フランツという少年はいつも同じ谷間に行って、「ハロルオ」と叫んで木精が返ってくることを楽しんでいました。ですが、彼は自身の成長と共にそうした習慣を失っていってしまいます。
そしてフランツが父の手伝いができるような年頃になった時、彼は久しく例の谷間に行って木精を試してみます。ところが、木精はいつまでたっても返ってきません。そこで彼は「木精は死んだのだ」と考え、一度は村の方へ引き返しました。しかし、どうしても木精の事が気になるフランツは、もう一度谷間へと行ってみます。すると彼の見たことのない子供たちが、かつての彼と同じように木精を楽しんでいるではありませんか。そしてそうした子供たちの姿を見たフランツは、木精が死んでいなかった事に対して喜びを感じつつも、自分では叫ぶ事はしない事を心に決めていきます。
この作品では、〈自分の木精が聞こえなくなった事により、自身の成長を感じている、ある青年〉が描かれています。
そもそもフランツが木精に対して楽しさを感じていたのは、声が反射する事そのものではなく、声が返ってくるというごく当たり前の事が当たり前にできているということでした。ところが、彼は久し振りに木霊を楽しもうとしたところ、その当たり前だと思っていた事ができなくなっていました。そして、一体何故木精が聞こえなくなったのか不思議に思っている彼の前に、木精を楽しんでいる子供たちが登場します。やがて彼は子供たちを観察する中で、目の前の子供たちとかつてそこで木精を楽しんでいた自分とを重ねていきます。そして、現在の自分に戻った彼は、かつて子供たちのように木精を楽しんでいた頃の少年時代の自分と、父の手伝いをして大人としての準備をしている現在の自分の立場を比較していきます。そうして次第にフランツは、大人として成長している自分が目の前の子供たちのように木精を楽しむべきではないと考え、叫ばない決意を固めていったのです。
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