江戸牛込二十騎町の旗本、「鳥居孫太夫」の家では、客も絶えた正月五日の晩、奉公人達が祝いの酒を囲っていました。興は衰えることなく、皆が気を良くしているところに、料理番の嘉平次までもがたまらなくなってやってきました。彼は奉公人達に煽てられ、徐々に気を良くしていきました。その様子を見ていた人々は次第に、このまま彼を煽てて遊んでやろうという心が芽生えはじめます。その中でもお庭番の中間の、
「なんでもお前さんは、若い時は大名のお膳番を勤めたことがあるそうだが、本当かな!」
「お膳番といえば、立派なお武士だ!」
などという言葉はより嘉平次を優越感を満たしました。しかし、これらは彼の嘘であり、実際にお膳番として出世したお武士は、彼の旧主の「鈴木源太夫」だったのです。
そのうち、話は何故彼がそんな立派な役職を棒に振ったのか、という話題へと移り変わっていきます。彼は、源太夫の逸話からそれらしいものを探そうとしました。ですが、実際のところ、源太夫は当時「幸田某」の妻と横恋慕をして、聞き入れて貰えなかった腹いせに旦那をきってしまったという、武士の逸話としてはあまりに不始末なものだったのです。そこで嘉平次は、源太夫が、正確には自分がお武士でありながらお膳番として働いている事を貶され、口論の末に切ってしまった事にしたのでした。そしてその証拠として、彼は二の腕の傷を見せました。これは無論、別につくったのでしたが、人々を納得させるには充分な効果を持っていました。
ところが、彼の嘘というものは真実味を帯び過ぎていました。というのも、なんと幸田某の娘、「おとよ」が嘉平次を自身の敵討ちと勘違いして殺してしまったのです。更に不幸な事に、この敵討ちは江戸の隅々にまで知れ渡ってしまい、嘉平次は本当に鈴木源太夫として裁かれたのでした。
この作品では、「他人の人生を借りて自慢してしまったが故に、他人の業まで背負わなければならなくなっていった、ある料理番」が描かれています。
この作品による最大の不幸は、嘉平次の一時の優越感に浸りたいという、誰しもが少しは抱く出来心が、人々の心に真実としてすっかり定着し、その挙句に殺されてしまったというところにあります。そして多くの読者は、多少なりとも、「何も殺されなくてもよかったのに」という想いを抱くことでしょう。
しかし敢えて嘉平次に非を見出すとするならば、鈴木源太夫の人生の背後に何かが潜んでいるのかを考えず、ただ、お武士である、大名のお膳番であるといった表の部分のみを追いかけてしまっていたところにあるのです。例えば芸能人というものは一見華やかな世界であり、自身の生まれながらの個性を修正されることなく、維持したまま、それを商品として稼いでいる姿は多くの人々にとって憧れの人生としてうつっている事でしょう。ですが、自分自身が商品であるという事は、一般人よりも、その人生が傷つく事を決して許されるようなものではないという事です。その証拠に、不倫や不祥事に関して人々は敏感で、一旦傷がついてしまうと活動を自粛したり、時には商品として扱う事が出来なくなります。
そうした憧れの目でしまう事は決して悪い事でありませんが、羨ましがってばかりでその裏側が見えないのは如何なものでしょうか。そしてこの物語の嘉平次の失敗というものは、極端な例ではありますが、そうした表面だけを愛でるような生き方をして来なかったからこそ、そうした顛末しかまっていなかったのです。
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