2017年2月3日金曜日

仇討三態ーその二ー菊池寛(修正版)

   鈴木忠二郎、忠三郎の兄弟の弟は、敵討ちの旅に出て八年の後、親の仇である和田直之進の居場所を突き止める事が出来ました。しかし一人討つのでは、当座にいない兄の無念を考え、途中別れた道を戻り、迎えに行く事にしたのです。ところが二人がその場に行きついた時には、直之進は既に病死していたのでした。そして兄弟は八年の旅が徒労に終わった事、仇討ちを果たせなかった事の無念という苦い韮を噛み締めながら、故郷へ帰っていったのでした。
   故郷に帰った彼らを待っていたのは、人々の罵詈雑言の数々でした。敵討を躊躇している間に死なれた、或いは病死した者が本当に和田直之進とも確認せずに帰参した。一番酷いものでは、兄弟は八年の敵討ちに飽きておめおめと帰ってきたのだという者までいます。ですが兄弟が一番悲しかったのは、そうした疑いを晴らす機会が、永久に来ない事でした。
   そして兄弟の味わうべき韮は、まだ尽きてはいません。彼らと同藩である久米幸太郎兄弟は、実に三十余年の月の末、敵討ちを果たし帰ってきたのです。彼らの栄光を比較する為、市井の人々は鈴木兄弟を引き合いに出して噂しました。韮はそれだけではありません。実は鈴木と久米は遠い縁者であり、忠二郎は敵討ちをの祝いの席に出席せねばならなかったのです。忠二郎は、ここで欠席すれば、人々から新たに後ろ指を指される種を自らつくってしまうと思い、必死の覚悟で酒宴に連なりました。
   その当日、夜も更け、客が一人一人と抜けていく中で、それを見計らって久米幸太郎から酒を一杯貰いにいきました。その際、「御不運のほどは、すでにきき及んだ。御無念のほどお察し申す」と彼を労わりました。この真摯な同情のこもった言葉を聞いた忠二郎は、つい愚痴っぽくなり、幸太郎達を羨ましがったのです。彼は男泣きに泣きました。しかし幸太郎は制するように、
「何を仰られるのじゃ。一旦敵を持った者に幸せなものがござろうか。御身様などは、まだいい。御身様は物心ついた七歳の時から四十七歳の今日まで、人間の定命を敵討ばかりに過ごした者の悲しみをご存じないのじゃ。」
   と、大粒の涙を零しながら言いました。忠二郎は傷ついた胸が和らぐような想いがすると共に、幸太郎と共に涙を流したのです。

   この作品では、「仇討ちの失敗が、かえって成功者との理解を深めていくきっかけとなっていった、ある敵討ち」が描かれています。

   感情の理解という意味において、この作品の中で主体的に動いている人物は、忠二郎ではなく、主に幸太郎の側です。ですので、ここはひとまず、幸太郎の中で、忠二郎の内面をどのように見つめていったのかを整理していく事が妥当でしょう。
   そしてその大きな手助けとなったものが、敵討ちの失敗でした。同じ敵討ちという目標を掲げて故郷を出発したにも拘わらず、自分たちは成功し、鈴木兄弟は失敗した事に関して、幸太郎は同情を寄せずにはいられなかったはずです。そうして彼は自らの体験をもとにして、忠二郎の内面を追体験しはじめます。しかし、彼の八年という旅路が徒労に終わり、人々から受ける屈辱に耐えなければならぬ兄弟に同情する一方で、一方引いた視点から更に自分達の旅路と彼らの旅路の比較をした事でしょう。そして自分たちの三十余年という、自分たち敵討ちの特殊的な在り方を再確認したのです。
   またそれを受けた忠二郎にも変化が当然にありました。それまで自分達の無念ばかりに囚われて、自分の世界に閉じこもっていた彼にとって、幸太郎の「何を仰られるのじゃ。一旦敵を持った者に幸せなものがござろうか。(以下略)」という言葉は、自分知らない痛みがまだあったのか、という衝撃があったはずです。そして互いの、誰にも知り得る事の出来ない痛みが、互いにある事を忠二郎は知った為に、共感の涙を流す事が出来たのでした。

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