物語は、明日斬首刑となる『私」が、何故首をはねられることとなったのか、という経緯を遺書として書かれる事で展開していきます。そしてその遺書は、彼はこの事件を何故自分が引き起こしたのか、自分でも分からないから論理的(※1)に解いて欲しい、という願いを書いた上ではじまっているのです。
子供の頃から大人しく、動物好きだった「私」は、成人してから、自身の奥さんとともに実に様々な動物を飼っていました。中でも黒い大きな猫は「私」から特に気に入られており、「プルートゥ」と呼ばれ親しまれていました。
ところがその「プルートゥ」と親交を深めていった頃、「私」は酒乱して、あれほど可愛がっていた動物を虐待していくようになっていきました。「プルートゥ」もその例外ではありません。はじめはそうした心遣いもありましたが、次第にそれすら失っていったのです。
そしてある時、「私」はひょんな事がきっかけで例の癇癪を起こして、なんと「プルートゥ」の目をえぐりとってしまいます。この時、「私」はひどく後悔しましたが、「天邪鬼の心持ち」(※2)の為に、再び「プルートゥ」を虐待しはじめ、遂には涙を流しながらも猫の首を吊って殺してしまいます。
その後、彼の家は原因不明の火事で焼けてしまいますが、焼けた壁から「私」は巨大な猫の焼痕を発見します。それは「私」に恐怖と混乱をもたらしました。しかし時間が経つにつれて、「私」は「プルートゥ」を殺してしまったことに対して、後悔しはじめ、似たような猫を探し求めはじめます。やがて「私」は「プルートゥ」と似た猫を見つめ、家で飼う事にしたものの、どういう訳か、その猫に恐怖を感じはじめます。そして恐怖は、猫の首筋から自分がつけた縄の痕を発見したことで怒りへと変わり、「私」は再び猫に手をあげ、それを庇った奥さんを殺してしまいました。
こうして殺人を犯した彼は、死体を家の壁に塗りこんで隠しましたが、警官が彼の家を捜索しにきた時、「私」は一つの、恐ろしい声(※3)を壁から聞いた為に動揺し、犯行がばれて、斬首刑を待つ身となっていったのです。
この作品では、〈後悔の念が強いあまり、かえって自らの異常性を認めなければならなかった、ある男〉が描かれています。
あらすじにもある通り、「私」は遺書の冒頭で、自分が何故あのような犯行に及んでしまったのか、何故このような運命を辿ってしまったのか、是非解いてもらいたいという願いを書いていました。今回はそんな「私」の思いに答える形で、その謎を解き明かしていきたいと思います。
そもそもこの彼の疑問というものは、あれ程やさしく、動物が好きであった自分が、何故動物を虐待し、殺人を犯し斬首刑にならなければならなかったのか、というところにあります。そして、彼はどうやらその原因を「天邪鬼の心持ち」なのではないか、というところまではつきとめているようですが、具体的にそれがどのようなものなのかがわからない様子。では、この「天邪鬼の心持ち」とは一体どのようなものなのでしょうか。
そもそもこの心持ちが起こったのは、彼が「プルートゥ」の目をえぐってしまった後に感じはじめます。その直前までは、彼は後悔していた訳ですが、その後、どういうわけか、してはいけないからする、「プルートゥ」が何もいていないから殺す、といった、通常とは逆の発想の展開をしていくようになっていきました。つまり彼の異常性は、彼が後悔したところからはじまっている、ということになります。では何故彼は後悔しているにも拘わらず、そのような恐ろしい考えと行動をとるようになってしまったのか。それは、その彼の後悔というものが、あまりにも大きかったからに他なりません。つまり、彼は強く後悔しているからこそ、彼が「プルートゥ」にやってしまった異常な行動が、深い傷として見えてしまっているのです。そしてその傷は、これまで可愛がっていたにも拘わらず、彼自身が片目をくりぬいてしまった「プルートゥ」を見る度に、嘗ての優しかった自分と、異常な行動をとってしまった自分とを頭の中で比較することで、より深くなっていきます。やがて彼は、こうして現在の自分と過去の自分とを比較していく中で、その傷がどのようにしても消えないものだと悟ると、最早過去の自分には戻れない事を理解し、残虐で異常な自分というものを認めていかなければならなかったのです。こうようにして、彼は理性の上で自分の異常性を認めて、そうした自分を想像し、つくりあげていきました。ですから彼は理性の上では、「プルートゥ」を殺す際に涙を流しながらも、ここで殺すことをやめても嘗ての自分には戻れないという思いから、留まることはできなかったのです。
また、こうしてひとつの謎が解けると、私達が考えていたであろう他の謎も次々と解けていくはずです。焼けた家の壁から猫の焼痕が残っていた、奥さんを埋めた壁から奇妙な声を聞いた等怪奇現象は、彼の後悔の強さからきているものでしょうし、黒い猫を飼いはじめた途端に再び異常な彼が現れたのは、それまで薄れていた、嘗ての自分には戻れない、だから残虐になる他ないという思いが、黒い猫を見る度に再び強くなっていったのでしょう。そして異常な彼が再び現れる過程の中で、黒い猫を恐れていたのは、そうした自分自身を垣間見るのが、理性の上で恐ろしかったからに他なりません。
まさにこの悲劇は、彼の後悔というものがそれ程までに強すぎたことが裏目にでてしまっていたことから起こっているのです。
※注釈
1・――多くの人々には恐ろしいというよりも怪奇(バロック)なものに見えるであろう。今後、あるいは、誰か知者があらわれてきて、私の幻想を単なる平凡なことにしてしまうかもしれぬ。――誰か私などよりももっと冷静な、もっと論理的な、もっとずっと興奮しやすくない知性人が、私が畏怖をもって述べる事がらのなかに、ごく自然な原因結果の普通の連続以上のものを認めないようになるであろう。
2・この心持を哲学は少しも認めてはいない。けれども、私は、自分の魂が生きているということと同じくらいに、天邪鬼が人間の心の原始的な衝動の一つ――人の性格に命令する、分つことのできない本源的な性能もしくは感情の一つ――であるということを確信している。してはいけないという、ただそれだけの理由で、自分が邪悪な、あるいは愚かな行為をしていることに、人はどんなにかしばしば気づいたことであろう。人は、掟を、単にそれが掟で あると知っているだけのために、その最善の判断に逆らってまでも、その掟を破ろうとする永続的な性向を、持っていはしないだろうか? この天邪鬼の心持が いま言ったように、私の最後の破滅を来たしたのであった。なんの罪もない動物に対して自分の加えた傷害をなおもつづけさせ、とうとう仕遂げさせるように私 をせっついたのは、魂の自らを苦しめようとする――それ自身の本性に暴虐を加えようとする――悪のためにのみ悪をしようとする、この不可解な切望であったのだ。ある朝、冷然と、私は猫の首に輪索をはめて、一本の木の枝につるした。――眼から涙を流しながら、心に痛切な悔恨を感じながら、つるした。――その猫が私を慕っていたということを知っていればこそ、猫が私を怒らせるようなことはなに一つしなかったということを感じていればこそ、つるしたのだ。――そうすれば自分は罪を犯すのだ、――自分の不滅の魂をいとも慈悲ぶかく、いとも畏るべき神の無限の慈悲の及ばない彼方へ置く――もしそういうことがありうるなら――ほどにも危うくするような極悪罪を犯すのだ、ということを知っていればこそ、つるしたのだった。
3・私の打った音の反響が鎮まるか鎮まらぬかに、その墓のなかから一つの声が私に答えたのであった! ――初めは、子供の啜り泣きのように、なにかで包まれたような、きれぎれな叫び声であったが、それから急に高まって、まったく異様な、人間のものではない、一つの長い、高い、連続した金切声となり、――地獄に墜ちてもだえ苦しむ者と、地獄に墜して喜ぶ悪魔との咽喉から一緒になって、ただ地獄からだけ聞えてくるものと思われるような、なかば恐怖の、なかば勝利の、号泣――慟哭するような悲鳴――となった。
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