今回の手紙でも、ヘレンの内面における劇的な変化が綴られています。
彼女はこれまでナプキンをまともにつけず、顎に挟んで食事をとっていました。ところが今回サリバンとある交渉をしたことによって、ちゃんとつけるようになったのです。そして重要なのは、その交渉の内容にあります。これまで彼女は自分流のやり方でのみ、欲しいものを手に入れてきました。それは一番はじめの3月6日の手紙を読んでも明らかです。
その日、サリバンは彼女に人形(doll)と綴らせた後に、人形を与えようとしました。ところが指文字どころかサリバンのしようとしている事すらも分からないヘレンは、人形を取り上げられてしまうと思って急に怒りだしてしまいました。これは彼女の交渉の手段が非常に限られており、彼女の望む回答以外の行動だった為にそうなってしまったのです。
しかし今回はどうでしょうか。ヘレンはナプキンをつけることを拒んだ後に、指文字の授業をしていました。その最中、彼女は何かを閃き、ナプキンをつけてケーキを催促しはじめます。ケーキをくれればいい子になると言っているのです。これは大きな変化と見てよいでしょう。何故なら、これまで自分のルールでしか交渉してこなかった彼女が、何か言う事をきけば自分の好きなものをくれるという、サリバンのルールを自ら採用したのですから。
こうしてヘレンはサリバンに服従したことによって、以前よりもはるかに、簡単に、自分の好きなものを手に入れる事が出来るようになっていったのです。
2013年11月11日月曜日
2013年11月9日土曜日
ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月20日(修正版)
前回の、ヘレンの止むを得ないとも言える模倣は、ついに彼女の精神にも影響を及ぼすようになっていったようです。あれほど暴れまわっていた野生動物は、今では晴れやかで幸福そうな顔つきで編み物をしたり膝の上に乗ったりするのだと言います。これは恐らく、サリバンとの征服する、されるという社会関係が明確になっていく中で、あらゆる動作における社会性というものも、同時に理解していったのでしょう。
実際、ヘレンは自身の家で飼っている犬に対して、サリバンが自分にしたのと同じように、指文字を教えようとしていました。これは自身とサリバンとの社会性をある一定のレベルまでは理解している、証拠のひとつとして挙げても良いでしょう。つまり彼女はサリバンの「分からない人に何かを教える」(文字を教わっているとは、この時点では理解してはいません。)という表現をある段階までは理解したのと同じように、他人に笑顔を向けたり膝の上に乗ったりといった表現についても、同じレベルで理解していったのです。
実際、ヘレンは自身の家で飼っている犬に対して、サリバンが自分にしたのと同じように、指文字を教えようとしていました。これは自身とサリバンとの社会性をある一定のレベルまでは理解している、証拠のひとつとして挙げても良いでしょう。つまり彼女はサリバンの「分からない人に何かを教える」(文字を教わっているとは、この時点では理解してはいません。)という表現をある段階までは理解したのと同じように、他人に笑顔を向けたり膝の上に乗ったりといった表現についても、同じレベルで理解していったのです。
2013年11月6日水曜日
淡路自転車旅行のお礼など
先月に続き、今月もコメント者とその親戚の方々とで淡路に行ってきました。旅行に参加された皆さん、自転車に不慣れであるとはいえ、私が思っている以上のご迷惑をお掛けした事でしょう。また同時に、後方から漕いでくる私をいつも暖かく迎え励ましてくれたにも感謝しています。特にコメント者は私につかず離れずで共に走ってくださっていました。自転車の走行中以外にも、様々な場面でフォローをして下さったようにも存じます。お恥ずかしながら、なんと表現して良いのか、分からない程です。
旅とは、私達が普段過ごしている日常を離れ、別の観点から日常を見つめる事だと思います。今回の旅で、私は改めて自分が思っている以上に他人に助けられていることに気づきました。まずは自分の目の前の課題をひとつひとつこなしていくことで、恩を返していきたいと思います。
最後になりましたが、何かと不出来な人間ではありますが、これからも自身の身には大き過ぎる夢に邁進してゆくことを記し、筆を置きたいと存じます。
旅とは、私達が普段過ごしている日常を離れ、別の観点から日常を見つめる事だと思います。今回の旅で、私は改めて自分が思っている以上に他人に助けられていることに気づきました。まずは自分の目の前の課題をひとつひとつこなしていくことで、恩を返していきたいと思います。
最後になりましたが、何かと不出来な人間ではありますが、これからも自身の身には大き過ぎる夢に邁進してゆくことを記し、筆を置きたいと存じます。
2013年11月5日火曜日
ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月13日(修正版2)
前回のサリバンの思いきった舵取りは、どうやら順調に進んでいるようです。というのも、彼女たちはこの日と前日において、なんのいさかいも起こしていません。これはサリバンが力によってヘレンをうまく服従させていることと同時に、ヘレンが欲求を抑えはじめている事を意味します。
また「つたみどりの家」に来て以来、彼女の内面にある小さくも大きな変化がある事も見逃してはなりません。ヘレンは、サリバンには分からない、いろいろな身振りをするようになっていったのです。サリバンはこれを、「つたみどりの家」のいろいろな人たちを表す動作なのだと推察していきます。
恐らくサリバンに服従していく中で、彼女は有り余る体力を持て余していくようになっていったのでしょう。ですがこれまでの方法ではサリバンに強制的に止められてしまいます。そこで彼女は自然と、自分と同じ人間であろう人々の行動を、興味を抱きながら真似ていったのでしょう。(※ここで注意しなければならないのは、ヘレンは目的的に発散の仕方を学ぼうとしたのではなく、あくまで感性的に真似をしようとしただけなのだということです。)そしてサリバンはこれをヘレンに知性が宿る兆しとして見ている様子。その結果がどうなっていったのかについては、次の手紙で見ていきたいと思います。
また「つたみどりの家」に来て以来、彼女の内面にある小さくも大きな変化がある事も見逃してはなりません。ヘレンは、サリバンには分からない、いろいろな身振りをするようになっていったのです。サリバンはこれを、「つたみどりの家」のいろいろな人たちを表す動作なのだと推察していきます。
恐らくサリバンに服従していく中で、彼女は有り余る体力を持て余していくようになっていったのでしょう。ですがこれまでの方法ではサリバンに強制的に止められてしまいます。そこで彼女は自然と、自分と同じ人間であろう人々の行動を、興味を抱きながら真似ていったのでしょう。(※ここで注意しなければならないのは、ヘレンは目的的に発散の仕方を学ぼうとしたのではなく、あくまで感性的に真似をしようとしただけなのだということです。)そしてサリバンはこれをヘレンに知性が宿る兆しとして見ている様子。その結果がどうなっていったのかについては、次の手紙で見ていきたいと思います。
2013年10月31日木曜日
ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月11日(修正版2)
今回の手紙では、冒頭に2人は「つたみどりの家」と呼ばれている、ケラー屋敷から1/4マイルばかり離れたところにある一軒家に暮らす事になったことが報告されています。というのも、これは、サリバンがヘレンを家族と一緒に暮らした儘では真っ当な意味での教育は望めないと考えたからに他なりません。
ヘレンを取り巻く家族たちは、家の中に争い事を持ち込みたくないが為に、兄のジェイムズ以外、これまで誰も彼女の意思に本気で逆らおうとはしませんでした。彼女と家族との社会関係というものは家族の努力でのみ成立してきたのです。つまりヘレンの社会性というものは全く育っておらず、彼女はただ欲求を満たすことだけに専念すれば良いことになります。そして、こうした環境でいくらサリバンが熱心に教育しようとしても、当然彼女はそれをうまく受け取ることは出来ないでしょう。
そこでサリバンは、彼女をそうした環境から一度離し、力をもって服従させようとしました。そうすることで、自分の意思だけではうまくいかない、思い通りにならない事、自分と同じ、あるいはそれ以上の意思が存在することを理解させ用としたのです。そしてそれらを理解する中で、彼女は他人や社会というものの存在を徐々に、少しずつ意識していく事でしょう。
ヘレンを取り巻く家族たちは、家の中に争い事を持ち込みたくないが為に、兄のジェイムズ以外、これまで誰も彼女の意思に本気で逆らおうとはしませんでした。彼女と家族との社会関係というものは家族の努力でのみ成立してきたのです。つまりヘレンの社会性というものは全く育っておらず、彼女はただ欲求を満たすことだけに専念すれば良いことになります。そして、こうした環境でいくらサリバンが熱心に教育しようとしても、当然彼女はそれをうまく受け取ることは出来ないでしょう。
そこでサリバンは、彼女をそうした環境から一度離し、力をもって服従させようとしました。そうすることで、自分の意思だけではうまくいかない、思い通りにならない事、自分と同じ、あるいはそれ以上の意思が存在することを理解させ用としたのです。そしてそれらを理解する中で、彼女は他人や社会というものの存在を徐々に、少しずつ意識していく事でしょう。
2013年10月27日日曜日
ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月月曜の午後(修正版2)
今回の手紙では、ヘレンとの朝の食事風景が綴られています。そしてその第一文を見ると、彼女の作法はあまりに凄まじく、それをサリバンが力づくで抑えようとした為に大喧嘩をしたというのです。もし本書を一読した読者がいたなら、前回の手紙にあった、ある2文をここで想起するのではないでしょうか。
力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。
上記の2文では、ヘレンを基本的には力づくで教育するつもりはないが、必要な場合は服従させることもある、ということを述べています。
ではその線引は一体どのように行なわれているのでしょうか。前回の手紙を見る限りでは、サリバンの手から鞄を取り上げようとした時、紙の上やインクなどに手を突っ込んだ時などは、決して力づくで教育しようとはしませんでした。しかし今回の食事の件は、サリバンから見た時にとても容認できるものではなかったようです。一見、表現だけ見ればどれもヘレンが単純に自身の欲求を満たしているだけに見えてしまいます。ですが、鞄の時もインクの時も、同じ欲求でも、「鞄の中には何があるのかな」、「壷の中はどうなっているのかな」といった、好奇心という人間らしい感情があることも押さえておかなければなりません。
しかし今回の食事の件はどうでしょうか。そもそも彼女の作法というものは、他人の皿に手をつっこみ、勝手にとって食べ、料理の皿がまわってくると、手づかみで何でも欲しいものをとる、というものでした。恐らくこの時の彼女の頭の中は、ただ「食べたい」という動物的な欲求でいっぱいだったことでしょう。そして彼女はこうした作法と欲求を、生まれてから約7年の間、持ち続けてきました。つまり彼女の食事作法の土台というものは、動物的な欲求と、それからくる荒々しい食べ方によって出来上がってきつつあるのです。ですからこの後、幾ら歪んだ土台の上から教育しようとしても、崩れ落ちるのは目に見えています。だからこそサリバンは、ヘレンの作法を土台から改善すべく、力づくで教育しようとしたのです。
力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。
上記の2文では、ヘレンを基本的には力づくで教育するつもりはないが、必要な場合は服従させることもある、ということを述べています。
ではその線引は一体どのように行なわれているのでしょうか。前回の手紙を見る限りでは、サリバンの手から鞄を取り上げようとした時、紙の上やインクなどに手を突っ込んだ時などは、決して力づくで教育しようとはしませんでした。しかし今回の食事の件は、サリバンから見た時にとても容認できるものではなかったようです。一見、表現だけ見ればどれもヘレンが単純に自身の欲求を満たしているだけに見えてしまいます。ですが、鞄の時もインクの時も、同じ欲求でも、「鞄の中には何があるのかな」、「壷の中はどうなっているのかな」といった、好奇心という人間らしい感情があることも押さえておかなければなりません。
しかし今回の食事の件はどうでしょうか。そもそも彼女の作法というものは、他人の皿に手をつっこみ、勝手にとって食べ、料理の皿がまわってくると、手づかみで何でも欲しいものをとる、というものでした。恐らくこの時の彼女の頭の中は、ただ「食べたい」という動物的な欲求でいっぱいだったことでしょう。そして彼女はこうした作法と欲求を、生まれてから約7年の間、持ち続けてきました。つまり彼女の食事作法の土台というものは、動物的な欲求と、それからくる荒々しい食べ方によって出来上がってきつつあるのです。ですからこの後、幾ら歪んだ土台の上から教育しようとしても、崩れ落ちるのは目に見えています。だからこそサリバンは、ヘレンの作法を土台から改善すべく、力づくで教育しようとしたのです。
2013年10月24日木曜日
秋深きー織田作之助
医者に肺が悪いと診断されてしまった著者は、病気を癒すために温泉へと旅立ちます。
そんな彼はその旅行先で奇妙な夫婦に出くわすのでした。というのもこの夫婦、妻は妻で夫の事を、教養がなく下劣であると影で罵ります。一方の夫は妻のことを、不幸話で男の気を引こうとするろくでもない女だというのです。しかし彼らはこうもお互いの事を嫌いながらも、別れようとはしない様子。寧ろ、彼らは子どもをつくるために、著者と同じ温泉に来ているのですから。(※)
そしてそんな夫婦と出くわし、振り回される中で、著者はお互いが嫌っているにも拘わらず、離れないこの夫婦の謎を自然と理解していくのでした。
この作品では、〈お互いの欠点を知りすぎているあまり、かえって離れられなくなっていった、ある夫婦〉が描かれています。
上記の謎を解き明かしていくために、もう一度2人の欠点を整理してみましょう。
夫;教養がない。
妻;不幸話で男の気を引こうとする。
そしてこれらの欠点は、作中を見る限りでもよく表れています。夫は肺には石油が効くのだという、なんら根拠もない事を自慢するかのように著者に聞かせ、執拗にすすめてくるのです。
一方妻も、そんな不出来な夫の事を話し、自分を不幸だと言って著者の気を引こうとしている節が見受けられます。
では何故彼らはここまでお互いの欠点をよく知っているにも拘わらず、一緒にいるのでしょうか。それはそこまでお互いの事を知っているからに他ならないのです。これは妻の下記の台詞に顕著に表れています。
「何べん(結婚を)解消しようと思ったかも分れしまへん。」
(中略)
「それを言い出すと、あの人はすぐ泣きだしてしもて、私の機嫌とるのんですわ。私がヒステリー起こした時は、ご飯かて、たいてくれます。洗濯かて、せえ言うたら、してくれます。ほんまによう機嫌とります。」
彼女は自分がどういう行動をとれば、夫がどのような行動をとるのかを深く理解しているのです。それが分かるまでは、夫の欠点というものが嫌で嫌で仕方がなかったことでしょう。ですがある時点から、「私がこう動けば、夫はこうするのではないのか」という像がだんだんと明確になっていき、自然と対処できるようになっていきます。そして気持ちの面でも、そうした行動にいちいち「またか」と呆れながらも、どこかでは「いつもの事だろう」と思うようになっていくのです。その証拠に、あれ程お互いを罵り合っていたにも拘わらず、作品の最後では、2人はあたかも打ち合わせをしたかのように、オーバーなリアクションで著者に別れを告げています。そしてこの様子を見ていた著者は、良くも悪くも「似合いの夫婦」と評さずにはいられず、この光景を客観的に見ている読者は、滑稽さを感じずにはいられなくなっていくのです。
注釈
※妻の話では、その温泉は子どもをつくるのに良いとのこと。子宝に恵まれていなかった夫婦は、そのためにそこを訪れていたのです。
そんな彼はその旅行先で奇妙な夫婦に出くわすのでした。というのもこの夫婦、妻は妻で夫の事を、教養がなく下劣であると影で罵ります。一方の夫は妻のことを、不幸話で男の気を引こうとするろくでもない女だというのです。しかし彼らはこうもお互いの事を嫌いながらも、別れようとはしない様子。寧ろ、彼らは子どもをつくるために、著者と同じ温泉に来ているのですから。(※)
そしてそんな夫婦と出くわし、振り回される中で、著者はお互いが嫌っているにも拘わらず、離れないこの夫婦の謎を自然と理解していくのでした。
この作品では、〈お互いの欠点を知りすぎているあまり、かえって離れられなくなっていった、ある夫婦〉が描かれています。
上記の謎を解き明かしていくために、もう一度2人の欠点を整理してみましょう。
夫;教養がない。
妻;不幸話で男の気を引こうとする。
そしてこれらの欠点は、作中を見る限りでもよく表れています。夫は肺には石油が効くのだという、なんら根拠もない事を自慢するかのように著者に聞かせ、執拗にすすめてくるのです。
一方妻も、そんな不出来な夫の事を話し、自分を不幸だと言って著者の気を引こうとしている節が見受けられます。
では何故彼らはここまでお互いの欠点をよく知っているにも拘わらず、一緒にいるのでしょうか。それはそこまでお互いの事を知っているからに他ならないのです。これは妻の下記の台詞に顕著に表れています。
「何べん(結婚を)解消しようと思ったかも分れしまへん。」
(中略)
「それを言い出すと、あの人はすぐ泣きだしてしもて、私の機嫌とるのんですわ。私がヒステリー起こした時は、ご飯かて、たいてくれます。洗濯かて、せえ言うたら、してくれます。ほんまによう機嫌とります。」
彼女は自分がどういう行動をとれば、夫がどのような行動をとるのかを深く理解しているのです。それが分かるまでは、夫の欠点というものが嫌で嫌で仕方がなかったことでしょう。ですがある時点から、「私がこう動けば、夫はこうするのではないのか」という像がだんだんと明確になっていき、自然と対処できるようになっていきます。そして気持ちの面でも、そうした行動にいちいち「またか」と呆れながらも、どこかでは「いつもの事だろう」と思うようになっていくのです。その証拠に、あれ程お互いを罵り合っていたにも拘わらず、作品の最後では、2人はあたかも打ち合わせをしたかのように、オーバーなリアクションで著者に別れを告げています。そしてこの様子を見ていた著者は、良くも悪くも「似合いの夫婦」と評さずにはいられず、この光景を客観的に見ている読者は、滑稽さを感じずにはいられなくなっていくのです。
注釈
※妻の話では、その温泉は子どもをつくるのに良いとのこと。子宝に恵まれていなかった夫婦は、そのためにそこを訪れていたのです。
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