ヘレン・ケラーの勉強に対する意欲と能力には目を見張るものがあります。彼女は夜中でも寝る間を惜しんで読書をしようとし、知らない単語を文章全体の文脈から掴んでくる力も持ち合わせているのです。
しかしその一方で、サリバンは人々のそうしたヘレンに向けられる眼差しに注意を払っています。彼女は自身がこれまで教育してきたヘレンを、「神童」にはしたくないのだというのです。結論だけ見れば、確かにヘレンは目が見えず耳が聞こえず、他の子供達よりも非常に大きなハンデを抱えています。だからこそ、彼女のそうした熱意や能力の高さに、人々は目を引かれてしまいます。ですが、ここまで本書を読んだ読者の方なら分かるかとは思いますが、彼女のそうした才能というものは、教育というそれなりの必然性、合理性があってこそのものなのです。サリバンが一番懸念しているのは、それら、つまり彼女の教育論そのものが無視され、神童ヘレン・ケラーという結果だけが後世に残っていってしまうことに他なりません。
ヘレンが神童となっていったのは、決して彼女側の条件だけが優れていたのではなく、教育によって成し得られた業績の結果なのだという事は、何よりも一番押さえておかなければならないでしょう。
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