冬の寒さが残る3月の出来事です。その晩、息が苦しい中、私は行く宛もなく夜の酒場を徘徊しておりました。街のネオンは人々の心を吸い寄せるように怪しく光っておりました。私もその中の一人で、その妖艶な明かりを求めて右へフラフラ左へフラフラと、まるで魂の抜けた屍人のようだったことでしょう。
そんな私の耳に突然、大きな怒鳴り声が何処からともなく響いてきました。私が声の方へ目を向けると、そこには非常に体格のいい中年のスーツを着た男が、若い新入社員と思われる若い別の男を罵っていました。なんと言っていたのかのは聞き取れませんでしたが、私の耳には確かにこう聞こえました。
「お前は誰がどう見ても間違っちゅう。」
その心の言葉に私はたまらなくなり、逃げるようにその場を立ち去りました。苦しかった息は更に酸素を吸うことが困難になり、私を苦しめます。そしてそんな中私は心のなかで、「私は間違っていたのだろうか。私の考える文学は間違っていたのだろうか、」と何度も自分に問いかけていました。
私は実家に帰郷する迄は、関東の方でひっそりとアルバイトをしながら生計を立てていました。朝は六時に起き職場へと向かい、帰ってくるなりすぐにパソコンを立ち上げ小説を書く。そして小説をある程度書き上げるとパソコンを閉じて読書を少しして寝る。こんな生活を続けておりました。ですが、前日のちょっとした無理が祟ったのでしょう。ある日私は職場で倒れてしまいその儘入院。すぐに母は実家から駆けつけてくれました。やがて診察は終わり、診察室で診断の結果を聞くこととなりました。
「それで先生、この子の病気はなんなんでしょうか。」
この母の一見、落ち着いた口調の裏には、周りへの体裁を気にしながらも私の体が気になってしょうがないという強い不安があることが私にはすぐに分かりました。ですが、そんなことを知ってか知らずか、この外来医師は顔色をひとつ変えず、まるでニュースの記事でも読むかのようにこう私たちに告げました。
「心配いりません。軽い過労のようなものです。点滴をすればすぐに良くなりますよ。あと睡眠も足りていないようだから、今日明日は安静にすることをお薦めします。」
その言語を聞くと、母はほっと胸をなで下ろしていました。私も当然内心穏やかではありませんでしたから、この言葉には幾分か救われた心持ちがしました。ですが、その翌々日からが問題でした。私はその日以来、仕事に行くと急に気分が悪くなり、二、三時間しかその場にいられないのです。私は再び病院を訪れ、診察をしてもらいました。医師は私を仕事によるうつ病と診断し、長期の休暇を提案しました。私はこの診断に反対しました。私は実家に帰ることを恐れていたのです。実家の父や母は、私が文学の道を歩もうとしていることを一切知りません。うつ病と診断され、実家に帰れば生活は制限され、活動もやりづらくなってしまうことでしょう。これが私にとって、どれ程の苦痛なことでしょう。そう考えた私は両親に連絡する前に、大学時代の友人であるNを呼び出し相談してみることにしたのです。
「それで、実家に帰りたくないからってこっちに残ってどうやって生活するつもりだ。」
私の部屋に入り、腰を落ち着かせたNはこのような質問を向けてきました。この時の私の顔といったらさぞ当惑していたことでしょう。私は下を向き、どこを見でもなく、ただそこにある何かを見ていました。
「でも帰りたくないんだ。親父やおふくろは、俺が小説を書いていると知ったら、どう思うか……。」
Nは呆れた顔をしてポケットから煙草を取り出しました。
「そら……、お前の気持ちも分かるよ。確かに、ここにはお前のやっていることを理解してくれている友達も俺を含めて多いだろう。高知に帰っても、対立物のなんたらだ、否定の否定だらを分かってくれる人もおらんかもなぁ。でもな、何を言っても人間体が資本だぞ。無理して働くわけにもいかねぇだろ。現実は、お前が考えている以上にシビアだよ。」
「………。」
「まぁ、それにソコソコ書くことも出来ないってこともないだろう。しっかり養生することを俺も勧める。」
「でも書きづらいさ。それに、今まで俺がこうして文学に取り組めてきたのはNとか皆がいたからだと思うんだ。環境だって違う。」
「だからなんだ?」
「いや、だからね、環境が違うんだ。」
この時、私は既に少し熱くなっていました。
「いいか、環境が違うってことは生活スタイルを変えなきゃならない。そうすると、高知は田舎だ。田舎に行けば、田舎的な暮らしが待っている。田舎的な暮らしは都会的な暮らしに比べて楽だ。習慣的に培われるものが少ないからね。すると、今まで培ってきたものは意識していてもだんだんと削がれ出す。分かる。ここが問題なんだよ。」
すると、Nは熱くなっている私の答弁に対し、冷静に、冷たくこう返してきました。
「でも生きることに関してはそう大した問題じゃないだろ。俺達は生きている。俺から言わせてもらえればこっちの方が大きな問題だ。死んでも小説がかけるなら話は別かもしれんけどな。」
「……。」
私はもうどうしていいのか、分からなくなっていました。彼の言っていることはもっともな話です。ですが、自分の命を文学に捧げたいと考えたことのある私にとっては、己の言い分も一里あるとも考えていました。ですから尚更分からないのです。私がこうして悩んでいると、Nは私にとどめの一言を告げました。
「しっかり体治して、また出てくればいいじゃないか。俺も待ってる。」
そう言って彼は私の肩を叩いてくれました。私は暫く考え、いえ、恐らくぼんやりとその言語を飲み込んだ、と言ったほうが正しいでしょう。そして理解した後、ゆっくりと頷き実家の両親に電話をしました。その電話をしている最中です。突然、私はそれまで我慢していたものが心の底から一気に込み上げてくるのを感じ、気がつけば目から涙が一粒二粒こぼれました。ですが何も、単純に実家に帰ることがそこまで嫌で泣いたのではありません。この涙は文学を志す者として、ある程度実力をつけるまでは実家に帰らない腹積もりでしたのに、自身の未熟さからくる病気によって帰らなければならないことを恥じて泣いているのです。また、私は自分の夢がここで途絶えたような心持ちも、この時同時に感じていました。それらが爆発し一滴の涙となり、やがて一滴は虚しい嗚咽となって私の頬を伝っていきました。
その一週間の後、私は六畳一室のワンルームマンションを綺麗サッパリと片付け、Nをはじめとした友人たちと別れの挨拶を告げて高知に戻ってきました。高知に戻ってきて、私の生活は実に退屈なものになりました。インターネットも接続していない我が家では小説を更新する気にはなれず、(私は出来上がった小説は必ずブログにアップすることが習慣としていました。)読書をするか、或いはDVDで映画を見るかをして毎日を過ごしていました。
そんなある日、私と家族が夕食を食べている最中、父からこんな質問を受けました。
「それで、お前の将来設計としてこれからどうするがで。」
私は躊躇することなく、こう言い放ちました。
「暫くは家にいて、一年間お金を貯めて関東に戻るつもりでいるうだけど。」
こう私が行った瞬間、父の顔は少し歪みました。それは私が子供の頃から嫌いな父の表情でした。
「お前の考えていることは分からん、関東へ戻って何がしたい。」
私は当惑しました。父に小説の勉強をしたいと素直に述べてそれを受け入れてもらえないと考えていた私は、この質問に対し、嘘をつくことにしました。
「向こうで働きたいんだ。高知では賃金が安いし、職は少ない。関東は高知に比べれば仕事があるだろうし、賃金も高い。」
父は考え込むフリをしていました。フリなのです。思えば父は実家に帰ってきた私をチラチラと見ていて、「こいつは何を考えているのだ」と思案していたことでしょう。父は大変に漠然とですが、私の夢を見透かし、常々気に入らないと思っていたことでしょう。私は父の詰問から逃れられないことをここで悟ったのです。
「どうも可笑しいにゃー。そんなん思ってないやろう。お前は関東へ行って何がしたい。」
私は下を向いて、何も答えられないようになってしまいました。父を説得することをはじめから諦めていた私は何か言わなければと思いつつも、言葉が浮かんでこないのです。そんな私を見かねたのか、父は決定的な一言を私に言ってきました。
「小説家になりたいがか?」
私は一度コクリと頷きました。父は深くため息をついて、一言。
「お前は誰がどう見ても間違っちゅう。」
私は父の顔をまっすぐ見ていました。同じ顔をしていました。父の顔はそれまで私の夢を否定してきた多くの人々と同じ顔をしていました。私はじっと見ていた母の顔も見ていました。母もやはり同じような顔をしており、私を哀れんでいるようにも見えました。父は更に独り言を漏らすようにこう続けました。
「昔はそれで良かったかもしれん。昔は人が困っちょったら助けれた時代やき。でも今はそうはいかんぞ。まして生活の基盤がしっかりできちょらんお前に、小説なんか書ける訳ないやか。考えてみよ。大学にでも行って世間をみてきたら親の気持ちが少しは分かると思うたけんど、なんも見てこんかったか。まぁええわ。出て行くんやったら本当は大学の時にかかったお金を返してもらいたいけんど、ええわ、好きにせぇ。」
そう捨て台詞を吐くと父は席をたち、その儘自分の部屋へ入っていきました。残された母は黙って涙を流していました。そして私はその場に一秒でもはやく去りたい気持ちで席をたち、家を出てフラフラと街へ出かけたのです。
私は間違っていたのでしょうか。もう一切が分からなくなっていました。息はだんだんと苦しくなってくる一方です。頭に思い浮かぶのは、関東の慣れ親しんだ街並みやNをはじめとした友人たちの顔ばかり。ですが今の私は一人ぼっち。誰も私を知らないのです。こちらの友人も知りません。父も私のことを知りません。母ですら私のことを知らないのです。私は深い孤独に全身を貫かれたような気分になってきました。ああ、足ももつれてきました。上手く立つことが出来なくなった私は、アスファルトめがけて体を叩きつけられました。もうめちゃくちゃです。何がなんだか一切が分かりません。どうにでもなってしまえ。そう思った時でした。私の転んたアスファルトの先には一輪の、もう既に白い種をつけたたんぽぽが咲いていました。冬の冷たさが残っているとは言え、春は春です。咲いていたとしても全く可笑しくありません。ですが、そのなんも変哲もないたんぽぽに私は心奪われていました。硬いアスファルトに力強く根づき堂々と孤独に咲いているそれは、今は微弱でも、いつかはコンクリートを貫く程の力強い生命力を持った種をこの瞬間に飛ばしています。この種たちは他の兄弟達と別れ、暫くは寂しい思いをすることでしょう。ですが、孤独になろうともこの種は成長し、やがては母親と同じように新たな生命を風に運ばせる日がくることでしょう。そう考えていくうちに、私の呼吸は軽くなり、すんなりと立ち上がることできました。この時このたんぽぽは私の中にも、この力強い生命の種をわけてくれたのです。私はこれまでの足取りとは違い、しっかりと地面に踵をつけて暗闇の中へと進んで行きました。
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