竹藪の多いある小さな村では、旧正月になると百姓たちは2人一組になって鼓と胡弓を持ち、旅をしてお金を貰う門附けという風習がありました。そしてこの村で育った木乃助は胡弓を弾くことが好きで、12の歳から門付けに参加していました。しかし月日が経つにつれて、門附けそのものが流行らなくなっていきます。更に月日は経ち、やがては彼自身も体の健康を失っていきます。ある年、そんな彼を見かねて妻と娘が木乃助に門附けをやめさせようとします。ですが、それでも木乃助は、自分が門附けをはじめた頃から彼の胡弓を聴いてくれている味噌屋の主人の事を思い浮かべると、「聴いてくれる人が一人でもこの娑婆にあるうちは、俺あ胡弓はやめられんよ」と言って、最後の門附けに出ていったのでした。
この作品では、〈表現する事が好き過ぎるあまり、かえって芸を捨てなければならなかった、ある男〉が描かれています。
そもそも他の人々が門附けをやめていく中で、木乃助だけは続けていけたのは、彼の目的が表現することそのものにあったからです。というのも、他の人々が門附けをする動機は、その中で貰ったお金で生計を立てる事にありました。ですが木乃助の場合、お金を貰うことよりも家々をまわり自分の芸を披露する事が目的でした。そしてその目的の手段のひとつとして、味噌屋の主人の家を訪れる事があったのです。
そして彼がこの主人に対し、その目的の重きを置いていたのは、主人が熱心な鑑賞者だったからに他なりません。恐らく日頃から胡弓を練習していた彼は、「本当に胡弓が好きな人に自分の胡弓を聴かせたい」という思いが何処かにあったのでしょう。つまり彼の「聴いてくれる人が一人でもこの娑婆にあるうちは」という言葉の裏には、(熱心に自分の胡弓を聞いてくれる人物)という条件が存在していた事になります。
ですが木乃助は最後の門附けに出かけた時、その熱心な鑑賞者であった味噌屋の主人がなくなっていた事を知ってしまいます。こうしていよいよ自分の胡弓を聴かせる人物を失ってしまった彼は、絶望のあまり自身の胡弓を売ってしまったのです。もし木乃助の胡弓に対する気持ちがもう少し弱ければ、あまり胡弓に興味のない家族に聴かせるだけで満足していた事でしょう。しかし彼がそうではなく、胡弓が好き過ぎた事が仇となっているとことが、なんともやるせない気持ちを私達に持たせているのです。
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