2016年1月27日水曜日

注文の多い料理店ー宮沢賢治

 二人の若い紳士はイギリスの兵隊の格好をして、「鹿の黄いろな横っ腹なんぞに、二三発お見舞もうしたら、ずいぶん痛快だろうねえ。くるくるまわって、それからどたっと倒れるだろうねえ。」と山奥で狩りを楽しんでいました。また彼らは白熊のような犬を連れていましたが、山の環境に耐えきれず、死んでしまいます。その様子を見て、二人は「じつにぼくは、二千四百円の損害だ」、「ぼくは二千八百円の損害だ。」と、悔しそうにしていました。
 しかし、彼らは狩りを終えて帰ろうかという時、道が分からなくなってしまいます。そしてどうしようかと思案しているところに、ふと目の前に「山猫軒」という、立派な西洋づくりの料理店が表れました。そして二人は躊躇なく中へと入っていきます。
 ところで、この「山猫軒」という建物は奇妙なつくりをしており、中は多くの扉で仕切られているのです。更に奇妙なことに、各部屋には「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」、「ことに肥ったお方や若いお方は、大歓迎いたします」といった具合に、訪問者に向けてのメッセージが書かれています。
 またそのメッセージの大半は、訪問者に向けての注文が書かれています。(※)二人はこれをはじめは、マナーに五月蝿い主人がいるのではないか、貴族たちが集まる料理店なのではないかといった予想を立てていきました。ですがこの幾つもの注文の多さに、やがて違和感を感じ、どうやら自分たちは食べる側ではなく、食べられる側なのではないか、という仮説が脳裏を過ります。すぐさま彼らは逃げようとしますが、扉は全く動かなくなってしまいました。そして奥の扉では、大きな鍵穴が二つついており、なんとそこから大きな目玉がきょろきょろと動いているではありませんか。二人は顔が紙屑のような表情になり、互いに顔を合わせながらブルブルと震わせて泣きました。
 その時、部屋の中にあの二匹の白熊の犬が入ってきて、大きな目のあった部屋に飛び込んでいきました。やがて中からは獣の声が聞こえてきます。
 気が付くと、彼らは草の中に立っており、道を通りかかった専門の漁師に救出されました。ですが、一度くしゃくしゃになった彼らの顔は、東京に帰っても、お湯に浸かっても元の通りにはならなかったようです。

 この作品では、〈自然を征服していたつもりが、かえって征服されかけた、哀れな人間の姿〉が描かれています。

 物語の冒頭では、彼らはあたかも自然にあるものを自分たちが征服しているかのように、狩りを楽しんだり、或いはその生命を「じつにぼくは、二千四百円の損害だ」と言って、金銭によって支配しているつもりでいるようです。このように云いますと、まるでこの若い紳士二人が、特別軽薄な人物のように捉えられるかも知れません。しかしこうした観点は私達にも少なからず身についているものなのではないでしょうか。例えば、監視員のいる海水浴場では、私たちはなんの警戒心もなく水遊びを楽しんでいますし、海で採れた魚介類をあちらが安い、こちらが高いといった風に値踏みする習慣もあります。ですからこの作品に登場する紳士たちは特別な悪人という訳ではなく、私達と同じ感覚をもった人々として観るべきでしょう。
 そしてそんな彼らは、辺ぴな山奥に「山猫軒」という西洋料理店を偶然にも発見します。道に迷い、空腹であった彼らははじめ、喜々として入っていきますが、徐々にこの店が自分たちがもてなされる為に存在しているのではないことに気がついていくのです。
 監視員の目の届き安全が確保されている海では、安心して水泳が楽しめますが、これが津波の時ならどうでしょうか。更には穏やかであっても違う場所であれば、浅瀬かと思えば大きな窪みがあり、そこには渦が巻いており人間一人を簡単に吸い込む力を持っているのです。
 また先程の魚の例えで言えば、スーパーで私達が簡単に手に取っている魚は海の中を泳いでおり、人間と格闘した結果、捕獲されたものなのです。場合によっては海の中へ引きずり込まれる事だってあります。
 このように、自然とは人間が制圧している環境下においては、人間にとって有効に働いてくれていますが、一歩人間の社会を出ると、私達を飲み込むほど強大な力を持っているのです。また熊に襲われたり、マムシやハブといった蛇に噛まれたりする等、直接的に人間を侵略しようとする場合もあります。
 ですから、この若い紳士達の失敗というのも、人間の社会のあり方を過度に世界全体に押しつけてしまったことにあるのでしょう。そして彼らは自分たちが道具のように惜しんだ犬の力によって助けられ、都会へと帰っていきます。ですが人間の社会の外には安全の保証がないことをしった彼らは、自然の驚異に身を震わせているために、いつまで経っても紙屑のような表情は取れないでいるのです。


「鉄砲と弾丸をここへ置いてください。」
「どうか帽子と外套と靴をおとり下さい。」
「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類、ことに尖ったものは、みんなここに置いてください」
「壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。」
「クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか、」
「料理はもうすぐできます。十五分とお待たせはいたしません。すぐたべられます。早くあなたの頭に瓶の中の香水をよく振りかけてください。」
「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください。」

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