2016年1月13日水曜日

聖女人像ー豊島与志雄

 「私」はいつの頃か病気らしく、気の向く儘に起きたり寝たりを繰り返すような生活を続けています。しかし彼曰く、それは一般的な病気なのか、それとはまた別の、所謂「私」のつくり上げた思い込みのようなものなのか。不明瞭なところがあるというのです。
 また彼には、仕事の同僚である「久子」という、微妙な間柄の関係の女性がいます。微妙と言いますのも、「私」はどうやら彼女とは肉体的な関係は結んではいるものの、多少なりの不満があったのです。そして私にはそもそも、結婚をするという気持ちも毛頭ありません。

 このようなことを考えていると、「私」は「清子」という女性の事を考えはじめ、「もし清子だったならば」と妄想しはじめます。「清子」とは何者なのか。それは恐らく「私」がつくりあげた架空の人物であり、彼が現実に不満を抱くと彼の頭の中から抜け出し、現実に顔を出す存在のようです。

 そして「私」にはもう一つ、変わったところがあり、自分の「孤独圏」に異常な拘りを持っています。この「孤独圏」というものは、彼曰く、「精神の周囲と言ってもよし、精神の内部と言ってもよいが、そこの僅かな空間のことで、それは絶対に私一人だけのものであり、決して他人の窺ゆ(きゆ)を許さないものであり、私の独自性の根源なのだ」というのです。そしてこの「孤独圏」に浸っている時も、「清子」彼の中に表れ、そうした性質を助長させていきます。

 ところがそんな「清子」を失う事件が起こります。きっかけは「私」の「婆や」が買ってくれた、鮮やかな朱塗りの箱枕でした。彼はこれに寝転がっている内に再び自身の孤独圏へと引きこもっていきます、そしてそこへ登場した清子に対して、「私」は彼女を箱枕に寝かせて自身の世界を見せようとする妄想を見はじめます。
 そしてある時、「久子」とどう同僚の「尾形」が家にやってきた時、「久子」は偶然に箱枕を発見するのです。刹那、彼女はその色気のある枕から、「私」に他の女の影を連想し、「なんでしょう、これは。」と冷淡に言いながら、それを彼の傍へ投げ出してしまいます。その途端、彼は急激な憤怒の念を覚え、
「もう帰ってくれ。君たち帰ってくれ。僕は一人でいたいんだ。この大事な箱枕をして、彼女のことを考えていたいんだ。一人きりでいたいんだ。何をぐずぐずしてるんだ。帰れよ。僕はもう一切口を利かないぞ。黙って一人でいたいんだ。」
 と言って、彼女らを追い返してしまったのです。その彼の前には、「尾形」も「久子」も、そして「清子」すらもいなくなってしまい、ただただ孤独の深淵に取り込まれていくばかりなのでした。

 一体、「清子」とは「私」にとって、どのような存在だったのでしょうか。


 この作品では、〈自身のつくり上げた架空の「聖女」と深く関わっていくことで、かえって現実との接点を取り持っていた、ある男〉が描かれています。


 上記の問題を解くにあたって、一体「清子」がどのような時に、彼の頭の中に表れてくるのかを整理してみましょう。
 彼女が彼の前に表れるのは大きく分けて二つの場合があります。ひとつは彼が現実の、主に「久子」に対して不満を感じた時、「もし清子ならば」と言った具合に、その照り返しとして出現する場合。そしていまひとつは、自身の孤独の世界に浸っている時、それを共有する生きた女性として出現する場合です。言わば彼女は、現実の世界と「私」の頭の中の中間の地点に存在する人物ということになります。

 しかし恐らく、一部の読者の中には、彼のこうした精神のあり方が理解出来ない方々がいらっしゃるかと思いますので、より私たちの生活に即した例を出すことで説明していきましょう。
 例えば貴方が仕事をしている時、野球やサッカーなどチームで何かをするスポーツをしている時、その中に要領を得ない人物が一人いるとしましょう。すると貴方はその人にどのような印象を持つでしょうか。大なり小なりストレスを感じ、「もしこの人がもっとチーム全体の事を見渡すことができれば」、「もしこの人が日頃から一緒にやっているあの人であったならば」と言った具合に、架空の別の誰かに置き換えて比較していくのではありませんか。

 即ち、物語の中の「清子」も、そうした考えを延長させた存在だと考えて良いでしょう。ですがもし「清子」が上記の例とはまた違ったところがあるとすれば、それは「私」の中の彼女という像があまりにも鮮明な為に、彼にとっては「久子」や「尾形」といった生きた人間とより近い存在であったということです。

 しかし、そんな「清子」は何故、そうした生きた人々と消えなければならないのでしょうか。きっかけは彼の「婆や」が買ってくれた箱枕でした。彼はそれに頭を乗せている内に、自分の世界へと身を投じはじめます。そしていつしか自身の強い理解者として、「清子」を出現させ箱枕へ寝かせて、同じ世界にいるという妄想を抱いていきました。ところが、「久子」の邪推によって、「清子」と共に過ごした箱枕は、彼女によって乱暴に扱われます。当然、「私」は自身の孤独と「清子」を踏みにじられた思いから強い憤慨を覚え、二人を追い出し、自分一人だけになってしまいます。
 ですが、何故「清子」までもそこから去っていったのでしょうか。そもそも彼女という存在は「私」の中の存在であるのだから、一見消えようがないようにも思います。ですが、彼女が現実の照り返しによってつくり上げた存在である以上、「久子」やその他の現実の煩わしい出来事がない限り、存在のしようがありません。
 ですから、彼女は。「私」の現実との反映がなくなった時点で、他の人々と共に姿を消していくしかなかったのでした。

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