2013年12月6日金曜日

雑記;実家について

 書き物のジャンルが多くなってきましたので、今回から雑記、評論といったように、タイトルの前にそれぞれの属性をつけていきたいと思います。定期的に読まれている読者の方々、今後もよろしくお願い致します。


 さて、ここからは私の近況となるのですが、現在関西を少しの間離れ、高知から執筆をしています。といいますのも、私の母が腸閉塞を患ってしまい、家の方でもいろいろと不都合が生じるだろうからと考えたからです。しかし私の予想とは裏腹に、母は食事制限がついているものの、仕事に行ったり料理をつくったりと平生となんら変わらない生活を送っています。
 彼女は10年前ぐらいに子宮を全摘出して以来、度々こうした病気にかかっているので、恐らく本人自身としてはうまくその要領を得て対処しているのでしょう。しかし他の家族は我が身ではないだけに、かえって気を遣ってしまうようなのです。父は母が再び腸閉塞と診断された時、慌てて私に電話し、私も急に心配になり一週間ばかり休みをとって帰ってきました。
 ですがだからといって、それらの心配が全くの杞憂であったとも言い難いことも事実です。母は無理をし過ぎると寝こむ時もあると言いますし、父は父で母がいない間にカップ麺を大量に買っていたのでした。
 そして私の急な帰郷は、私の家族に思わぬ変化をもたらしています。母は私が夕飯をつくっていると嬉しそうにしているのです。私は素直ではありませんので黙って料理をつくります。普段口数の少ない父は、とてもくつろいだ表情で箸をとりながら団欒に交じってくるのです。そして弟は、なんだかんだといって私のつくったものを食べませんでしたが、今では黙って箸をつけ、残した時は「ごめん」と一言いいます。
 土佐の潮風は冷たい冬の中をのんびりゆったり吹いて、私達の村を包んでいます。そしてそれは私達の心の中をも通り、あらゆるものもを取り払い、調和だけをそこに残していくのです。






余談;最後に先日友人と宇佐というところに行き、貝を食べてきましたので、その画像を添付しておきます。場所は南国から宇佐へ、国道23号線を走らせたところにある、「萩の茶屋」というところです。ここで私は、「トコブシ」(高知では「ナガレコ」と呼ぶ方が一般的です。)と呼ばれる貝を推薦しておきます。これはアワビと同じ種類の貝なのですが、栄養価はこちらの方が高いそうです。食感はアワビと同じく弾力のある歯ごたえをしており、焼いても美味しいですし、煮物にして食べるところもあります。こちらでは特性のタレにつけて食べることが出来ます。



次にこれは宇佐から帰る途中に見つけた、龍馬空港の近くにある喫茶店(場所は分かりづらいところにある為、あらかじめインターネット等で調べて行かれる事をお薦めしておきます。)、「えんのお菓子屋さん」のかぼちゃのタルトとアッサムです。ここは店内がとても静かで、特にいつも通勤時間電車に乗っていたり、人が絶えることのないチェーン店で働いている方々にとっては、そうした忙しさを忘れさせてくれるはずです。私が行った時だけかもしれませんが、そこにはお店のおばさんがお菓子づくりをしながら聞いているラジオの音しかしませんが、それがかえって高知ののどかさを演出してくれています。そして肝心のお菓子の味は、控えめな甘さですが、かぼちゃの甘さはそれでも十分に口に広がっていました。付け合せのシャーベットもさっぱりしているので、紅茶や珈琲は砂糖がなくともその香りや苦味を堪能できるでしょう。

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年6月5日

 ヘレンはここのところ、自身の掌の中で卵からひよこがかえる瞬間を観察して以来、生命の誕生について興味をもちはじめたようです。そして、それらは「豚の赤ちゃんは卵の中で大きくなるの?たくさんの殻はどこにあるの?」といったように、大人の私達でも用意には答えられないものばかり。恐らく、彼女が自身の誕生の起源について興味を持ちはじめる時も、そう遠くはないでしょう。

2013年12月2日月曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年6月2日

 ヘレン・ケラーの勉強に対する意欲と能力には目を見張るものがあります。彼女は夜中でも寝る間を惜しんで読書をしようとし、知らない単語を文章全体の文脈から掴んでくる力も持ち合わせているのです。
 しかしその一方で、サリバンは人々のそうしたヘレンに向けられる眼差しに注意を払っています。彼女は自身がこれまで教育してきたヘレンを、「神童」にはしたくないのだというのです。結論だけ見れば、確かにヘレンは目が見えず耳が聞こえず、他の子供達よりも非常に大きなハンデを抱えています。だからこそ、彼女のそうした熱意や能力の高さに、人々は目を引かれてしまいます。ですが、ここまで本書を読んだ読者の方なら分かるかとは思いますが、彼女のそうした才能というものは、教育というそれなりの必然性、合理性があってこそのものなのです。サリバンが一番懸念しているのは、それら、つまり彼女の教育論そのものが無視され、神童ヘレン・ケラーという結果だけが後世に残っていってしまうことに他なりません。
 ヘレンが神童となっていったのは、決して彼女側の条件だけが優れていたのではなく、教育によって成し得られた業績の結果なのだという事は、何よりも一番押さえておかなければならないでしょう。

2013年11月30日土曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年5月22日

 現在のヘレンは、野性的な段階から人間的な段階へと進化していっていますが、「物を壊す」という癖については中々なおらないようです。これは、彼女がこれまでそうしてそれがなんであるかということを確かめてきた、壊すことによって自身の感情をコントロールしてきたという習慣からきています。ですがサリバンの教育によって、彼女はものを壊さずとも、征服されることによって自分の感情をコントールする術を身につけてきましたし、文字を書いたり読んだりすることで子供特有の有り余るエネルギーを発散することだって今では出来るのです。あとは「物を壊す」という形式を捨てさせれば良い事になります。
 そこでサリバンは友人が新しい人形を持ってきてくれた事を機会に、ヘレンに人形を叩きつける動作をさせて、「だめ、だめ、ヘレンはいけない子だ、先生は悲しい」と綴り、悲しそうな表情をしました。またその後、彼女に人形を愛撫させ、キスさせた上で、「ヘレンは良い子、先生は嬉しい」と綴り、サリバン自身の笑った表情に触れさせました。こうする事で、ヘレンの頭の中に、自身のすべきではない像とそうあるべき像を描かせようとしたのです。これは、彼女はまだ自身のあるべき理想の像というものをうまく描けないという事情からそうしています。そして彼女自身もサリバンのこうした試みをよく理解したらしく、洋服ダンスの一番上の棚にのせ、その後は全く触ろうとはしませんでした。

2013年11月25日月曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年5月16日

 ヘレンが言葉を使いはじめてからというもの、彼女はサリバンとの会話を楽しんでいるようです。そしてサリバンはそのような彼女との授業をすすめていくうちに、「ことばと思考」の関係について着目していくようになります。
 私達が会話をする時、まず現実の物事や現象と向き合い、それを頭の中(思考)で整理し、その上で言葉として表現するものです。そしてこれらは思考から言葉へ、また言葉から思考へと互いに移行しあっています。例えばヘレンがサリバンと波止場のそばにあった泉を「感じた」時、「リスのカップ」(squirrel-cup)と表現しました。これはリスがここに水を飲みに来るというサリバンの話から、彼女はリスの水飲み場という意味を込めてそう言ったのでしょう。ここで注目して頂きたいのは、ヘレンは泉や水飲み場といった適切な表現を使わずにカップと言いました。恐らくこれは適切なことばを知らなかったことと、彼女の詩的な世界観がこのような表現を生み出したのです。まさに彼女の思考が彼女独自のことばを生み出しています。
 ですが現段階でのヘレンの表現が拙いのも事実です。そこでサリバンは彼女の表現した言葉を受けて、単語や文章を補います。こうすることで彼女の思考は新たな単語や表現で満たされていくのです。つまりこれは先程の思考から言葉への逆の流れを辿っています。
 そしてこうした交通を経ることによって、ヘレンの思考はより豊かになり、語彙も増えていくことでしょう。ですからサリバンは、「ことばが思考を生むとは何てすばらしいことでしょう!」と述べていたのです。

2013年11月22日金曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年5月8日

 今回の手紙において、サリバンは自身の教育論について、ある確信を得ます。それは、幼稚園の教具や教室の中での箱庭的な教育は必要ない、という事です。つまりビーズやカードであそんでみたり、優しい声で生徒と一緒に積み木遊びをするよりも、子どもの好奇心にまかせて現実の出来事に触れてみる方が子供の成長がはやい、と彼女は考えています。
 どうやら、彼女はビーズ遊びや教室での教育が現実の一面を切り抜いてつくりあげられた理論の総体である、ということに問題を感じているようです。というのも、それらは一面では現実に即しているものの、別の一面から見れば誤謬も含まれています。またある場合には、理論そのものが適切でない時だってあるのです。よってそうした教育を受けてきた子供達が現実の対象と向き合った時、「あれ?今まで習ってきた事と何か違うぞ」と違和感を覚え、混乱してしまう可能性があります。
 例えば医療関係者やある専門分野において仕事をされている方なら頷いて頂けると思うのですが、これまで習った看護論、介護論、教育論がその儘実践で使えるのかを考えてみれば分かりやすいかと思います。多くの場合、まずどの理論を適応すれば良いのかで混乱し、次に適応しても、もしそれが失敗した時、何が間違っていたのか分からず混乱するでしょう。
 しかしここで注意して頂きたいのが、「やはり何事もやってみなくてはわからないものだな。だから理論なんていらなかったのだ。」という経験主義的な考え方に陥らない事です。そうして取り出してきた理論が間違いである場合も十分にあるのですから。
 そしてサリバンの場合も、やはり経験主義的な立場からそのような事を言っているのではありません。彼女はあくまでこれまで培ってきた教育論をもとにして、現実のあり方をヘレンに正しく教えているのです。

2013年11月19日火曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年4月24日

  前回の手紙では、ヘレンは言葉が話せそうで話せない、ちょうど曖昧な段階にありましたが、今回の手紙では拙いながらも言葉でサリバンと会話している様子が綴られています。そしてこのヘレンの教育成果から、以下の2つの事が読み取れるでしょう。
 ひとつはヘレンの理解できる範囲に合わせて彼女に話しかけてきた、サリバンの目とその方針の確かさ。
 そしてもうひとつは、ヘレンが動物的な段階から完全に決別し、人間的な社会性を身につけつつある、ということです。サリバンはこれをひな鳥が空を飛ぶことに例えて、たった一文で説明しています。
 私達が人間の社会で生きていく上で最も重要な能力とは、コミュニケーション能力に他なりません。それは学校で友達と話す時、仕事で依頼を請け負う時、買い物をする時、家族に自分の意思を伝える時等、人間として暮らす上では欠くことの出来ない能力なのです。しかしヘレン場合、これまで自分の意思を一方的に汲み取らせる事で、その必要性を無視してきました。否、知ることもなかったはずです。ですがサリバンとの数週間の暮らしによって、服従という社会関係を学んできた事によって、自分のやり方以外で交渉する術を学ばなければならないことを自然と知っていったのでしょう。これは力関係が自分よりも上の者とやりとりする場合、相手の意図を知り、従う必要があるからです。
 また指文字の存在も忘れてはなりません。サリバンは事あるごとにヘレンの掌に指文字を書き、そのものの名前や現象を教えていました。そして、ヘレンがそれを言葉として受け止めた時、今度は指文字で話しかけはじめました。このようにして、サリバンはヘレンに言葉の存在とその使い方について教えていったのです。
 こうしてヘレンは自然と自分とは違った交渉の仕方を学んでいく過程の中で、言葉というコミュニケーションのあり方にいきついたのでした。