上州岩鼻の代官を斬り殺した「国定忠次」は、赤山城に籠城していましたが、そこが防ぎきれなくなると、十数人の子分を連れて信州へと逃げていきました。しかし他国へと逃げる為には、現在の子分達の人数が多すぎる為、その中から数人をお供として選ばなければなりません。途端、忠次の心中には、「喜蔵」、「嘉助」、「浅太郎」の三人の名が思い浮かびました。
ですが、そもそも籠城する以前は五十人いた子分達も、今ではその一握りの十一人で、彼等の忠次への忠誠は尋常なものではりません。そして、これまで苦楽を共にした子分達の中から誰からを選ぶことは、そこに優劣をつけることにもなります。子分を想う忠次の心は、その三人の名を口から告げる事を許してはくれません。そこで子分達との思案の結果、入れ札によって、忠次の付き人「三人」を決めようということになりました。
ですが、入れ札によって決める事が厄介だと感じている者もいました。少なくとも、「九郎助」はそう考えていました。彼は忠次一家の一番の古株で通常であれば、彼こそが第一の兄分でなければなりません。しかし現実の彼は近年の自身の失態から、その十数年培ってきた声望がめっきり落ちてしまっていたのです。また九郎助の側でも忠次とまったく同じ、三人の名前が頭に浮かびました。一方自分の側で辛うじて入れてくれそうな人物と言えば、彼と同期で後輩連中の台頭を快く思っていない「弥助」以外は思いもつきません。
そんな事を考えていると、遂に弥助から筆を渡され、九郎助の番が回ってきました。この時弥助は意味ありげな、好意の眼差しが送られました。すると九郎助は、どうしてもあと一枚が欲しくなります。自分の票以外を除き、例の三人の票が割れると考えれば、 三枚が必要になってくるのです。そしてこの時、そうした彼の気持ちを後押しする言葉がその手を動かします。
「おい!阿兄(あにい)!早く廻してくんな!」
それは浅太郎の、目下を叱るような口調でした。そしてこの言葉が彼の競争心に火をつけ、その命運を分けたのです。
この作品では、〈自身の意地から、組織の中での自分の立場というものにこだわり過ぎたが故に、かえって恥をかいていったある子分〉が描かれています。
物語の行方を追う前に、九郎助が何に対して悩んでいたのか、もう一度これまでの話を整理してみましょう。彼も他の子分同様、忠次には並々ならぬ忠誠を感じていた事は間違いのない事実です。そしてその上、彼が一家の古株で、忠次と共に組織を引っ張ってきた時代もあった事、年輩で本来であれば重要な位置にいなければならないものの、過去の失態から失墜している事を考えれば、その悩みというものがどのようなものか見えてきます。
つまり入れ札を提案され、参加している時の九郎助は、組織の中での自分というものを、この時強く意識しているのです。そしてこれは、彼がそれまでの組織での月日を思い返す一方で、子分達の態度がその年数分の扱いを許してはいないという現状への不満からきているのです。
そしてそれを象徴するような出来事が、あらすじの最後の部分にあたります。恐らく九郎助は、自分より若い浅太郎に催促された事で、それまで心中に抱いていた不満を爆発させ、自分自身の名前を書いてしまったのでしょう。
ところがこの直後、彼の心を揺さぶる一言が、なんと九郎助当人の心の内から湧き上がってきたのです。「博打は打っても、卑怯なことはするな。男らしくねえことはするな」これは彼の心の中の忠次の像が彼に怒鳴っている台詞と言えます。そしてこれは彼の忠誠心が起因してると考えても良いでしょう。そして、それまで自分から組織を見つめていた九郎助は、今度は組織の中から自分を見つめていくようになっていくのです。つまり、組織人として今取るべき行動があったにも拘わらず、自分の欲求を満たす為に組織を利用しようとした、という後悔の念に駆られていきます。そして、入れ札の結果もその追い風となっていきました。というのも、結果してやはり誰もが浅太郎、喜蔵、嘉助に入れており、同時にそれは九郎助以外の誰しもが、自分の、忠次に付き添いたいという気持ちを棚上げして、組織の構成員としての役割を果たした事を意味するのです。
こうして彼は自分の意地というものを組織の中から見つめてしまったが為に、かえってその意地の悪さを自覚せねばならなくなっていったのでした。
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