ある失業した侍(貴族に仕える侍で、後世の侍ではない)が夕暮れに京の町を歩いていると、ある家から鼠鳴きをして彼を誘ってくる女に出会いました。男はその女の容姿が淡麗な事もあり、一緒に寝ることにします。そうして男はそのままその家に居ついてしまうのでした。ですが、この女にはいくつか奇妙な点があります。まず女一人でその家に住んでいる事。そして、度々客人とも友人ともつかぬ訪問者が、彼女の家にやって世話をしてくれる事。さらに、訪問者は毎回毎回違う顔ぶれでやってくるのです。そして男の方でもこうした出来事に一応の注意は払っていましたが、女との甘美で優雅な生活に酔いしれる内に、気にも止めなくなっていったのです。
そんなある日、男は女から、「不思議な御縁でいっしょに暮しましたが、あなたもお気に召したあらこんなに長くいらっしゃるのでしょう。そうすれば、私のいうことは、生死にかからわず聴いて下さるでしょう。」と言われます。そうして、すっかり女との生活に魅せられていた男は、女からの鞭打ちの拷問を受け、傷が癒えると再び打たれるといった事を繰り返しました。
こうして男は女から傷つけられ、優しくされる生活が続いたかと思えば、男は女から強盗の手伝いを言いつけられます。その際女は細かい注意を与えてから、行かせました。しかしそこには男の他に、二、三十人の下人と小柄な頭領らしき男がいたのです。そして男は頭領の指示に従い盗みを働きました。そうして家に帰ると、女がお風呂や食事の世話をしてくれていました。男は段々と女と別れがたくなり、盗みも次第に気にならなくなっていきます。彼はどのような役割でも充分働きまいした。
しかし突如として別れの時がやってきてしまいます。ある時女は、「あなたと本意なく別れるようになるかもしれない」という言葉を残して、男の前から姿を消してしまったのです。ですが、盗みの技術をすっかり身につけてしまった男は、その挙句に御用となり、これらの話を白状してしまいます。そしてその男曰く、今思えばその時の頭領というのは、自分が連れ添っていたあの女であったらしいのです。
2017年2月16日木曜日
2017年2月12日日曜日
大島が出来る話ー菊池寛(修正版)
学生の頃、父の倒産をきっかけにして、近藤家の補助を受けていた「譲吉」は、「その夫人」に並々ならぬ恩義を感じていました。というのも、金銭的な補助だけならいざ知らず、金銭を渡す時の近藤夫人の手からは常に人情味を感じており、また衣類や日用品の世話など、彼の生活の痒いところにまで心を配ってくれていたのです。そうした彼女の気持ちを譲吉は常日頃から大切にしていました。その傍ら、夫人に恩を返すことは、どうにもおかしい事のようにも感じていました。恩を返す、という事は即ち、夫人の危機を待たねばいけませんから、当然それを望まなければなりませんし、一旦恩を返してしまうと、それまで築いてきた「与えられる関係」が終わり、夫人との繋がりが絶たれると思い、恩を返す気にはなれませんでした。
やがて、彼は就職し、結婚すると金銭的な余裕も出てきて、服を何着か揃える事ができる身分にまでなっていきます。ですが、そんな彼でも大島の服だけは手を伸ばしにくいものを感じていました。「妻」の熱心な勧めによって貯金もしていたのですが、やがてその妻が妊娠すると生活費が嵩み、夫婦共々諦めていくようになります。しかしその一方で、譲吉は同じ時期に入社した同僚が大島の服を着ている姿を見ると、つい褒めてしまい、羨ましがらずにはいられませんでした。
そんな彼に、ある時不幸が訪れます。なんとあれ程頼りにしていた夫人が突然亡くなってしまったのです。そして譲吉の心にはぽっかりと大きな穴が空いてしまいました。またそうした状態で夫人の葬式に連なったものの、彼にできる事は限られていたのです。無学な坊主の説教に腹を立てがらも、それ以外に弔う術を知らないのでそれに甘んじること。その受けてきた大恩を感じているにも拘らず、夫人との親交が浅い縁者と共に参列すること。そうした自身に、彼は無力さを感じずにはいられませんでした。
やがてその数週間後、譲吉の家には、夫人から産衣が送られてきました。彼らはそれを夫人からの最後の贈り物として考えていました。しかし、その四、五日後には、譲吉があれ程欲しがっていた大島が届いたのです。妻はこれを嬉々としましたが、彼の心はそうした晴れやかな気持ちばかりではありませんでした。
この作品では、〈夫人との力関係を大切にしようとするが故に、自身の甘えた心を自覚せねばならなかった、ある青年〉が描かれています。
この作品の暗い読後感を考えるに当たって、もう一度、重吉の、近藤夫人への恩に対する考え方を見ていきましょう。夫人から贈り物を通して伝わってくる気持ちに関して彼は、大きな恩を感じており、それを大切にしたいと思っていました。そしてその為には、こうした関係そのものを保存する事が一番であり、少しでもつつけばその関係が崩れてしまうのではないかとも思っていました。ですがよく考えてみると、それは常にお互いの生活、健康状態が現状を維持しているという、言わば静的な見方によって成り立っています。と言いますのも、近藤家も譲吉の父のように倒産することだって、充分あり得る話ですし、この作品の後半のように、夫人が急死する可能性だって考えられたのです。万物は常に変化しています。それは人間関係だって例外ではありません。子供を育てていた親はいつか、子供に養って貰わねばならない時期がきますし、小さい頃に虐められて子供と虐めっ子が大人になって杯を酌み交わす事だってあるのです。変化のない関係などありません。
ですがこの作品の不幸というものは、夫人が死んだ直後に、譲吉がそれに気づきはじめるというところにあります。もうそこには、恩を感じる対象そのものがいない訳ですし、そうした気持を表現する矛先を失った彼は、ただ悶々としてそれ溜め込む以外にありませんでした。
しかしそれだけでは終わりません。夫人は死の直前まで譲吉の事を想っていました。あらすじの終盤にある通り、二つの贈り物が何よりの証拠です。こうした贈り物を受け取った彼の心持ちは恐らくこうでしょう。「念願の大島を貰った事もそうだが、それ以上に夫人の暖かさを改めて感じられた事は嬉しい。しかしこれを受け取った自身の態度というものは誰に指し示せばいいのか。夫人は死後も俺の世話をしてくれているというのに、俺はもう何もできる事はない。」夫人からの、死後送られてきた心尽くしは、かえって譲吉の夫人という存在への甘えを浮き彫りにしてしまったのでした。そしてその二度と返す事のできない恩といういうものが、この作品の読後感に皮肉と暗さをあたえているのです。
やがて、彼は就職し、結婚すると金銭的な余裕も出てきて、服を何着か揃える事ができる身分にまでなっていきます。ですが、そんな彼でも大島の服だけは手を伸ばしにくいものを感じていました。「妻」の熱心な勧めによって貯金もしていたのですが、やがてその妻が妊娠すると生活費が嵩み、夫婦共々諦めていくようになります。しかしその一方で、譲吉は同じ時期に入社した同僚が大島の服を着ている姿を見ると、つい褒めてしまい、羨ましがらずにはいられませんでした。
そんな彼に、ある時不幸が訪れます。なんとあれ程頼りにしていた夫人が突然亡くなってしまったのです。そして譲吉の心にはぽっかりと大きな穴が空いてしまいました。またそうした状態で夫人の葬式に連なったものの、彼にできる事は限られていたのです。無学な坊主の説教に腹を立てがらも、それ以外に弔う術を知らないのでそれに甘んじること。その受けてきた大恩を感じているにも拘らず、夫人との親交が浅い縁者と共に参列すること。そうした自身に、彼は無力さを感じずにはいられませんでした。
やがてその数週間後、譲吉の家には、夫人から産衣が送られてきました。彼らはそれを夫人からの最後の贈り物として考えていました。しかし、その四、五日後には、譲吉があれ程欲しがっていた大島が届いたのです。妻はこれを嬉々としましたが、彼の心はそうした晴れやかな気持ちばかりではありませんでした。
この作品では、〈夫人との力関係を大切にしようとするが故に、自身の甘えた心を自覚せねばならなかった、ある青年〉が描かれています。
この作品の暗い読後感を考えるに当たって、もう一度、重吉の、近藤夫人への恩に対する考え方を見ていきましょう。夫人から贈り物を通して伝わってくる気持ちに関して彼は、大きな恩を感じており、それを大切にしたいと思っていました。そしてその為には、こうした関係そのものを保存する事が一番であり、少しでもつつけばその関係が崩れてしまうのではないかとも思っていました。ですがよく考えてみると、それは常にお互いの生活、健康状態が現状を維持しているという、言わば静的な見方によって成り立っています。と言いますのも、近藤家も譲吉の父のように倒産することだって、充分あり得る話ですし、この作品の後半のように、夫人が急死する可能性だって考えられたのです。万物は常に変化しています。それは人間関係だって例外ではありません。子供を育てていた親はいつか、子供に養って貰わねばならない時期がきますし、小さい頃に虐められて子供と虐めっ子が大人になって杯を酌み交わす事だってあるのです。変化のない関係などありません。
ですがこの作品の不幸というものは、夫人が死んだ直後に、譲吉がそれに気づきはじめるというところにあります。もうそこには、恩を感じる対象そのものがいない訳ですし、そうした気持を表現する矛先を失った彼は、ただ悶々としてそれ溜め込む以外にありませんでした。
しかしそれだけでは終わりません。夫人は死の直前まで譲吉の事を想っていました。あらすじの終盤にある通り、二つの贈り物が何よりの証拠です。こうした贈り物を受け取った彼の心持ちは恐らくこうでしょう。「念願の大島を貰った事もそうだが、それ以上に夫人の暖かさを改めて感じられた事は嬉しい。しかしこれを受け取った自身の態度というものは誰に指し示せばいいのか。夫人は死後も俺の世話をしてくれているというのに、俺はもう何もできる事はない。」夫人からの、死後送られてきた心尽くしは、かえって譲吉の夫人という存在への甘えを浮き彫りにしてしまったのでした。そしてその二度と返す事のできない恩といういうものが、この作品の読後感に皮肉と暗さをあたえているのです。
2017年2月9日木曜日
仇討三態ーその三(修正版)
江戸牛込二十騎町の旗本、「鳥居孫太夫」の家では、客も絶えた正月五日の晩、奉公人達が祝いの酒を囲っていました。興は衰えることなく、皆が気を良くしているところに、料理番の嘉平次までもがたまらなくなってやってきました。彼は奉公人達に煽てられ、徐々に気を良くしていきました。その様子を見ていた人々は次第に、このまま彼を煽てて遊んでやろうという心が芽生えはじめます。その中でもお庭番の中間の、
「なんでもお前さんは、若い時は大名のお膳番を勤めたことがあるそうだが、本当かな!」
「お膳番といえば、立派なお武士だ!」
などという言葉はより嘉平次を優越感を満たしました。しかし、これらは彼の嘘であり、実際にお膳番として出世したお武士は、彼の旧主の「鈴木源太夫」だったのです。
そのうち、話は何故彼がそんな立派な役職を棒に振ったのか、という話題へと移り変わっていきます。彼は、源太夫の逸話からそれらしいものを探そうとしました。ですが、実際のところ、源太夫は当時「幸田某」の妻と横恋慕をして、聞き入れて貰えなかった腹いせに旦那をきってしまったという、武士の逸話としてはあまりに不始末なものだったのです。そこで嘉平次は、源太夫が、正確には自分がお武士でありながらお膳番として働いている事を貶され、口論の末に切ってしまった事にしたのでした。そしてその証拠として、彼は二の腕の傷を見せました。これは無論、別につくったのでしたが、人々を納得させるには充分な効果を持っていました。
ところが、彼の嘘というものは真実味を帯び過ぎていました。というのも、なんと幸田某の娘、「おとよ」が嘉平次を自身の敵討ちと勘違いして殺してしまったのです。更に不幸な事に、この敵討ちは江戸の隅々にまで知れ渡ってしまい、嘉平次は本当に鈴木源太夫として裁かれたのでした。
この作品では、「他人の人生を借りて自慢してしまったが故に、他人の業まで背負わなければならなくなっていった、ある料理番」が描かれています。
この作品による最大の不幸は、嘉平次の一時の優越感に浸りたいという、誰しもが少しは抱く出来心が、人々の心に真実としてすっかり定着し、その挙句に殺されてしまったというところにあります。そして多くの読者は、多少なりとも、「何も殺されなくてもよかったのに」という想いを抱くことでしょう。
しかし敢えて嘉平次に非を見出すとするならば、鈴木源太夫の人生の背後に何かが潜んでいるのかを考えず、ただ、お武士である、大名のお膳番であるといった表の部分のみを追いかけてしまっていたところにあるのです。例えば芸能人というものは一見華やかな世界であり、自身の生まれながらの個性を修正されることなく、維持したまま、それを商品として稼いでいる姿は多くの人々にとって憧れの人生としてうつっている事でしょう。ですが、自分自身が商品であるという事は、一般人よりも、その人生が傷つく事を決して許されるようなものではないという事です。その証拠に、不倫や不祥事に関して人々は敏感で、一旦傷がついてしまうと活動を自粛したり、時には商品として扱う事が出来なくなります。
そうした憧れの目でしまう事は決して悪い事でありませんが、羨ましがってばかりでその裏側が見えないのは如何なものでしょうか。そしてこの物語の嘉平次の失敗というものは、極端な例ではありますが、そうした表面だけを愛でるような生き方をして来なかったからこそ、そうした顛末しかまっていなかったのです。
「なんでもお前さんは、若い時は大名のお膳番を勤めたことがあるそうだが、本当かな!」
「お膳番といえば、立派なお武士だ!」
などという言葉はより嘉平次を優越感を満たしました。しかし、これらは彼の嘘であり、実際にお膳番として出世したお武士は、彼の旧主の「鈴木源太夫」だったのです。
そのうち、話は何故彼がそんな立派な役職を棒に振ったのか、という話題へと移り変わっていきます。彼は、源太夫の逸話からそれらしいものを探そうとしました。ですが、実際のところ、源太夫は当時「幸田某」の妻と横恋慕をして、聞き入れて貰えなかった腹いせに旦那をきってしまったという、武士の逸話としてはあまりに不始末なものだったのです。そこで嘉平次は、源太夫が、正確には自分がお武士でありながらお膳番として働いている事を貶され、口論の末に切ってしまった事にしたのでした。そしてその証拠として、彼は二の腕の傷を見せました。これは無論、別につくったのでしたが、人々を納得させるには充分な効果を持っていました。
ところが、彼の嘘というものは真実味を帯び過ぎていました。というのも、なんと幸田某の娘、「おとよ」が嘉平次を自身の敵討ちと勘違いして殺してしまったのです。更に不幸な事に、この敵討ちは江戸の隅々にまで知れ渡ってしまい、嘉平次は本当に鈴木源太夫として裁かれたのでした。
この作品では、「他人の人生を借りて自慢してしまったが故に、他人の業まで背負わなければならなくなっていった、ある料理番」が描かれています。
この作品による最大の不幸は、嘉平次の一時の優越感に浸りたいという、誰しもが少しは抱く出来心が、人々の心に真実としてすっかり定着し、その挙句に殺されてしまったというところにあります。そして多くの読者は、多少なりとも、「何も殺されなくてもよかったのに」という想いを抱くことでしょう。
しかし敢えて嘉平次に非を見出すとするならば、鈴木源太夫の人生の背後に何かが潜んでいるのかを考えず、ただ、お武士である、大名のお膳番であるといった表の部分のみを追いかけてしまっていたところにあるのです。例えば芸能人というものは一見華やかな世界であり、自身の生まれながらの個性を修正されることなく、維持したまま、それを商品として稼いでいる姿は多くの人々にとって憧れの人生としてうつっている事でしょう。ですが、自分自身が商品であるという事は、一般人よりも、その人生が傷つく事を決して許されるようなものではないという事です。その証拠に、不倫や不祥事に関して人々は敏感で、一旦傷がついてしまうと活動を自粛したり、時には商品として扱う事が出来なくなります。
そうした憧れの目でしまう事は決して悪い事でありませんが、羨ましがってばかりでその裏側が見えないのは如何なものでしょうか。そしてこの物語の嘉平次の失敗というものは、極端な例ではありますが、そうした表面だけを愛でるような生き方をして来なかったからこそ、そうした顛末しかまっていなかったのです。
2017年2月3日金曜日
仇討三態ーその二ー菊池寛(修正版)
鈴木忠二郎、忠三郎の兄弟の弟は、敵討ちの旅に出て八年の後、親の仇である和田直之進の居場所を突き止める事が出来ました。しかし一人討つのでは、当座にいない兄の無念を考え、途中別れた道を戻り、迎えに行く事にしたのです。ところが二人がその場に行きついた時には、直之進は既に病死していたのでした。そして兄弟は八年の旅が徒労に終わった事、仇討ちを果たせなかった事の無念という苦い韮を噛み締めながら、故郷へ帰っていったのでした。
故郷に帰った彼らを待っていたのは、人々の罵詈雑言の数々でした。敵討を躊躇している間に死なれた、或いは病死した者が本当に和田直之進とも確認せずに帰参した。一番酷いものでは、兄弟は八年の敵討ちに飽きておめおめと帰ってきたのだという者までいます。ですが兄弟が一番悲しかったのは、そうした疑いを晴らす機会が、永久に来ない事でした。
そして兄弟の味わうべき韮は、まだ尽きてはいません。彼らと同藩である久米幸太郎兄弟は、実に三十余年の月の末、敵討ちを果たし帰ってきたのです。彼らの栄光を比較する為、市井の人々は鈴木兄弟を引き合いに出して噂しました。韮はそれだけではありません。実は鈴木と久米は遠い縁者であり、忠二郎は敵討ちをの祝いの席に出席せねばならなかったのです。忠二郎は、ここで欠席すれば、人々から新たに後ろ指を指される種を自らつくってしまうと思い、必死の覚悟で酒宴に連なりました。
その当日、夜も更け、客が一人一人と抜けていく中で、それを見計らって久米幸太郎から酒を一杯貰いにいきました。その際、「御不運のほどは、すでにきき及んだ。御無念のほどお察し申す」と彼を労わりました。この真摯な同情のこもった言葉を聞いた忠二郎は、つい愚痴っぽくなり、幸太郎達を羨ましがったのです。彼は男泣きに泣きました。しかし幸太郎は制するように、
「何を仰られるのじゃ。一旦敵を持った者に幸せなものがござろうか。御身様などは、まだいい。御身様は物心ついた七歳の時から四十七歳の今日まで、人間の定命を敵討ばかりに過ごした者の悲しみをご存じないのじゃ。」
と、大粒の涙を零しながら言いました。忠二郎は傷ついた胸が和らぐような想いがすると共に、幸太郎と共に涙を流したのです。
この作品では、「仇討ちの失敗が、かえって成功者との理解を深めていくきっかけとなっていった、ある敵討ち」が描かれています。
感情の理解という意味において、この作品の中で主体的に動いている人物は、忠二郎ではなく、主に幸太郎の側です。ですので、ここはひとまず、幸太郎の中で、忠二郎の内面をどのように見つめていったのかを整理していく事が妥当でしょう。
そしてその大きな手助けとなったものが、敵討ちの失敗でした。同じ敵討ちという目標を掲げて故郷を出発したにも拘わらず、自分たちは成功し、鈴木兄弟は失敗した事に関して、幸太郎は同情を寄せずにはいられなかったはずです。そうして彼は自らの体験をもとにして、忠二郎の内面を追体験しはじめます。しかし、彼の八年という旅路が徒労に終わり、人々から受ける屈辱に耐えなければならぬ兄弟に同情する一方で、一方引いた視点から更に自分達の旅路と彼らの旅路の比較をした事でしょう。そして自分たちの三十余年という、自分たち敵討ちの特殊的な在り方を再確認したのです。
またそれを受けた忠二郎にも変化が当然にありました。それまで自分達の無念ばかりに囚われて、自分の世界に閉じこもっていた彼にとって、幸太郎の「何を仰られるのじゃ。一旦敵を持った者に幸せなものがござろうか。(以下略)」という言葉は、自分知らない痛みがまだあったのか、という衝撃があったはずです。そして互いの、誰にも知り得る事の出来ない痛みが、互いにある事を忠二郎は知った為に、共感の涙を流す事が出来たのでした。
故郷に帰った彼らを待っていたのは、人々の罵詈雑言の数々でした。敵討を躊躇している間に死なれた、或いは病死した者が本当に和田直之進とも確認せずに帰参した。一番酷いものでは、兄弟は八年の敵討ちに飽きておめおめと帰ってきたのだという者までいます。ですが兄弟が一番悲しかったのは、そうした疑いを晴らす機会が、永久に来ない事でした。
そして兄弟の味わうべき韮は、まだ尽きてはいません。彼らと同藩である久米幸太郎兄弟は、実に三十余年の月の末、敵討ちを果たし帰ってきたのです。彼らの栄光を比較する為、市井の人々は鈴木兄弟を引き合いに出して噂しました。韮はそれだけではありません。実は鈴木と久米は遠い縁者であり、忠二郎は敵討ちをの祝いの席に出席せねばならなかったのです。忠二郎は、ここで欠席すれば、人々から新たに後ろ指を指される種を自らつくってしまうと思い、必死の覚悟で酒宴に連なりました。
その当日、夜も更け、客が一人一人と抜けていく中で、それを見計らって久米幸太郎から酒を一杯貰いにいきました。その際、「御不運のほどは、すでにきき及んだ。御無念のほどお察し申す」と彼を労わりました。この真摯な同情のこもった言葉を聞いた忠二郎は、つい愚痴っぽくなり、幸太郎達を羨ましがったのです。彼は男泣きに泣きました。しかし幸太郎は制するように、
「何を仰られるのじゃ。一旦敵を持った者に幸せなものがござろうか。御身様などは、まだいい。御身様は物心ついた七歳の時から四十七歳の今日まで、人間の定命を敵討ばかりに過ごした者の悲しみをご存じないのじゃ。」
と、大粒の涙を零しながら言いました。忠二郎は傷ついた胸が和らぐような想いがすると共に、幸太郎と共に涙を流したのです。
この作品では、「仇討ちの失敗が、かえって成功者との理解を深めていくきっかけとなっていった、ある敵討ち」が描かれています。
感情の理解という意味において、この作品の中で主体的に動いている人物は、忠二郎ではなく、主に幸太郎の側です。ですので、ここはひとまず、幸太郎の中で、忠二郎の内面をどのように見つめていったのかを整理していく事が妥当でしょう。
そしてその大きな手助けとなったものが、敵討ちの失敗でした。同じ敵討ちという目標を掲げて故郷を出発したにも拘わらず、自分たちは成功し、鈴木兄弟は失敗した事に関して、幸太郎は同情を寄せずにはいられなかったはずです。そうして彼は自らの体験をもとにして、忠二郎の内面を追体験しはじめます。しかし、彼の八年という旅路が徒労に終わり、人々から受ける屈辱に耐えなければならぬ兄弟に同情する一方で、一方引いた視点から更に自分達の旅路と彼らの旅路の比較をした事でしょう。そして自分たちの三十余年という、自分たち敵討ちの特殊的な在り方を再確認したのです。
またそれを受けた忠二郎にも変化が当然にありました。それまで自分達の無念ばかりに囚われて、自分の世界に閉じこもっていた彼にとって、幸太郎の「何を仰られるのじゃ。一旦敵を持った者に幸せなものがござろうか。(以下略)」という言葉は、自分知らない痛みがまだあったのか、という衝撃があったはずです。そして互いの、誰にも知り得る事の出来ない痛みが、互いにある事を忠二郎は知った為に、共感の涙を流す事が出来たのでした。
2017年1月31日火曜日
仇討ち三態・その一ー菊池寛(修正版)
父を殺された事をきっかけに、仇討ちを志した惟念は、それに十六年間という、長い月日を費やしました。しかし仇討ち相手は一向に見つからず、遂には自身の仇討ちの成功を祈っていた母親までもが死去してしまう始末。そして途方に暮れた彼は、得度して雲水として仏道修行に励んでいました。ところが、得度したとは言え、惟念の中には依然として復讐の心が微かに残っているのです。
そんなある日、とある老僧が彼の前に現れます。顔立ちは惟念の前にいたので確認することはできませんでしたが、その作務衣は、在俗の頃に来ていたものらしく、なんと惟念の仇討ち相手と同じ紋があったのです。これには彼も動揺し、これまで自身の内にあった復讐心がこみ上げてきました。が、仏道に励む自分が、在俗の頃の事情を持ち出すべきではないし、未だ仇討ち相手ときまった訳ではないと思い、その心を鎮めます。又、彼の持ち得る数少ない情報では、仇討ち相手の右顎には傷があるらしいのです。ですから彼は、決して顔は見ないようにしようとしました。
ところが、ひょんな老僧の仕草から、その顎を見てしまいます。そしてそれは矢張り、惟念の仇討ち相手に相違ありませんでした。刹那、「おのれ!」という言葉が口をついて出かかりましたが、彼の道心は辛うじて打ち勝ち、老僧を痛めつけてやりたいという衝動を抑えることが出来たのです。
ですが、自分の心が信用できない惟念は、二度と未練がましい妄執に囚われないように、何かに誓っておきたい気持ちになりました。そこで、一層の事老僧に打ち明けて、現在の自分が復讐とは無縁の身である事を伝えておこうと思ったのです。しかしながら、今度は事情を知った老僧が仇討ちを進めまじめます。
「われらは、身上の有付きなきための、是非なき出家じゃ。御自分は違う。われらを討ち申されて帰参なさるれば、本領安堵は疑いないところじゃ。その上、我らを許して安居を続けられようとも、現在親の敵を眼前に置いては、所詮は悟道の妨げじゃ。妄執の源じゃ。心事の了畢などは思いも及ばぬことじゃ。」
このような言葉は、惟念の覚悟を揺さぶるのに、充分な効果を持っていました。が、またしても彼は迷いに打ち勝ち、笑い飛ばしてしまいます。
その夜、雲水たちには座禅を休止するお触れが出ていましたが、惟念にとっては大切な一夜だったので、ただ一人座禅に励みました。すると、眼前にいる父の敵を打たなかった事への悔恨が強烈に彼を支配しようとしますが、それが徐々に薄れていき、やがては神々しい薄明かり
がその心の内をほのかに照らすような心持ちになっていったのです。
その後、惟念んは床に就きますが、なかなか眠る事ができません。そして漸く眠気が襲ってきて目を瞑ったかと思うと、何者かが彼の前に立っていたのです。それは昼間の老僧に他なません。彼は惟念の言葉が信じられず、逆恨みによって殺しに来たのでした。それに対して憐憫の心を惟念は感じましたが、すぐに消えていき、
「愚僧は宵より、右肩を下につけ、疲れ申す。寝返りを許されい!」
と言って、再び目を瞑ったのでした。この次の日、老僧は彼の前から姿を消しました。
この作品では、〈日々の仏道修行によって、己れの復讐心を信仰へと変えていった、ある愚僧〉が描かれています。
武士の子として生まれ、復讐を宿命づけられた惟念は、その半生を仇討ちに捧げてきました。しかし、母の死をきっかけに得度し、仏道の道を志していたところに、ひょっこりと仇討ち相手と遭遇してしまったところから、物語は進んでいきます。そしてその最後に、仇討ち相手は性懲りも無く、惟念の心中が信用できないという理由から、今度は彼自身の命を奪おうしました。しかし惟念はそのような事には頓着せず、他人事のように眠りに就いていったのです。この場面は、読者たる私たちに大きな衝撃を与えた事でしょう。それでは、あれ程復讐の念を捨て切れなかった彼が、このような境地に至るまでには、どのような葛藤があったのかを見ていきましょう。
そもそも、彼が得度する以前から、このような葛藤があった事が考えられます。何せ半生をかけた生き方だったのですから、そう簡単に捨てられる筈もありません。では、どのようしてその復讐心を捨て去っていったのでしょうか。それは彼が母を失った時に感じた強烈な虚無感が、関係しています。
例を持ち出して説明しましょう。例えば、医学生がその研修の際、肺がんで亡くなった患者の肺を見て、喫煙を決意するなどと言った話はよく耳にします。大抵の場合は一週間程度で再び喫煙者は喫煙を再開してしまうらしいのですが、ごく一部の生徒は禁煙に成功するのも事実です。彼らと再び喫煙をはじめた生徒の分水嶺とは、その時その時の誘惑に打ち勝ち続けられたのか、という事に他なりません。肺がん患者の肺を見た衝撃は同じでも、それを持ち続けられるかどうか、そしてその打ち勝ち続けた実績が禁煙への決意を一層強くしていったのでしょう。
そして禁煙と復讐とでは、ベクトルもレベルも違いますが、その心の揺れ動きに関しては、同じ事が言えるでしょう。恐らく、修行を始めた当初、惟念は何度も何度も、自身の復讐心が彼を支配しようと襲ってきたはずです。しかし、母を失った虚無感がそれを妨げ、復讐の他に生きる道を探そうとして、仏道へと戻す手助けとなった事でしょう。そして、その打ち勝った実績が彼の信仰の強さとなって表れているのです。
だからこそ惟念は、自身の仇討ち相手が眼前に現れ、これまでにない強烈な衝動に身を動かされそうになっても、それまで積み上げてきた自分がそれを支え、結果として、完全に克服する事が出来たのでした。
そんなある日、とある老僧が彼の前に現れます。顔立ちは惟念の前にいたので確認することはできませんでしたが、その作務衣は、在俗の頃に来ていたものらしく、なんと惟念の仇討ち相手と同じ紋があったのです。これには彼も動揺し、これまで自身の内にあった復讐心がこみ上げてきました。が、仏道に励む自分が、在俗の頃の事情を持ち出すべきではないし、未だ仇討ち相手ときまった訳ではないと思い、その心を鎮めます。又、彼の持ち得る数少ない情報では、仇討ち相手の右顎には傷があるらしいのです。ですから彼は、決して顔は見ないようにしようとしました。
ところが、ひょんな老僧の仕草から、その顎を見てしまいます。そしてそれは矢張り、惟念の仇討ち相手に相違ありませんでした。刹那、「おのれ!」という言葉が口をついて出かかりましたが、彼の道心は辛うじて打ち勝ち、老僧を痛めつけてやりたいという衝動を抑えることが出来たのです。
ですが、自分の心が信用できない惟念は、二度と未練がましい妄執に囚われないように、何かに誓っておきたい気持ちになりました。そこで、一層の事老僧に打ち明けて、現在の自分が復讐とは無縁の身である事を伝えておこうと思ったのです。しかしながら、今度は事情を知った老僧が仇討ちを進めまじめます。
「われらは、身上の有付きなきための、是非なき出家じゃ。御自分は違う。われらを討ち申されて帰参なさるれば、本領安堵は疑いないところじゃ。その上、我らを許して安居を続けられようとも、現在親の敵を眼前に置いては、所詮は悟道の妨げじゃ。妄執の源じゃ。心事の了畢などは思いも及ばぬことじゃ。」
このような言葉は、惟念の覚悟を揺さぶるのに、充分な効果を持っていました。が、またしても彼は迷いに打ち勝ち、笑い飛ばしてしまいます。
その夜、雲水たちには座禅を休止するお触れが出ていましたが、惟念にとっては大切な一夜だったので、ただ一人座禅に励みました。すると、眼前にいる父の敵を打たなかった事への悔恨が強烈に彼を支配しようとしますが、それが徐々に薄れていき、やがては神々しい薄明かり
がその心の内をほのかに照らすような心持ちになっていったのです。
その後、惟念んは床に就きますが、なかなか眠る事ができません。そして漸く眠気が襲ってきて目を瞑ったかと思うと、何者かが彼の前に立っていたのです。それは昼間の老僧に他なません。彼は惟念の言葉が信じられず、逆恨みによって殺しに来たのでした。それに対して憐憫の心を惟念は感じましたが、すぐに消えていき、
「愚僧は宵より、右肩を下につけ、疲れ申す。寝返りを許されい!」
と言って、再び目を瞑ったのでした。この次の日、老僧は彼の前から姿を消しました。
この作品では、〈日々の仏道修行によって、己れの復讐心を信仰へと変えていった、ある愚僧〉が描かれています。
武士の子として生まれ、復讐を宿命づけられた惟念は、その半生を仇討ちに捧げてきました。しかし、母の死をきっかけに得度し、仏道の道を志していたところに、ひょっこりと仇討ち相手と遭遇してしまったところから、物語は進んでいきます。そしてその最後に、仇討ち相手は性懲りも無く、惟念の心中が信用できないという理由から、今度は彼自身の命を奪おうしました。しかし惟念はそのような事には頓着せず、他人事のように眠りに就いていったのです。この場面は、読者たる私たちに大きな衝撃を与えた事でしょう。それでは、あれ程復讐の念を捨て切れなかった彼が、このような境地に至るまでには、どのような葛藤があったのかを見ていきましょう。
そもそも、彼が得度する以前から、このような葛藤があった事が考えられます。何せ半生をかけた生き方だったのですから、そう簡単に捨てられる筈もありません。では、どのようしてその復讐心を捨て去っていったのでしょうか。それは彼が母を失った時に感じた強烈な虚無感が、関係しています。
例を持ち出して説明しましょう。例えば、医学生がその研修の際、肺がんで亡くなった患者の肺を見て、喫煙を決意するなどと言った話はよく耳にします。大抵の場合は一週間程度で再び喫煙者は喫煙を再開してしまうらしいのですが、ごく一部の生徒は禁煙に成功するのも事実です。彼らと再び喫煙をはじめた生徒の分水嶺とは、その時その時の誘惑に打ち勝ち続けられたのか、という事に他なりません。肺がん患者の肺を見た衝撃は同じでも、それを持ち続けられるかどうか、そしてその打ち勝ち続けた実績が禁煙への決意を一層強くしていったのでしょう。
そして禁煙と復讐とでは、ベクトルもレベルも違いますが、その心の揺れ動きに関しては、同じ事が言えるでしょう。恐らく、修行を始めた当初、惟念は何度も何度も、自身の復讐心が彼を支配しようと襲ってきたはずです。しかし、母を失った虚無感がそれを妨げ、復讐の他に生きる道を探そうとして、仏道へと戻す手助けとなった事でしょう。そして、その打ち勝った実績が彼の信仰の強さとなって表れているのです。
だからこそ惟念は、自身の仇討ち相手が眼前に現れ、これまでにない強烈な衝動に身を動かされそうになっても、それまで積み上げてきた自分がそれを支え、結果として、完全に克服する事が出来たのでした。
2017年1月29日日曜日
入れ札ー菊池寛(修正版1)
上州岩鼻の代官を斬り殺した「国定忠次」は、赤山城に籠城していましたが、そこが防ぎきれなくなると、十数人の子分を連れて信州へと逃げていきました。しかし他国へと逃げる為には、現在の子分達の人数が多すぎる為、その中から数人をお供として選ばなければなりません。途端、忠次の心中には、「喜蔵」、「嘉助」、「浅太郎」の三人の名が思い浮かびました。
ですが、そもそも籠城する以前は五十人いた子分達も、今ではその一握りの十一人で、彼等の忠次への忠誠は尋常なものではりません。そして、これまで苦楽を共にした子分達の中から誰からを選ぶことは、そこに優劣をつけることにもなります。子分を想う忠次の心は、その三人の名を口から告げる事を許してはくれません。そこで子分達との思案の結果、入れ札によって、忠次の付き人「三人」を決めようということになりました。
ですが、入れ札によって決める事が厄介だと感じている者もいました。少なくとも、「九郎助」はそう考えていました。彼は忠次一家の一番の古株で通常であれば、彼こそが第一の兄分でなければなりません。しかし現実の彼は近年の自身の失態から、その十数年培ってきた声望がめっきり落ちてしまっていたのです。また九郎助の側でも忠次とまったく同じ、三人の名前が頭に浮かびました。一方自分の側で辛うじて入れてくれそうな人物と言えば、彼と同期で後輩連中の台頭を快く思っていない「弥助」以外は思いもつきません。
そんな事を考えていると、遂に弥助から筆を渡され、九郎助の番が回ってきました。この時弥助は意味ありげな、好意の眼差しが送られました。すると九郎助は、どうしてもあと一枚が欲しくなります。自分の票以外を除き、例の三人の票が割れると考えれば、 三枚が必要になってくるのです。そしてこの時、そうした彼の気持ちを後押しする言葉がその手を動かします。
「おい!阿兄(あにい)!早く廻してくんな!」
それは浅太郎の、目下を叱るような口調でした。そしてこの言葉が彼の競争心に火をつけ、その命運を分けたのです。
この作品では、〈自身の意地から、組織の中での自分の立場というものにこだわり過ぎたが故に、かえって恥をかいていったある子分〉が描かれています。
物語の行方を追う前に、九郎助が何に対して悩んでいたのか、もう一度これまでの話を整理してみましょう。彼も他の子分同様、忠次には並々ならぬ忠誠を感じていた事は間違いのない事実です。そしてその上、彼が一家の古株で、忠次と共に組織を引っ張ってきた時代もあった事、年輩で本来であれば重要な位置にいなければならないものの、過去の失態から失墜している事を考えれば、その悩みというものがどのようなものか見えてきます。
つまり入れ札を提案され、参加している時の九郎助は、組織の中での自分というものを、この時強く意識しているのです。そしてこれは、彼がそれまでの組織での月日を思い返す一方で、子分達の態度がその年数分の扱いを許してはいないという現状への不満からきているのです。
そしてそれを象徴するような出来事が、あらすじの最後の部分にあたります。恐らく九郎助は、自分より若い浅太郎に催促された事で、それまで心中に抱いていた不満を爆発させ、自分自身の名前を書いてしまったのでしょう。
ところがこの直後、彼の心を揺さぶる一言が、なんと九郎助当人の心の内から湧き上がってきたのです。「博打は打っても、卑怯なことはするな。男らしくねえことはするな」これは彼の心の中の忠次の像が彼に怒鳴っている台詞と言えます。そしてこれは彼の忠誠心が起因してると考えても良いでしょう。そして、それまで自分から組織を見つめていた九郎助は、今度は組織の中から自分を見つめていくようになっていくのです。つまり、組織人として今取るべき行動があったにも拘わらず、自分の欲求を満たす為に組織を利用しようとした、という後悔の念に駆られていきます。そして、入れ札の結果もその追い風となっていきました。というのも、結果してやはり誰もが浅太郎、喜蔵、嘉助に入れており、同時にそれは九郎助以外の誰しもが、自分の、忠次に付き添いたいという気持ちを棚上げして、組織の構成員としての役割を果たした事を意味するのです。
こうして彼は自分の意地というものを組織の中から見つめてしまったが為に、かえってその意地の悪さを自覚せねばならなくなっていったのでした。
ですが、そもそも籠城する以前は五十人いた子分達も、今ではその一握りの十一人で、彼等の忠次への忠誠は尋常なものではりません。そして、これまで苦楽を共にした子分達の中から誰からを選ぶことは、そこに優劣をつけることにもなります。子分を想う忠次の心は、その三人の名を口から告げる事を許してはくれません。そこで子分達との思案の結果、入れ札によって、忠次の付き人「三人」を決めようということになりました。
ですが、入れ札によって決める事が厄介だと感じている者もいました。少なくとも、「九郎助」はそう考えていました。彼は忠次一家の一番の古株で通常であれば、彼こそが第一の兄分でなければなりません。しかし現実の彼は近年の自身の失態から、その十数年培ってきた声望がめっきり落ちてしまっていたのです。また九郎助の側でも忠次とまったく同じ、三人の名前が頭に浮かびました。一方自分の側で辛うじて入れてくれそうな人物と言えば、彼と同期で後輩連中の台頭を快く思っていない「弥助」以外は思いもつきません。
そんな事を考えていると、遂に弥助から筆を渡され、九郎助の番が回ってきました。この時弥助は意味ありげな、好意の眼差しが送られました。すると九郎助は、どうしてもあと一枚が欲しくなります。自分の票以外を除き、例の三人の票が割れると考えれば、 三枚が必要になってくるのです。そしてこの時、そうした彼の気持ちを後押しする言葉がその手を動かします。
「おい!阿兄(あにい)!早く廻してくんな!」
それは浅太郎の、目下を叱るような口調でした。そしてこの言葉が彼の競争心に火をつけ、その命運を分けたのです。
この作品では、〈自身の意地から、組織の中での自分の立場というものにこだわり過ぎたが故に、かえって恥をかいていったある子分〉が描かれています。
物語の行方を追う前に、九郎助が何に対して悩んでいたのか、もう一度これまでの話を整理してみましょう。彼も他の子分同様、忠次には並々ならぬ忠誠を感じていた事は間違いのない事実です。そしてその上、彼が一家の古株で、忠次と共に組織を引っ張ってきた時代もあった事、年輩で本来であれば重要な位置にいなければならないものの、過去の失態から失墜している事を考えれば、その悩みというものがどのようなものか見えてきます。
つまり入れ札を提案され、参加している時の九郎助は、組織の中での自分というものを、この時強く意識しているのです。そしてこれは、彼がそれまでの組織での月日を思い返す一方で、子分達の態度がその年数分の扱いを許してはいないという現状への不満からきているのです。
そしてそれを象徴するような出来事が、あらすじの最後の部分にあたります。恐らく九郎助は、自分より若い浅太郎に催促された事で、それまで心中に抱いていた不満を爆発させ、自分自身の名前を書いてしまったのでしょう。
ところがこの直後、彼の心を揺さぶる一言が、なんと九郎助当人の心の内から湧き上がってきたのです。「博打は打っても、卑怯なことはするな。男らしくねえことはするな」これは彼の心の中の忠次の像が彼に怒鳴っている台詞と言えます。そしてこれは彼の忠誠心が起因してると考えても良いでしょう。そして、それまで自分から組織を見つめていた九郎助は、今度は組織の中から自分を見つめていくようになっていくのです。つまり、組織人として今取るべき行動があったにも拘わらず、自分の欲求を満たす為に組織を利用しようとした、という後悔の念に駆られていきます。そして、入れ札の結果もその追い風となっていきました。というのも、結果してやはり誰もが浅太郎、喜蔵、嘉助に入れており、同時にそれは九郎助以外の誰しもが、自分の、忠次に付き添いたいという気持ちを棚上げして、組織の構成員としての役割を果たした事を意味するのです。
こうして彼は自分の意地というものを組織の中から見つめてしまったが為に、かえってその意地の悪さを自覚せねばならなくなっていったのでした。
2017年1月27日金曜日
風ばかー豊島与志雄(修正版1)
子供達は学校の先生から、人間はよく見ると左右で異なる形をしており、歩くときも目隠しをしていれば、大抵どちらかにずれてしまうという話を聞きます。しかし、その話をにわかには信じられない彼等は、野原へと向かい、その検証をはじめました。ですが、矢張りどちらかに偏り、まっすぐ歩けません。そんな中「マサちゃん」という男の子だけは、自分の歩く癖を把握し、歩く事ができたのです。そこで子供達はマサちゃんに教わりながら、偏らずに歩く練習をはじめました。
やがて日も暮れて練習もそろそろ終わろうかという時に、マサちゃんはみんなに対してお手本を見せようとします。ところが先程とは違い、うまく歩く事ができません。彼曰く、風が邪魔をしているというのです。そしてマサちゃんの耳元では、風が「ばかー、ばかー……」と声を立てているような錯覚を感じはじめます。これには流石のマサちゃんも憤慨し、「ばかー」と怒鳴り返すのでした。
家に帰ると、マサちゃんはお父さんに今日あった出来事を話しました。するとお父さんは、
「それは、お前の方がばかだよ。風にさからってもつまらない。風というものは、強くなったり弱くなったり、息をついて吹くから、その中をまっすぐに歩くのはむずかしいよ。」
と言って笑いました。対するマサちゃんはこう返しました。
「風って息をするんですか」
「うむ、息をするよ。息をするというより、風は息なんだよ」
「なんの息?」
「なんの息って……。どういったらいいかなあ、空気の息、神様の息、いろんなものの息……ただ息だよ」
「ただ、息だけ?」
「息だけだよ」
「ばかな奴だな」
このマサちゃんの発言を受けてお父さんは笑い出します。そしてマサちゃん自身も、自分のこの結論に納得するかのように笑ったのでした。
この作品では、〈風という実体のない存在を、素直な子供心によって理解しようとするが故に、現実のものと遊離したもとして扱わなければならなくなっていった、失敗〉が描かれています。
この物語の最後にある、お父さんとマサちゃんの笑い方には、表現は同じでも、そこに含まれている内容については大きな違いがあります。それでは、それがどのようなものなのか、二人の会話を振り返る中で見ていきましょう。
マサちゃんの話を聞いたお父さんは、風というものは息と同じく自然にあるものだから、そうした自然に逆らうことの愚かしさをマサちゃんに伝えようとします。しかし、マサちゃんは風の正体が何であるのかが気になったらしく、会話は下記のように続きます。
「風って息をするんですか」
「うむ、息をするよ。息をするというより、風は息なんだよ」
「なんの息?」
しかしこうしたマサちゃんの発言に対して、お父さんは言葉に窮してしまいます。何故ならば、この時点でマサちゃんは風というものが実体を持った存在であり、必ず何処かに潜んでいると考えているからに他なりません。対するお父さんは、風には実体がなく、自然が起こす何らかの現象が風である事は理解しています。ところがそうした常識的な観点はあるものの、それを説明するまでの知識を持ち合わせてはいません。そこでこの矛盾を解消すべく、「なんの息って……。どういったらいいかなあ、空気の息、神様の息、いろんなものの息……ただ息だよ」と、息というものとそれを発生させている実体とを切り離して、お父さんはマサちゃんに説明しようとします。
しかし、次のやりとりに注目してください。
「ただ、息だけ?」
「息だけだよ」
「ばかな奴だな」
どうやら風というものが、実体がないところまでは理解できたようですが、マサちゃんのこの理解の仕方では、「だけ」という言葉に気をとられ過ぎてしまうあまりに、息を吹かしている実体が完全に消失してしまい、息が現実のものとは独立した形で現れているのです。
このマサちゃんの失敗をもう少し分かりやすくする為に、例を取り上げて見ていきましょう。例えば、癌という病気がありますが、これは常識的な見方をすれば、神様が人々の身体に癌なる異常な物質を私達に与えたものなどではく、日常生活での不衛生、或いは不規則な生活が、身体の細胞を癌化させているという事になります。また、数百年前までは、病気というものは悪魔の仕業や祟り等のせいにされてきましたが、現在の常識では、生活の問題として取り扱うようになりました。
このように、一般的に病気と呼ばれているものは、非現実的なところからいきなり出現したものではなく、現実の在り方からあらわれた現象として扱うべきであり、物語のマサちゃんにしても、このような観点がないからこそ、風が、或いは息がパッと出てきたかのような理解にしか至らなかったのです。
ですから、この二人の笑いの違いというものは、マサちゃんのそれは、自分たちとは違い、自由が利かない風をあざ笑っています。対するお父さんは、こうしたマサちゃんの子供心ながらにも風を理解しようとして失敗している、そのあどけなさを笑っているのです。
やがて日も暮れて練習もそろそろ終わろうかという時に、マサちゃんはみんなに対してお手本を見せようとします。ところが先程とは違い、うまく歩く事ができません。彼曰く、風が邪魔をしているというのです。そしてマサちゃんの耳元では、風が「ばかー、ばかー……」と声を立てているような錯覚を感じはじめます。これには流石のマサちゃんも憤慨し、「ばかー」と怒鳴り返すのでした。
家に帰ると、マサちゃんはお父さんに今日あった出来事を話しました。するとお父さんは、
「それは、お前の方がばかだよ。風にさからってもつまらない。風というものは、強くなったり弱くなったり、息をついて吹くから、その中をまっすぐに歩くのはむずかしいよ。」
と言って笑いました。対するマサちゃんはこう返しました。
「風って息をするんですか」
「うむ、息をするよ。息をするというより、風は息なんだよ」
「なんの息?」
「なんの息って……。どういったらいいかなあ、空気の息、神様の息、いろんなものの息……ただ息だよ」
「ただ、息だけ?」
「息だけだよ」
「ばかな奴だな」
このマサちゃんの発言を受けてお父さんは笑い出します。そしてマサちゃん自身も、自分のこの結論に納得するかのように笑ったのでした。
この作品では、〈風という実体のない存在を、素直な子供心によって理解しようとするが故に、現実のものと遊離したもとして扱わなければならなくなっていった、失敗〉が描かれています。
この物語の最後にある、お父さんとマサちゃんの笑い方には、表現は同じでも、そこに含まれている内容については大きな違いがあります。それでは、それがどのようなものなのか、二人の会話を振り返る中で見ていきましょう。
マサちゃんの話を聞いたお父さんは、風というものは息と同じく自然にあるものだから、そうした自然に逆らうことの愚かしさをマサちゃんに伝えようとします。しかし、マサちゃんは風の正体が何であるのかが気になったらしく、会話は下記のように続きます。
「風って息をするんですか」
「うむ、息をするよ。息をするというより、風は息なんだよ」
「なんの息?」
しかしこうしたマサちゃんの発言に対して、お父さんは言葉に窮してしまいます。何故ならば、この時点でマサちゃんは風というものが実体を持った存在であり、必ず何処かに潜んでいると考えているからに他なりません。対するお父さんは、風には実体がなく、自然が起こす何らかの現象が風である事は理解しています。ところがそうした常識的な観点はあるものの、それを説明するまでの知識を持ち合わせてはいません。そこでこの矛盾を解消すべく、「なんの息って……。どういったらいいかなあ、空気の息、神様の息、いろんなものの息……ただ息だよ」と、息というものとそれを発生させている実体とを切り離して、お父さんはマサちゃんに説明しようとします。
しかし、次のやりとりに注目してください。
「ただ、息だけ?」
「息だけだよ」
「ばかな奴だな」
どうやら風というものが、実体がないところまでは理解できたようですが、マサちゃんのこの理解の仕方では、「だけ」という言葉に気をとられ過ぎてしまうあまりに、息を吹かしている実体が完全に消失してしまい、息が現実のものとは独立した形で現れているのです。
このマサちゃんの失敗をもう少し分かりやすくする為に、例を取り上げて見ていきましょう。例えば、癌という病気がありますが、これは常識的な見方をすれば、神様が人々の身体に癌なる異常な物質を私達に与えたものなどではく、日常生活での不衛生、或いは不規則な生活が、身体の細胞を癌化させているという事になります。また、数百年前までは、病気というものは悪魔の仕業や祟り等のせいにされてきましたが、現在の常識では、生活の問題として取り扱うようになりました。
このように、一般的に病気と呼ばれているものは、非現実的なところからいきなり出現したものではなく、現実の在り方からあらわれた現象として扱うべきであり、物語のマサちゃんにしても、このような観点がないからこそ、風が、或いは息がパッと出てきたかのような理解にしか至らなかったのです。
ですから、この二人の笑いの違いというものは、マサちゃんのそれは、自分たちとは違い、自由が利かない風をあざ笑っています。対するお父さんは、こうしたマサちゃんの子供心ながらにも風を理解しようとして失敗している、そのあどけなさを笑っているのです。
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