ヘレン・ケラーという人物は幼い時に重い病気を患って以来、視界を遮られ、音すらも聞こえない、現実との接触を極端に制限された世界の住人となってしまいました。両親の方でも、そんな彼女を哀れんで、彼女の言うことはなんでも聞いてしまいます。その結果、彼女は孤独な世界の暴君となってしまったのです。
そんなヘレンを多くの人々が暮らす、色と音のある世界へと導いていった人物こそ、彼女の教育係として任命された、アン・マンスフィールド・サリバンその人でした。サリバンはヘレンの教育係になってたった2年のうちに、言葉というものの概念、色や音の存在、話すという事を教えてしまったのです。それらは全て、多くの人々が彼女に求める事は不可能と考えていたものばかりでした。
ですが、サリバンは一体どのようにしてヘレンを教育していったのでしょうか。ここでは本書を通して、サリバンが具体的にどのような方法によって彼女を教育していったのか、どのような指導論のもとにその方針を立てていったのかを見ていきたいと思います。
ヘレンとサリバンがはじめて出会った日、ヘレンはサリバン目掛けて勢い良く突進し、次の瞬間には彼女の服や顔やバッグを触り、バッグを取り上げて中を見ようとしました。これは以前、家に来客した人々がバッグにヘレンへの飴やお菓子等のお土産を入れていた事からそうしているのでしょう。ですがここで注意しなければならないのは、彼女は単純に飴やお菓子が欲しいからバッグを開けようとしたのではなく、バッグの中には自分の好きな何かが入っているのではないかという好奇心から開けようとしているのです。
しかし彼女のお母さんはそんな事などつゆ知らず、バッグを取り上げようとしました。これにはヘレンも腹を立てます。ですが、彼女が何故バッグを開けようとしたのかを見抜いたサリバンは、バッグの代わりに腕時計を差し出し、彼女の好奇心を満たしていったのです。この思惑はうまくいき、騒ぎは静まったのでした。
こうした経験からサリバンは、ヘレンを教育するにあたっての最大の問題というものは、物理的な面ではなく、精神的な基質、未熟さに問題があるのではないかと考えていきます。先ほどの場面で好奇心を抑えられず、否、抑える事を知らずバッグを見てしまったのはまさに良い例でしょう。
ですが、果たして本当に精神的な問題だけだとこの時点で判断する事は正しかったのでしょうか。表現だけ見れば、ヘレンは知的障害を抱えた、物理的な欠陥をもった少年少女たちとあまり変わりません。もしも私達がなんの予備知識もなく、ヘレン・ケラーのような、人のバッグを勝手に取ったり手であちこちを触っている少女を目の当たりにした時、まず脳の障害を疑う事でしょう。
しかしサリバンの問題の絞り込み方は、次の場面を読んだ時、正しいものであったと私達は理解するでしょう。ある時、彼女は幼稚園で使うビーズを思い出し、ヘレンと共にビーズを通す仕事をします。ヘレンはこの仕事を素早くやってのけたといいます。
またこのとき、サリバンはわざと糸の結び目を小さくつくり、ビーズを通してもスルスルとぬけるようにしておきました。ですが、ヘレンは糸にビーズを通した後、それを結んで問題を解決していったのです。彼女には私達と同様に、物事の構造を理解し、十分に扱う能力があります。もし彼女の脳に欠陥があるのであれば、糸にビーズを手際よく通したり、ビーズを結んで問題を解決する事が出来なかったでしょう。
よって、ヘレンの教育における問題というものは、好奇心を抑えられない、社会性が乏しく誰がきても自分の我儘を通そうとする精神的な基質にあるのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿