医者に肺が悪いと診断されてしまった著者は、病気を癒すために温泉へと旅立ちます。
そんな彼はその旅行先で奇妙な夫婦に出くわすのでした。というのもこの夫婦、妻は妻で夫の事を、教養がなく下劣であると影で罵ります。一方の夫は妻のことを、不幸話で男の気を引こうとするろくでもない女だというのです。しかし彼らはこうもお互いの事を嫌いながらも、別れようとはしない様子。寧ろ、彼らは子どもをつくるために、著者と同じ温泉に来ているのですから。(※)
そしてそんな夫婦と出くわし、振り回される中で、著者はお互いが嫌っているにも拘わらず、離れないこの夫婦の謎を自然と理解していくのでした。
この作品では、〈お互いの欠点を知りすぎているあまり、かえって離れられなくなっていった、ある夫婦〉が描かれています。
上記の謎を解き明かしていくために、もう一度2人の欠点を整理してみましょう。
夫;教養がない。
妻;不幸話で男の気を引こうとする。
そしてこれらの欠点は、作中を見る限りでもよく表れています。夫は肺には石油が効くのだという、なんら根拠もない事を自慢するかのように著者に聞かせ、執拗にすすめてくるのです。
一方妻も、そんな不出来な夫の事を話し、自分を不幸だと言って著者の気を引こうとしている節が見受けられます。
では何故彼らはここまでお互いの欠点をよく知っているにも拘わらず、一緒にいるのでしょうか。それはそこまでお互いの事を知っているからに他ならないのです。これは妻の下記の台詞に顕著に表れています。
「何べん(結婚を)解消しようと思ったかも分れしまへん。」
(中略)
「それを言い出すと、あの人はすぐ泣きだしてしもて、私の機嫌とるのんですわ。私がヒステリー起こした時は、ご飯かて、たいてくれます。洗濯かて、せえ言うたら、してくれます。ほんまによう機嫌とります。」
彼女は自分がどういう行動をとれば、夫がどのような行動をとるのかを深く理解しているのです。それが分かるまでは、夫の欠点というものが嫌で嫌で仕方がなかったことでしょう。ですがある時点から、「私がこう動けば、夫はこうするのではないのか」という像がだんだんと明確になっていき、自然と対処できるようになっていきます。そして気持ちの面でも、そうした行動にいちいち「またか」と呆れながらも、どこかでは「いつもの事だろう」と思うようになっていくのです。その証拠に、あれ程お互いを罵り合っていたにも拘わらず、作品の最後では、2人はあたかも打ち合わせをしたかのように、オーバーなリアクションで著者に別れを告げています。そしてこの様子を見ていた著者は、良くも悪くも「似合いの夫婦」と評さずにはいられず、この光景を客観的に見ている読者は、滑稽さを感じずにはいられなくなっていくのです。
注釈
※妻の話では、その温泉は子どもをつくるのに良いとのこと。子宝に恵まれていなかった夫婦は、そのためにそこを訪れていたのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿