2014年5月31日土曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日~4月3日(修正版4)

1・躾期


1887年3月6日ーヘレンの欠点
 アン・マンスフィールド・サリバンは、ケラー大尉の寄越した車の中で、彼の娘であり、目も見えず耳も聞こえずの少女であるケレン・ケラーを教育してゆくという、自身に課せられた使命に胸を熱くさせていました。その彼女の心中は不安もあったでしょうがそれ以上に、期待が彼女を支配し、身体の震えを止められません。
 やがて車はケラー家の屋敷までくると、ケラー大尉は中庭で温かい拍手をして出迎えてくれたのです。しかしそうした挨拶よりもサリバンは真っ先に、これから自分の生徒になる少女の事を知りたがりました。そして家に近づいてみると、戸口のところに子供が立っていたのに気づきます。この子供こそ、ヘレン・ケラーその人でした。ケラー大尉の話では、彼女は「誰か」が来ることを両親や屋敷の人びとの動きから察知し、興奮していたと言います。そしてサリバンはヘレンに近づこうとして、玄関の階段に足をかけようとしました。するとこの小さな少女は、なんとサリバン目掛けて突進してきたではありませんか。これにはサリバンもその衝撃に耐えきれず、後ろへ倒れそうになりましたが、うまい具合にケラー大尉が後ろにいてくれたおかげで怪我をすることはありませんでした。ですがヘレンの驚くべき行動はそれだけではありません。彼女はサリバンのバッグを勝手に覗いて中身を確認しようとしたのです。大人達はすぐに、彼女はキャンディや人形といった自分の好きなものを勝手に取ろうとしているに違いないと考え、バッグをとりあげてしまいました。ヘレンは顔を真赤にしてひどく腹を立てています。ですが、この様子を見ていたサリバンだけはそう考えませんでした。ヘレンはバッグの中身に自分の好きな「何か」が入っているかいまいかという、有り余る好奇心に突き動かされているに過ぎないと考えたのです。そこで腕時計を見せて彼女の注意を引くことにしました。そしてこの試みは成功し、ヘレンはすぐに腕時計に夢中になりました。

 そしてこうしたヘレンと付き合っていくうちに、サリバンはある大きな欠点を発見していきます。それはヘレンはこれまでに「躾」というもの受けてきてこなかったということです。読者の皆さんもよく思い出してみて欲しいのですが、あなた達が何故このヘレンのように、愚かにも他人に体当たりしたりバッグの中を覗こうとしたりしてこなかったのでしょうか。きっとそこには親という監視者があなた方をずっと見張っており、悪いことをしようものなら何かしらの制裁が待っていた事でしょう。
 しかしヘレンの場合はそうではありません。彼女の場合、両親が他の子とは違うことを可哀想に思うあまり、彼女の好きなようにさせてきてしまったのです。その為、人間的な生活のあり方を知らず、ただ自分の内なる衝動や欲求にのみ従い生きてきました。その為に彼女の世界というものは、物理的な障害も相余って、頭の中に鮮明に人々や家や車が投影されているのではなく、ぼんやりとふわふわした、きっとそれは靄や霧、或いは一面雪が敷き詰められているような、純白の世界にフワフワとした物体が浮かんでいるような、兎に角、想像を絶する様な仕組みになっているのでしょう。
 そこでサリバンはヘレンを教育する「前に」、「ゆっくりやりはじめて彼女の愛情を勝ちとる」ことで「躾けようと」したのです。


3月月曜の午後ー人間的に躾けるということ
 しかし彼女を躾けることは容易なことではないようです。その日、サリバンとヘレンは見苦しいまでの喧嘩をしました。原因はヘレンの食事のマナーだったのです。彼女は前に出てきたものは、自分のものだろうが他人のものだろうが関係なく、しかもそれを手で掴み、欲しいものを欲しいだけ食べようとしました。そしてこれにはサリバンも黙ってはおけなかったというわけです。
 しかし彼女は、ヘレンの作法が単純に汚いからだとか服にしみがつくからだとか、そういった理由でとめようと思った訳ではありません。それは人間として生きるのであれば、止めることを避けては通れなかったからそうしただけなのです。もしこのまま彼女の作法を許していってしまえば、きっと彼女は人間ではなく、ただ小枝を齧るリスのように、或いは牧場で糞をする牛のように、獲物を狩るライオンのように、ただ野生の下僕となって生きていくしか道はなくなっていってしまいます。ましてや食事というものは、人間の生活において重要な習慣のひとつと言っても過言ではありません。そう自負するからこそ、サリバンはどのような事があるにせよ、人間的なマナーにおいて、ヘレンに食事をしてもらわなければならないのです。
 ですが、そんなサリバンの気持ちをよそにして、ヘレンはそうした作法を拒み続けます。スプーンを渡そうとすれば床に投げてみたり、ナプキンをなかなかつけようとはしなかったり、やはり他人の皿に手をつっこもうとしたり……。こうした根気のいるような、躾とも喧嘩とも分からない葛藤が長く続いた末、勝利の軍配はサリバンにあがりました。しかし彼女はその後、心身共に疲れてしまい、ベッドに顔をめりこませ泣きました。やがて泣くに泣いて、それに疲れてくると、すっきりとした気持ちで顔を起こして仰向けになって今後のことを考えはじめました。

3月11日~13日 ヘレンと両親、ヘレンとサリバン
 前回の食事作法の失敗から、サリバンは「つたみどりの家」と呼ばれる一軒家に自分とヘレンの2人で住むことにしました。というのも、彼女はここでヘレンを教育する事は不可能であると悟ったのです。幾らサリバンが人間としての土台を彼女に与えようとしても、それまでの彼女と両親との関係がそれを拒んでしまいます。ヘレンはヘレンで、何処かしらで何かは分からない不思議なものが自分のしたいようにさせてくれているし、今回もそうしてくれるという期待を感じている事でしょう。また両親も両親で「何もそこまでしなくても」という感情からついつい彼女を助けてしまっているのです。ですからサリバンは、そうした両親との関係から一度彼女を切り離した上で、ヘレンと新たな関係をつくると共に、人間的な土台を形成していかなければならなかったのでした。
 更にサリバンは、それまでの7年という歳月の間に積み上げられたそれまでの土台を崩し新しいそれを築くために、「征服」という手段を採用します。もちもん「征服」と言っても、単純にヘレンの意思を無視してサリバンが好きなように自身の都合を押し付けるのではなく、人間的な道から大きく逸れた行動をした場合にのみ行使されるということを意味しているのです。
 そしてヘレンの側では、こうした変化にはじめは戸惑いを感じており、あらゆることを拒み続けていました。しかしこれまでと環境が違うことを感じ取り、少しずつサリバンの「征服』を受け入れていくようになっていったのです。


2・知性の生成期


3月20日~4月3日ー土台の形成と新たな問題
 環境という自身の感情における土台が大きく変化した為に、やがてそれに適応しようとヘレンの人間としての土台も変化を見せていきました。はじめはあれ程拒んでいた「征服」も、身体が適応するにつれて徐々に受け入れていき、最終的には自らすすんで服従されていくようになっていったのです。そうしてヘレンはサリバンと両親とでは成し得なかった、新たな関係(指導者と生徒)を築き、同時に人間的な精神を手に入れつつあります。そこには晴れやかな顔をして編み物をしたり、サリバンの膝の上に乗っている「少女」の姿がそこにはありました。これをほんの2週間前に誰が想像できた事でしょう!
 しかしそこには大きな問題が横たわっています。ヘレンは未だに「ことば」というものの存在について知らずにいるのです。人間を教育するという点において、これは欠かすことの出来ないほど重大なことです。何故なら、私達が社会で生きていく上で「ことば」なしの社会など想像が出来るでしょうか。それほどまでに私たちの社会や暮らしに大きく根付いているのです。
 では、理解できていないものをどのように理解させていけば良いのでしょうか。それは彼女たちの教育生活がその答えを出してくれています。下記はサリバンがヘレンとのはじめの2年間を振り返る中で述べているのもです。

 ある概念が子ども心の中ではっきりできあがっている場合、その概念の名前を教えることは物の名前を教えることと同じようにやさしいことなのです。

 つまり、「ことば」という概念が分かるまで、ヘレンは様々な「ことば」に触れ、経験していくとが必要だったのでした。サリバンがヘレンに事ある事に指文字で「ことば」を教えようとしていたのもこの為です。4月3日までの日記では、動詞という、名刺よりも高度な概念の「ことば」を理解しはじめてきているといいます。彼女が「ことば」そのものを理解する日もそう遠くはない事でしょう。

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