2012年10月15日月曜日

イオーヌィチーアントン・チェーホフ

 近頃S市の近くに引っ越してきたばかりの医師、ドミートリイ・イオーヌィチはトゥールキン家の主人、イヴァン・ペトローヴィチから彼の家に招かれていました。人々の話によるとトゥールキン家の人々は皆、芸術に関して一技一芸を持っており、S市では最も教養と才能のある家で是非伺わなければならないということだったので、イオーヌィチはその招待を受けることにします。そして彼はトゥールキン家の人々と交際していく中で、ピアノが堪能な娘のエカテリーナ・イヴァーノヴナに惹かれていくのでした。ですが音楽学校に進学しピアノで名声や成功、自由を掴むつもりでいた彼女自身は、彼と結婚すればそれが叶わないだろうと考え拒みます。
 やがて彼の恋が破れて4年がたった頃、イオーヌィチはいよいよS市の人々に嫌気が差してきます。というのも、Sの人々は彼に比べて無学、無教養な人々ばかりでカルタとお酒遊びに没頭ばかりだったのです。ですから教養人の彼としてはS市の人々と馬が合わず、カルタ遊びとお金の収集を唯一の楽しみにしていました。
 そんなある時、イオーヌィチはトゥールキン家からの招待状を受け受け取ることになります。そこには嘗ての最愛の人、エカテリーナの字もありました。実は彼女はその後音楽学校に入ったものの、夢破れて今は自身の家に帰ってきていたのです。彼は4年間の間に、トゥールキン家をたった2度しか訪れていなかった事もあり、迷ったものの、招待を受けることを決意していきました。果たして今度こそ彼の恋は成就するのでしょうか。

 この作品では、〈俗人を嫌うあまり、かえってその俗人以上の俗人になってしまった、ある男〉が描かれています。

 イオーヌィチの恋の行方に関してもの申す前に、もう一度彼とS市の人々との4年間の触れ合いについて考えてみましょう。彼はそもそもS市の人々の、無学で無教養なところを嫌っていました。そしてS市の人々の方も、イオーヌィチが教養あふれる人物である為に、彼とあまり話が弾まず、『高慢ちきなポーランド人』と評していくようになっていきました。こうしてS市の人々とイオーヌィチの間には、大きな壁が出来上がっていったのです。
 しかしS市の人々を彼は嫌いつつも、その習慣を嫌うことはなく、自然とカルタ遊びに没頭し、芝居や音楽を遠ざける事を自分の生活に取りいれていきました。そう、彼はS市の人々の性質を嫌いながらも、そうした性質がこうした習慣の中で形成されていった事を理解していなかったのです。ですから彼自身もそうした習慣を通じて、徐々に俗人と化していきます。そして更に悪い事は、イオーヌィチのS市の人々に対する気持ちが彼の俗人化に拍車をかけてしまった、ということです。というのも、上記の性質から彼の立場としては、どうしてもS市の人々と一線を画す必要があります。そこで彼は自身の地位によって、人々との格差を広げるという考えに至ったのでしょう。そうして彼は自分とS市の人々区別することで、彼らとは違った俗人へとなり、S市民の人々は愚劣な俗人であるという図式をつくっていったのです。
 そんなある時です。彼はトゥールキン一家から招待を受けたことで、エカテリーナとの再会を果たします。しかし俗人と化したイオーヌィチには、S市でも教養があるトゥールキン家も、最早彼らがS市民である以上、無教養な芸術家かぶれの家族にしか見えなかったのです。ですがエカテリーナにだけは彼の心を開きかけていました。というのも彼がそもそも俗人となったのは、教養なきS市民の中で暮らす孤独からきていました。そして芸術に関心を持ち、嘗てS市を離れる事を羨望していたエカテリーナは、彼にとって自身の俗人化を止め得る最後の砦のようなものだったのです。ですが彼女自身、夢が破れた為に、以前のような音楽への熱心さ、S市を離れる気持ち、そのどちらともが弱くなり失われつつあると知ると、彼は再び心を閉ざしていきます。この時、彼の中では彼女もまた、愚劣なS市民になってしまったのでしょう。
 こうしてイオーヌィチはS市の人々という俗市民を嫌うあまり、彼ら以上の俗市民にならなければならなかったのです。

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