2012年1月13日金曜日

喫煙癖ー佐左木俊郎

月寒行きの場所の上に、みすぼらしい身なりの爺さんと婆さんが向い合って座っていました。やがて2人は、爺さんが吸っていた煙草の煙が婆さんの顔にかかったことをきっかけに会話をはじめます。そして会話は自然と、爺さんが札幌に住んでいた頃の話題になっていきました。彼はそこで十五六の時から、鉄道の方の、機関庫で働いており、煙草を買いはじめたのもこの頃からだというのです。そして、それを買いはじめたきっかけは、そこの停車場に出来た売で働いていた娘の顔を見るためだったというのです。そして、あれから35、6年経った今でも、爺さんは煙草を吸う旅に当時の娘を思い出すといいます。
一方これを聞いていた婆さんですが、実はその娘というのはなんと自分だと爺さんに名乗り、指にはめた真鍮の指輪を彼に見せました。それは当時彼が機関車のパイプを切ってこしらえたもので、彼女もまたこれを見る度、当時の爺さんを思い出していたというのです。こうして奇跡の再会を果たした二人は、現在お茶屋をしている婆さんが爺さんに自分の店でお茶を入れる約束をしながら、月寒に向かっていくのでした。
この作品では、〈時間と体験は物理的には繋がりを持ちながらも、認識の上では独立している〉ということが描かれています。
まず、この作品における感動とは、言うまでもなく、2人の男女が35、6年の時を経た今でもお互いを思い続け、奇跡の再会を果たした、というところにあります。というのも、私達には一見、長年誰かを思い続け、更には再会を果たすことが困難な事に思えるからこそ、こうした二人の再会が心を温めてくれるのです。しかし、そもそも何故2人は長年、互いを思い続ける事が出来たのでしょうか。30年以上も時が経ってしまえば、お互いの事なんか忘れて、再び出会っても気づかなくてもおかしくはないはずです。ですが、この2人がそうならなかったのは、それぞれが当時の体験を呼び起こせるものを持っていた、という点にあります。それが煙草と指輪なのです。事実物語の中でも、爺さんの方は、煙草を吸う度に自分に煙草を売ってくれた婆さん(当時の娘の姿)を思い出し、一方婆さんの方は、指輪を眺める度、自分にそれを渡してくれた爺さん(当時の青年だったであろう姿)を思い出していたとそれぞれが語っています。
確かに彼らが出会い同じ時を過ごしたのは、30数年前のほんの一瞬の出来事だったことでしょう。しかし、彼らがその体験を昨日の事の様に覚えておけたのは、毎日お互いの事を思い浮かべる術、或いは装置を持っていたからにほかなりません。ですから、時間としては30数年経ち、恐らく顔にも皺ができ、髪も白く染まってきた姿で再会しても、2人はちゃんとお互いの事が理解でき、当時の事を昨日の事のように会話する事が出来たのです。

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