2012年1月6日金曜日

越年ー岡本かの子

ある年末、少し気弱な女性社員の加奈江は、突然同じ会社の男性社員である堂島から訳も分からないまま頬を撲られてしまいます。そして怒りを感じた彼女は、次の日に自身の上司にこの事を話し、こらしめようと考えました。ですが上司の話では、なんと彼は加奈江を撲ったその日に既に退社しているというのです。そこで彼女は同僚の朋子と共に、堂島の同僚から、彼がよく現れるという通りを聞き出し、彼の捜索をはじめます。やがてその年は過ぎ去り、新しい年を迎えた時、彼女達は遂に堂島を発見し、彼を撲ることで自身の仇討ちを果すことに成功しました。
その数日後、彼女は堂島らしき自分物から、一通の手紙を貰います。そこには、彼女がそれまで予想もしていなかった、何故堂島は彼女を撲らなければならないのかが書かれてありました。なんと彼は、実は以前から加奈江に対して好意をもっており、会社を辞めた後、彼女に会えなくなることを割り切れずにいました。ですが、その気持ちをどう表現して良いのか分からず、自分の事を忘れさせないために敢えて彼女を撲ったというのです。この手紙を読んだ彼女は、堂島の強い思いに心奪われ、再び堂島を探しはじめました。ですが、彼とはそれっきり会えないままとなってしまいました。
この作品では〈表現の中身は、常に同じだとは限らない〉ということが描かれています。
さて、上記の一般性を考えるにあたって、何故加奈江は堂島を撲ったのか、というごく当たり前とも思えるような疑問から考えていきましょう。まず、彼女は堂島に撲られた時、取り敢えずは撲られなければいけない理由を探してはいます。しかし、そうした理由は思いつきませんでした。そこで彼女は、撲るということは、堂島がそれなりの怒りを何かに感じたはずであり、又自分がその非を自身に見つけられなかったということは、恐らく些細な出来事で怒りを感じているのではないか、という考えに至り、彼を非難せずにはいられなくなっていったのでしょう。言わば彼女は、撲るという表現を自分の、常識の範囲の中で考えていたのです。ですから、彼女は表現としては堂島が自分を撲ったように、自分もまた彼に対して怒りをもって頬を叩かずにはいられなかったのです。
ですが、堂島の場合、怒りの為に彼女を撲ったのではありません。上記にもあるように、彼のそうした表現は、あくまでも彼女への愛情からのものなのですから。言わば、彼は彼女を撲ってでも、彼女に思われたかったのです。そして、こうした表現の仕方は、これまで自分の範囲の中でしか撲るという事を考えていなかった加奈江にとっては、非常に強烈なものであり、堂島を追わずにはいられなくなっていったのです。

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