分たちのそれよりも小さく、色が美しくない事を指摘することで、自分たちと少女との間におおきな隔たりをつくりました。やがて、7人の中の一人がそんな少女に同情し、自分の銀の杯を彼女に渡そうとします。こうする事で彼女は第8の少女を自分たちの仲間として受け入れようしたのです。ところが少女は沈んだ鋭いフランス語で、「わたくしの杯は大きくはございません。それでもわたくしはわたくしの杯で戴きます」とそれを強く拒みました。彼女はこうしてフランス語を使う事で、日本語を使った場合よりも更に強い拒否を示したのです。というのも、日本語であるなら7人にも反論の余地がありました。しかし彼女は7人が知らないフランス語を敢えて使うことで、一切の反論を許しませんでした。また、言語が分からずともその口調で自分の気持を示す事で、彼女は7人に想像の余地を与えました。こうして彼女は自分の表現を7人に考えさせる事で、彼女の気持ちそのものを考えさせたようとしたのです。結果、第8の少女は7人の少女達の知らない言語を使うことで、自分の気持をより正確に伝える事に成功したのでした。
「敢えて〜」というからには、行動した当人が、自分のふるまいが相手にどう受け止められるか、ということを想定しておかねばならないのですが、「第八の娘」はそうではありませんね。
返信削除文中に「第八の娘の態度は第八の娘の意志を表白して、誤解すべき余地を留めない。」とあるとおり、彼女の堂々とした態度と声色が、その発話の内容を受け止められない者にとっても、ことば以上に雄弁であった、説得力を持ったものであった、と理解すべきです。
そのことが土台としてあり、その上で、聞きなれぬ外国語が、その説得力をより増大させたのだ、と整理しておくとよいでしょう。