著者が十一歳のある時、彼の悪友である吉公は納豆屋の盲目のお婆さんから、2銭の納豆を1銭だと言い張って騙し買ってしまいます。その後、彼はその納豆を学校へ持って行き、それを鉄砲玉にして納豆合戦を行いました。そしてこの遊びの面白さの味をしめた著者たちは、その日以来、お婆さんをこうして騙し続けていきます。
ところがある日、吉公がいつものようにお婆さんを騙そうとしている最中、その現場をお巡りさんに見つかってしまいます。そして吉公が見つかった事で、自分たちの身の危険を感じた著者たちは、いっぺんにわっと泣き出してしまいました。すると、そんな私たちの姿を可哀想に思ったお婆さんは、お巡りさんをとめて著者たちを助けてあげました。こうしてお婆さんに助けられた著者は、「穴の中へでも、這入りたいような恥しさと、悪いことをしたという後悔」とを感じながら、この事件以来お婆さんの納豆を買うようになっていきました。
この作品では、〈自身の立場に関係なく、他人の立場になって考える事のできるある老婆の姿〉が描かれています。
この作品の中での大きな変化は、著者を含めた子供たちの心にあります。しして、その変化には納豆を騙し買われていたお婆さんの存在が大きく関わっています。では、物語の中での彼らの立場を整理しながら、具体的に彼らはお婆さんのどういうところを見て大きく変化していったのかを見ていきましょう。
まず、著者たちが納豆合戦する為にお婆さんから納豆を買っていた時、彼らの中で彼女は騙す対象であり、「「一銭のだい!」と吉公は叱るように言いました。」という一文からも理解できるように、彼らの世界では非常に弱い立場にありました。そして、お婆さんはお婆さんで、自分が盲目であることから子供たちを叱ることもできず、ただ騙されるしかありませんでした。
しかし、物語の途中、お巡りさんという第三者が介入することにより、この立場の均衡は大きく崩れてしまいます。彼はお婆さんを護るべく子供たちをこらしめようとしているのですから、当然子供たちの世界では自分たちよりも立場が強い存在という事になります。そしてこのお巡りさんに守られているお婆さん自身も、一時的にではあるでしょうが、子供たちよりも強い立場に立ったことになります。ですが、このお婆さんは子供たちの様に自分たちよりも弱い立場の者をいじめたり、或いはお巡りさんのようにこらしめたりする心を一切持っていません。彼女は自分が騙されていたにも拘らず、子供たちを可哀想だからと助けようとしているではありませんか。そして、このお婆さんの態度は、著者たちの内面に大きな影響を与えることとなります。彼はお婆さんの自身の立場が変わっても、また自分が騙されていたと分かっても、自分たちを哀れんで助けてくれたその行動を見て、立場の弱いお婆さんを騙していたにも拘らず、彼女に助けられた事への恥ずかしさ、またその事への後悔を感じずにはいられまくなっていきます。だからこそ、彼はそれらを反省し、お婆さんのために納豆を買うようになっていったのです。
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