この作品では著者が昨今の新聞社やラジオ局の物語の作品募集のやり方について、物申しています。というのも、それらのあるやり方が物語の面白さを失わせ、物語でなくしているというのです。では、それらの具体的にどのようなやり方が、そうさせているのでしょうか。
この作品では、〈あらゆる物語の重要性は、形式よりも内容にある〉ということが主張されています。
上記にある、著者が物申したいあるやり方とは、作品に対する制限、特に文字数に関して物申しています。そもそも書き手の側からすれば、作品の重要性は文字数などといった形式にあるわけではなく、言うまでもなくその内容にあります。それを文字数を制限される事によって、その内容の重要性が希薄になり、結果として作品自体が面白くないものになっていると著者は主張しているのです。
例えば原稿用紙3枚の作品を10枚にしてしまうと蛇足ばかりで退屈になってしまいかねませんし、10枚の作品を3枚にすると今度は内容が薄くなりこれも退屈なものになってしまう、ということです。
こうした主張は至極当然な主張と言っていいでしょう。ですが中には驚くことに、物語の重要性は内容ではなく形式にあると考えている人物もいるのです。ある児童文芸家はこうした著者の主張に対して、「ストオリイの面白味なら実演童話に求めたまえ。われわれの創作童話にそれを求めて来るのはお門違いである」と反駁したというのです。しかし、当然これは誤りです。あらゆる芸術は表現する事を目的とするからには、必ず鑑賞者の存在を意識しなければなりません。文学作品もその例外ではありません。ですから、鑑賞者を退屈される事を前提とした作品など、あっていいはずがないのです。
いかなるジャンル、いかなる目的があるにせよ、作品というものは内容を重視し、鑑賞者を楽しませるという目的を常に果たさなければならないのです。
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