2014年5月31日土曜日

煙の時代

「でよぉ、お前の標準語なんとかならんがかぁ。」
 慣れないビールの味に酔ってテレビをボーっと見ていた僕に、突然武志はこんな事を聞いてきた。これは地元に帰ってくるとよく言われる台詞である。というのも、大体僕のように、高知県を離れて他の県に行った友達は、向こうの方言がうつっても帰ってくれば土佐弁を喋る、或いは意地を張って向こうの方言を喋らないため、方言がうつらないまま帰ってくる。しかし僕の場合はその逆で、元々土佐弁が好きではない事、高知にいた時の自分が嫌いな事から、僕は頑として高知に帰っても標準語を話している。だから高知の友達からは奇妙がられるのだ。
「ごめん、どうにもなおらないんだ。土佐弁を話すとかえって変な感じするし。」
「まぁ山野君は大学行ってからずっと関東ながやし、仕方ないがやない。」
 奥の間から武志の奥さんが出てきて、机の上の潰されたビール缶を片付けながらあっけらかんとこういった。
「そんなもんかや。」
 武志は首を傾けながらビールに手をやった。僕は苦笑いで、
「長い間向こうにいるからね。」
 とだけ答えた。すると武志は何か思い出したように、こうつけ足した。
「まぁな。昔はこうしてお前と酒を飲むとか考えられんかったなぁ。」
 武志はしみじみと下を向きながら話を続けた。
「高校の時の俺って、ドラえもんのジャイアンみたいな存在やったやん。お前の事も馬鹿にしちょったし、先生とか大人も舐めちょった。けどこうして働きだして、自分が馬鹿にしてきちょったもんがすごかったがやなぁって事が分かったし、それにあんな事したに、こうして遊べるっていうのは有難いにゃあ。新しい友達もえいけんど、やっぱり古い友達がえい。」
 こう語る彼は、昔を懐かしがるようでもあり、悔いるようでもあり、またこの場そのものを喜んでいるようでもあった。そして僕も同じ気持ちである。僕は高校生の頃を思い出していた。武志が語るように、昔の彼は乱暴者で機嫌が悪いと、なんにでもつっかかっていた。そしてクラスの中でも端の方の席にいた僕は、しょっちゅう彼の鬱憤のはけ口となっていた。ところが時が経ち成人を迎えた夜、武志は僕によそよそしく話しかけてきた。僕もどうしていいか分からず、どぎまぎしながらもそれに応じた。こうして僕と武志の付き合いははじまり、今でもこうして酒を酌み交わす仲となった。僕の胸ぐらを掴む武志。それに怯えながらも、彼の手を服から剥がそうとする僕。その過去があってこれ。そう考えるとやっぱり僕も僕で、滑稽で恥ずかしくもあり、心地良い。だから僕も僕の誠意をもって、彼に同意を示した。
「正直僕は古い友達だからこそやりづらいところがあるんだ。」
「そうなが。」
 武志は少し意外そうな顔をした。
「うん。俺高知にいた時の自分って嫌いなんだよね。そして高知の友達はその時の僕を知ってるから、なんだかやりづらいなって思うこともあるんだよ。でも、こうしてお酒飲みながら昔の事を話すのも、いいなって思う。」
 今度はウンウンと頷きながらビールを口に含み、
「まぁ、今日ははじめてお前がうちに遊びに来てくれた日やからな。ゆっくりしていってくれ。」
 と言った。そして彼は奥さんにお酒のつまみを家中に響く声で催促していた。僕も、そんな武志の様子にホッと胸を撫で下ろしながら煙草に火をつける。そして思いっきり煙を肺に詰め込んで、ゆっくりと吐く。やがて煙は周りの空気に溶け込んでいった。

十二年目の再会

 あれは九月の、まだ残暑が続いていた頃のことでした。その日、ぼくは中学時代の同級生だった恵子ちゃんと、姫路駅近くのロータリーで待ち合わせをしていました。恵子ちゃんはもともとはぼくと同じ姫路の人間だったのですが、両親の仕事と彼女の進学をきっかけに東京へ引越し、それから約十二年間疎遠になっていました。ですがつい先日、その恵子ちゃんから突然連絡がきて、今度姫路に行く用事が出来たから久し振りに遊ぼうという事になったのです。
 しかしぼくは彼女と再会することを楽しみにしている一方で、一体何を話したらいいのだろうか、何処に行けばいいのだろうか、なんと声をかければいいのだろうかという、不安や緊張も感じていました。そうした事を考えていたためか、ぼくは待ち合わせ時間の四十分以上も前にロータリーに着いてしまいました。当然彼女はまだ来ているわけがありません。
 そこでぼくは気を落ち着けるという意味も込めて、近くのCDショップに足を運ぶことにしました。そこは姫路駅から五分くらいのところにあり、学校の帰りに恵子ちゃんとよく通った思い出の場所でもありました。店内に入ると、そこには数人の学生らしき人々と、ぼくと同年代ぐらいの女性が一人と、店員さんしかいませんでした。なので他の人を気にすることなく、ぼくは新商品をチェックすることができました。ですが、ここでまたしてもある不安がぼくの脳裏をよぎりました。音楽好きのぼくは、CDショップやレンタルビデオ店に入ると時間が経つのを忘れて、音楽の視聴に没頭してしまう傾向がありました。結果、友達との待ち合わせ時間に遅れてしまうのです。この日もまずいなとは思っていました。ですがどうしても気持ちを落ち着けたいぼくは、ヘッドフォンを耳に当てて視聴することにしたのです。そしてプレイヤーのスイッチを入れると、ヘッドフォンからはポップなメロディラインが聞こえてきました。こうしてぼくは待ち合わせの事などすっかりわすれて、音楽の波にさらわれていってしまったのです。
 しかしさらわれて戻ってきた時にはもう手遅れでした。ぼくが慌てて携帯電話のディスプレイを確認すると、約束時間を一七分も過ぎてしまっていたのです。ぼくは思わず、
「あかん、遅刻や!」
 と自分でもびっくりするぐらいの声を出してしまいました。すると店内のどこからか、
「やばっ、遅れてるやん!!」
 という女性の声が聞こえてきました。それはぼくが入店した時からいた、ぼくと同年代ぐらいの、あの女性でした。彼女は手に持っていた音楽雑誌をおいて急いで何処かへ消えていってしまいました。その光景に気をとられていたぼくは、我に返ると彼女につづくかたちで店内を出ていきました。
 ロータリーに着くと、彼女を見分ける自信のなかったぼくは携帯電話を取り出し、彼女に連絡しました。
「もしもし、今どのあたり?」
「ついてんで、タクシーとまってるところ。」
「タクシー止まってるっていっぱい……。」
 この会話の途中、二人は目をあわせて噴き出してしまいました。何故なら、先程CDショップを慌てて出ていった、あの女性が携帯電話を片手に話していたからに他ならなかったからです。

たんぽぽ

 冬の寒さが残る3月の出来事です。その晩、息が苦しい中、私は行く宛もなく夜の酒場を徘徊しておりました。街のネオンは人々の心を吸い寄せるように怪しく光っておりました。私もその中の一人で、その妖艶な明かりを求めて右へフラフラ左へフラフラと、まるで魂の抜けた屍人のようだったことでしょう。
 そんな私の耳に突然、大きな怒鳴り声が何処からともなく響いてきました。私が声の方へ目を向けると、そこには非常に体格のいい中年のスーツを着た男が、若い新入社員と思われる若い別の男を罵っていました。なんと言っていたのかのは聞き取れませんでしたが、私の耳には確かにこう聞こえました。
「お前は誰がどう見ても間違っちゅう。」
 その心の言葉に私はたまらなくなり、逃げるようにその場を立ち去りました。苦しかった息は更に酸素を吸うことが困難になり、私を苦しめます。そしてそんな中私は心のなかで、「私は間違っていたのだろうか。私の考える文学は間違っていたのだろうか、」と何度も自分に問いかけていました。

 私は実家に帰郷する迄は、関東の方でひっそりとアルバイトをしながら生計を立てていました。朝は六時に起き職場へと向かい、帰ってくるなりすぐにパソコンを立ち上げ小説を書く。そして小説をある程度書き上げるとパソコンを閉じて読書を少しして寝る。こんな生活を続けておりました。ですが、前日のちょっとした無理が祟ったのでしょう。ある日私は職場で倒れてしまいその儘入院。すぐに母は実家から駆けつけてくれました。やがて診察は終わり、診察室で診断の結果を聞くこととなりました。
「それで先生、この子の病気はなんなんでしょうか。」
 この母の一見、落ち着いた口調の裏には、周りへの体裁を気にしながらも私の体が気になってしょうがないという強い不安があることが私にはすぐに分かりました。ですが、そんなことを知ってか知らずか、この外来医師は顔色をひとつ変えず、まるでニュースの記事でも読むかのようにこう私たちに告げました。
「心配いりません。軽い過労のようなものです。点滴をすればすぐに良くなりますよ。あと睡眠も足りていないようだから、今日明日は安静にすることをお薦めします。」
 その言語を聞くと、母はほっと胸をなで下ろしていました。私も当然内心穏やかではありませんでしたから、この言葉には幾分か救われた心持ちがしました。ですが、その翌々日からが問題でした。私はその日以来、仕事に行くと急に気分が悪くなり、二、三時間しかその場にいられないのです。私は再び病院を訪れ、診察をしてもらいました。医師は私を仕事によるうつ病と診断し、長期の休暇を提案しました。私はこの診断に反対しました。私は実家に帰ることを恐れていたのです。実家の父や母は、私が文学の道を歩もうとしていることを一切知りません。うつ病と診断され、実家に帰れば生活は制限され、活動もやりづらくなってしまうことでしょう。これが私にとって、どれ程の苦痛なことでしょう。そう考えた私は両親に連絡する前に、大学時代の友人であるNを呼び出し相談してみることにしたのです。
「それで、実家に帰りたくないからってこっちに残ってどうやって生活するつもりだ。」
 私の部屋に入り、腰を落ち着かせたNはこのような質問を向けてきました。この時の私の顔といったらさぞ当惑していたことでしょう。私は下を向き、どこを見でもなく、ただそこにある何かを見ていました。
「でも帰りたくないんだ。親父やおふくろは、俺が小説を書いていると知ったら、どう思うか……。」
 Nは呆れた顔をしてポケットから煙草を取り出しました。
「そら……、お前の気持ちも分かるよ。確かに、ここにはお前のやっていることを理解してくれている友達も俺を含めて多いだろう。高知に帰っても、対立物のなんたらだ、否定の否定だらを分かってくれる人もおらんかもなぁ。でもな、何を言っても人間体が資本だぞ。無理して働くわけにもいかねぇだろ。現実は、お前が考えている以上にシビアだよ。」
「………。」
「まぁ、それにソコソコ書くことも出来ないってこともないだろう。しっかり養生することを俺も勧める。」
「でも書きづらいさ。それに、今まで俺がこうして文学に取り組めてきたのはNとか皆がいたからだと思うんだ。環境だって違う。」
「だからなんだ?」
「いや、だからね、環境が違うんだ。」
 この時、私は既に少し熱くなっていました。
「いいか、環境が違うってことは生活スタイルを変えなきゃならない。そうすると、高知は田舎だ。田舎に行けば、田舎的な暮らしが待っている。田舎的な暮らしは都会的な暮らしに比べて楽だ。習慣的に培われるものが少ないからね。すると、今まで培ってきたものは意識していてもだんだんと削がれ出す。分かる。ここが問題なんだよ。」
 すると、Nは熱くなっている私の答弁に対し、冷静に、冷たくこう返してきました。
「でも生きることに関してはそう大した問題じゃないだろ。俺達は生きている。俺から言わせてもらえればこっちの方が大きな問題だ。死んでも小説がかけるなら話は別かもしれんけどな。」
「……。」
 私はもうどうしていいのか、分からなくなっていました。彼の言っていることはもっともな話です。ですが、自分の命を文学に捧げたいと考えたことのある私にとっては、己の言い分も一里あるとも考えていました。ですから尚更分からないのです。私がこうして悩んでいると、Nは私にとどめの一言を告げました。
「しっかり体治して、また出てくればいいじゃないか。俺も待ってる。」
 そう言って彼は私の肩を叩いてくれました。私は暫く考え、いえ、恐らくぼんやりとその言語を飲み込んだ、と言ったほうが正しいでしょう。そして理解した後、ゆっくりと頷き実家の両親に電話をしました。その電話をしている最中です。突然、私はそれまで我慢していたものが心の底から一気に込み上げてくるのを感じ、気がつけば目から涙が一粒二粒こぼれました。ですが何も、単純に実家に帰ることがそこまで嫌で泣いたのではありません。この涙は文学を志す者として、ある程度実力をつけるまでは実家に帰らない腹積もりでしたのに、自身の未熟さからくる病気によって帰らなければならないことを恥じて泣いているのです。また、私は自分の夢がここで途絶えたような心持ちも、この時同時に感じていました。それらが爆発し一滴の涙となり、やがて一滴は虚しい嗚咽となって私の頬を伝っていきました。

 その一週間の後、私は六畳一室のワンルームマンションを綺麗サッパリと片付け、Nをはじめとした友人たちと別れの挨拶を告げて高知に戻ってきました。高知に戻ってきて、私の生活は実に退屈なものになりました。インターネットも接続していない我が家では小説を更新する気にはなれず、(私は出来上がった小説は必ずブログにアップすることが習慣としていました。)読書をするか、或いはDVDで映画を見るかをして毎日を過ごしていました。

 そんなある日、私と家族が夕食を食べている最中、父からこんな質問を受けました。
「それで、お前の将来設計としてこれからどうするがで。」
 私は躊躇することなく、こう言い放ちました。
「暫くは家にいて、一年間お金を貯めて関東に戻るつもりでいるうだけど。」
 こう私が行った瞬間、父の顔は少し歪みました。それは私が子供の頃から嫌いな父の表情でした。
「お前の考えていることは分からん、関東へ戻って何がしたい。」
 私は当惑しました。父に小説の勉強をしたいと素直に述べてそれを受け入れてもらえないと考えていた私は、この質問に対し、嘘をつくことにしました。
「向こうで働きたいんだ。高知では賃金が安いし、職は少ない。関東は高知に比べれば仕事があるだろうし、賃金も高い。」
 父は考え込むフリをしていました。フリなのです。思えば父は実家に帰ってきた私をチラチラと見ていて、「こいつは何を考えているのだ」と思案していたことでしょう。父は大変に漠然とですが、私の夢を見透かし、常々気に入らないと思っていたことでしょう。私は父の詰問から逃れられないことをここで悟ったのです。
「どうも可笑しいにゃー。そんなん思ってないやろう。お前は関東へ行って何がしたい。」
 私は下を向いて、何も答えられないようになってしまいました。父を説得することをはじめから諦めていた私は何か言わなければと思いつつも、言葉が浮かんでこないのです。そんな私を見かねたのか、父は決定的な一言を私に言ってきました。
「小説家になりたいがか?」
 私は一度コクリと頷きました。父は深くため息をついて、一言。
「お前は誰がどう見ても間違っちゅう。」
 私は父の顔をまっすぐ見ていました。同じ顔をしていました。父の顔はそれまで私の夢を否定してきた多くの人々と同じ顔をしていました。私はじっと見ていた母の顔も見ていました。母もやはり同じような顔をしており、私を哀れんでいるようにも見えました。父は更に独り言を漏らすようにこう続けました。
「昔はそれで良かったかもしれん。昔は人が困っちょったら助けれた時代やき。でも今はそうはいかんぞ。まして生活の基盤がしっかりできちょらんお前に、小説なんか書ける訳ないやか。考えてみよ。大学にでも行って世間をみてきたら親の気持ちが少しは分かると思うたけんど、なんも見てこんかったか。まぁええわ。出て行くんやったら本当は大学の時にかかったお金を返してもらいたいけんど、ええわ、好きにせぇ。」
 そう捨て台詞を吐くと父は席をたち、その儘自分の部屋へ入っていきました。残された母は黙って涙を流していました。そして私はその場に一秒でもはやく去りたい気持ちで席をたち、家を出てフラフラと街へ出かけたのです。

 私は間違っていたのでしょうか。もう一切が分からなくなっていました。息はだんだんと苦しくなってくる一方です。頭に思い浮かぶのは、関東の慣れ親しんだ街並みやNをはじめとした友人たちの顔ばかり。ですが今の私は一人ぼっち。誰も私を知らないのです。こちらの友人も知りません。父も私のことを知りません。母ですら私のことを知らないのです。私は深い孤独に全身を貫かれたような気分になってきました。ああ、足ももつれてきました。上手く立つことが出来なくなった私は、アスファルトめがけて体を叩きつけられました。もうめちゃくちゃです。何がなんだか一切が分かりません。どうにでもなってしまえ。そう思った時でした。私の転んたアスファルトの先には一輪の、もう既に白い種をつけたたんぽぽが咲いていました。冬の冷たさが残っているとは言え、春は春です。咲いていたとしても全く可笑しくありません。ですが、そのなんも変哲もないたんぽぽに私は心奪われていました。硬いアスファルトに力強く根づき堂々と孤独に咲いているそれは、今は微弱でも、いつかはコンクリートを貫く程の力強い生命力を持った種をこの瞬間に飛ばしています。この種たちは他の兄弟達と別れ、暫くは寂しい思いをすることでしょう。ですが、孤独になろうともこの種は成長し、やがては母親と同じように新たな生命を風に運ばせる日がくることでしょう。そう考えていくうちに、私の呼吸は軽くなり、すんなりと立ち上がることできました。この時このたんぽぽは私の中にも、この力強い生命の種をわけてくれたのです。私はこれまでの足取りとは違い、しっかりと地面に踵をつけて暗闇の中へと進んで行きました。

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日~4月3日(修正版4)

1・躾期


1887年3月6日ーヘレンの欠点
 アン・マンスフィールド・サリバンは、ケラー大尉の寄越した車の中で、彼の娘であり、目も見えず耳も聞こえずの少女であるケレン・ケラーを教育してゆくという、自身に課せられた使命に胸を熱くさせていました。その彼女の心中は不安もあったでしょうがそれ以上に、期待が彼女を支配し、身体の震えを止められません。
 やがて車はケラー家の屋敷までくると、ケラー大尉は中庭で温かい拍手をして出迎えてくれたのです。しかしそうした挨拶よりもサリバンは真っ先に、これから自分の生徒になる少女の事を知りたがりました。そして家に近づいてみると、戸口のところに子供が立っていたのに気づきます。この子供こそ、ヘレン・ケラーその人でした。ケラー大尉の話では、彼女は「誰か」が来ることを両親や屋敷の人びとの動きから察知し、興奮していたと言います。そしてサリバンはヘレンに近づこうとして、玄関の階段に足をかけようとしました。するとこの小さな少女は、なんとサリバン目掛けて突進してきたではありませんか。これにはサリバンもその衝撃に耐えきれず、後ろへ倒れそうになりましたが、うまい具合にケラー大尉が後ろにいてくれたおかげで怪我をすることはありませんでした。ですがヘレンの驚くべき行動はそれだけではありません。彼女はサリバンのバッグを勝手に覗いて中身を確認しようとしたのです。大人達はすぐに、彼女はキャンディや人形といった自分の好きなものを勝手に取ろうとしているに違いないと考え、バッグをとりあげてしまいました。ヘレンは顔を真赤にしてひどく腹を立てています。ですが、この様子を見ていたサリバンだけはそう考えませんでした。ヘレンはバッグの中身に自分の好きな「何か」が入っているかいまいかという、有り余る好奇心に突き動かされているに過ぎないと考えたのです。そこで腕時計を見せて彼女の注意を引くことにしました。そしてこの試みは成功し、ヘレンはすぐに腕時計に夢中になりました。

 そしてこうしたヘレンと付き合っていくうちに、サリバンはある大きな欠点を発見していきます。それはヘレンはこれまでに「躾」というもの受けてきてこなかったということです。読者の皆さんもよく思い出してみて欲しいのですが、あなた達が何故このヘレンのように、愚かにも他人に体当たりしたりバッグの中を覗こうとしたりしてこなかったのでしょうか。きっとそこには親という監視者があなた方をずっと見張っており、悪いことをしようものなら何かしらの制裁が待っていた事でしょう。
 しかしヘレンの場合はそうではありません。彼女の場合、両親が他の子とは違うことを可哀想に思うあまり、彼女の好きなようにさせてきてしまったのです。その為、人間的な生活のあり方を知らず、ただ自分の内なる衝動や欲求にのみ従い生きてきました。その為に彼女の世界というものは、物理的な障害も相余って、頭の中に鮮明に人々や家や車が投影されているのではなく、ぼんやりとふわふわした、きっとそれは靄や霧、或いは一面雪が敷き詰められているような、純白の世界にフワフワとした物体が浮かんでいるような、兎に角、想像を絶する様な仕組みになっているのでしょう。
 そこでサリバンはヘレンを教育する「前に」、「ゆっくりやりはじめて彼女の愛情を勝ちとる」ことで「躾けようと」したのです。


3月月曜の午後ー人間的に躾けるということ
 しかし彼女を躾けることは容易なことではないようです。その日、サリバンとヘレンは見苦しいまでの喧嘩をしました。原因はヘレンの食事のマナーだったのです。彼女は前に出てきたものは、自分のものだろうが他人のものだろうが関係なく、しかもそれを手で掴み、欲しいものを欲しいだけ食べようとしました。そしてこれにはサリバンも黙ってはおけなかったというわけです。
 しかし彼女は、ヘレンの作法が単純に汚いからだとか服にしみがつくからだとか、そういった理由でとめようと思った訳ではありません。それは人間として生きるのであれば、止めることを避けては通れなかったからそうしただけなのです。もしこのまま彼女の作法を許していってしまえば、きっと彼女は人間ではなく、ただ小枝を齧るリスのように、或いは牧場で糞をする牛のように、獲物を狩るライオンのように、ただ野生の下僕となって生きていくしか道はなくなっていってしまいます。ましてや食事というものは、人間の生活において重要な習慣のひとつと言っても過言ではありません。そう自負するからこそ、サリバンはどのような事があるにせよ、人間的なマナーにおいて、ヘレンに食事をしてもらわなければならないのです。
 ですが、そんなサリバンの気持ちをよそにして、ヘレンはそうした作法を拒み続けます。スプーンを渡そうとすれば床に投げてみたり、ナプキンをなかなかつけようとはしなかったり、やはり他人の皿に手をつっこもうとしたり……。こうした根気のいるような、躾とも喧嘩とも分からない葛藤が長く続いた末、勝利の軍配はサリバンにあがりました。しかし彼女はその後、心身共に疲れてしまい、ベッドに顔をめりこませ泣きました。やがて泣くに泣いて、それに疲れてくると、すっきりとした気持ちで顔を起こして仰向けになって今後のことを考えはじめました。

3月11日~13日 ヘレンと両親、ヘレンとサリバン
 前回の食事作法の失敗から、サリバンは「つたみどりの家」と呼ばれる一軒家に自分とヘレンの2人で住むことにしました。というのも、彼女はここでヘレンを教育する事は不可能であると悟ったのです。幾らサリバンが人間としての土台を彼女に与えようとしても、それまでの彼女と両親との関係がそれを拒んでしまいます。ヘレンはヘレンで、何処かしらで何かは分からない不思議なものが自分のしたいようにさせてくれているし、今回もそうしてくれるという期待を感じている事でしょう。また両親も両親で「何もそこまでしなくても」という感情からついつい彼女を助けてしまっているのです。ですからサリバンは、そうした両親との関係から一度彼女を切り離した上で、ヘレンと新たな関係をつくると共に、人間的な土台を形成していかなければならなかったのでした。
 更にサリバンは、それまでの7年という歳月の間に積み上げられたそれまでの土台を崩し新しいそれを築くために、「征服」という手段を採用します。もちもん「征服」と言っても、単純にヘレンの意思を無視してサリバンが好きなように自身の都合を押し付けるのではなく、人間的な道から大きく逸れた行動をした場合にのみ行使されるということを意味しているのです。
 そしてヘレンの側では、こうした変化にはじめは戸惑いを感じており、あらゆることを拒み続けていました。しかしこれまでと環境が違うことを感じ取り、少しずつサリバンの「征服』を受け入れていくようになっていったのです。


2・知性の生成期


3月20日~4月3日ー土台の形成と新たな問題
 環境という自身の感情における土台が大きく変化した為に、やがてそれに適応しようとヘレンの人間としての土台も変化を見せていきました。はじめはあれ程拒んでいた「征服」も、身体が適応するにつれて徐々に受け入れていき、最終的には自らすすんで服従されていくようになっていったのです。そうしてヘレンはサリバンと両親とでは成し得なかった、新たな関係(指導者と生徒)を築き、同時に人間的な精神を手に入れつつあります。そこには晴れやかな顔をして編み物をしたり、サリバンの膝の上に乗っている「少女」の姿がそこにはありました。これをほんの2週間前に誰が想像できた事でしょう!
 しかしそこには大きな問題が横たわっています。ヘレンは未だに「ことば」というものの存在について知らずにいるのです。人間を教育するという点において、これは欠かすことの出来ないほど重大なことです。何故なら、私達が社会で生きていく上で「ことば」なしの社会など想像が出来るでしょうか。それほどまでに私たちの社会や暮らしに大きく根付いているのです。
 では、理解できていないものをどのように理解させていけば良いのでしょうか。それは彼女たちの教育生活がその答えを出してくれています。下記はサリバンがヘレンとのはじめの2年間を振り返る中で述べているのもです。

 ある概念が子ども心の中ではっきりできあがっている場合、その概念の名前を教えることは物の名前を教えることと同じようにやさしいことなのです。

 つまり、「ことば」という概念が分かるまで、ヘレンは様々な「ことば」に触れ、経験していくとが必要だったのでした。サリバンがヘレンに事ある事に指文字で「ことば」を教えようとしていたのもこの為です。4月3日までの日記では、動詞という、名刺よりも高度な概念の「ことば」を理解しはじめてきているといいます。彼女が「ことば」そのものを理解する日もそう遠くはない事でしょう。

2014年5月23日金曜日

タナトスの使者ーFile1-1

ただ生きるという以外に何の目的もなしにいつまでも生き続けどこまでも生を続けていく種属というものは、客観的には滑稽だし、主観的には退屈なものだろうさ

『自殺について 他四篇』 ショウペンハウル著


 月に一度の墓参りは最早、来島(くるしま)にとって欠かすことのできない習慣のひとつになっていた。彼はこの「岡崎」の墓前で手を合わせる事で、医者でありながら、否、医者であるが故に人の命を葬る自身の身を戒めているのである。目を瞑ると、これまで自身が生死の審判を下してきた者達の顔が浮かび上がってき出す。そして、それらの表情ひとつひとつが来島の使命感となって彼を突き動かすものへと転化してゆくのだ。また彼のそうした佇まいは、そのすらっとしていて整った容姿と相余って、霊魂を天上に送る天使のようにも見えなくもない。そういう神秘的な要素を意図することなく纏っているのである。そうして神秘の、目に見えない衣装を羽織った彼は、目を静かに、力強く開いて迷うことなくある方向へ向かおうとする。
 すると、来島に向かって一台の黒い高級車がやってきた。その車は彼もこれまでに幾度となく乗ったことのあるものである。また、彼は心の何処かでこの車が自分を見つけてくれることを望んでいたようにすら感じていた。そして彼と車がちょうど並んだところで後ろの窓が開き、その奥には藤堂の姿があった。
「ここだったか。」
 なんの感情もこもらせず、ただわざとらしそうにそう告げた。
「よして下さい、白々しい。」
 この男ははじめから俺がここにいることを知っていたのだ、知っていたからどこかで待ち伏せしていたに違いない。来島の勘、藤堂との長きに渡る付き合いが、彼にそう囁くのだ。それが図星だったのか、藤堂は彼のこの言葉を鼻で笑い飛ばし、まぁ乗って話でもしようと誘ってきた。彼は躊躇することなく藤堂の反対側にまわった。
「話もいいですが、線香の一本ぐらいあげていったらどうです。」
 それはかつての旧友の墓を訪れないことに対する、藤堂への避難の言葉であった。しかし、そんな来島の冷たくも温かい避難は、藤堂の冷めきった心に火をつけることはなかったのである。
「使者への手向けなぞ、生者の自己満足に過ぎん。それに、我々の間での話と言えば、これだけで充分だろう。」
 そう言って藤堂は、自身のポケットからとあるメモを来島に渡した。そこには、次の仕事のクライアントの簡単な個人情報が走り書きで記されてあった。来島はそれをじっと見つめて、すぐにしまおうとはしなかった。
「仕事、ですか。」
「そうだ、すぐに取りかかってくれ。」
 少し彼を突き放すかのように藤堂は言い放った。そしてそうした心持ちが来島にも通じたのか、それに応じるように、車から降り、やがて桜吹雪の中へと姿を消していった。


 自身が余命半年と診断されて2度目の春を迎えた頃、安田隆一はこんな事を考えていた。自分はあとどれぐらい生き続けるのだろうと。ガンという病気が肺から全身にかけて蝕まれており、最早生への執着は一欠片も残ってはいなかった。寧ろ、この長きに渡る苦しみから解き放たれたいという、死への憧れの方が日増しに強くなっていくのが自分でもはっきりと感じられた。というよりも、その事以外に考えることすらできなくなっていた。身体の苦しみだけではない。そのうち寝たきりになってチューブで繋がれて生かされるということにもなるかもしれないしそれも恐ろしい。しかし何よりも安田に死を望ませる事は、妻の存在であった。これまで献身的に彼を介護し続けてきた彼女は、恐らく心身共に疲れきっている気がしてならなかった。最近ではその疲れを隠せないのか、お箸がちぐはぐに用意されていたりだとか、同じものを2個買ってきたりだとか、そういった妻らしからぬ間違いも増えてきたようにも思える。このまま自分に縛らせておくことは、この先の彼女の人生を奪っているような気がして安田にはならなかった。
 ふと1ヶ月前にある知人に、こんな依頼をしたことを思い出す。なんでも最近では、他人の死を助けてくれるといった団体が存在し、事故や自殺に見せかけて殺してくれるのだという。安田はこの話を聞いた時、藁をも掴む気持ちであった。だが、実際1ヶ月経ってみればどうだ。音沙汰もない。やはりそんなにうまい話はありはしない。そう安田が思って窓の方を振り返った、まさにその時である。妻ではない何者かがうちの中へ入ってきているのだ。背は高く、髪も長い。しかし女ではなく、どうやら若い男のようである。向こうもこちらが気がついているのを察したのか、慌てることなく心地の良い低い声で挨拶をしてきた。
「遅くなって申し訳ありません。」
 安田は度肝を抜かれた。まさかという期待と驚きが彼の全身を駆け巡った。男は挨拶を続ける。
「日本タナロジー学会から参りました、代理人(エージェント)の来島です。」
 安田にとって、日本タナロジー学会がどういう組織であるのか、来島という男が何者なのかといったことはどうでもよかった。ただあるひとつのことだけははっきりしていたのだから。この来島という男は、自分を殺してくれる為にやってきてくれたのだ。焦る気持ちを抑えながら、安田はしみじみとこう述べた。
「遅かったじゃないか。」
「来るには来ていましたが、こちらにも事情がありますので。」
「事情?」
「ええ、ですからこうして用心して、窓から失礼させて頂いたのです。」
 安田にとってこれは奇妙な事に思えた。一体何に用心せねばならぬというのだろうか。保険会社か何かが、わざわざ自分がどうのようにして死ぬのかを見にくるということも考えにくいし、この男が警察に感付かれるような間違いを犯したとでもいうのだろうか。そんな彼らの、自分とは全く関係のない都合だけで死ぬ事を延期させられたかもしれないと思うと、安田は腹立たしくなってきた。
「何が事情だ?誰にも遠慮することはなかっただろう。」
「わかっていらっしゃらない、もっと慎重になってもらわないと。」
 来島という男はややわざとらしく肩をすくめて、刑法202条にこんな条文があり、これから自分たちがしようとしている事はれっきとした犯罪だということを安田に教えた。

人を教唆し、若しくは幇助(ほうじょ)して自殺させ、又は人をその属託を受け、若しくはその承諾を得て殺した者は6ヶ月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。

 だが安田には来島が何を言いたいのかよく分からなかった。
「だからなんだ、警察がかぎつけているとでも言うのかね?」
 来島はあくまで落ち着き払って質問に答えた。
「そうではありません、私はこれでも医者です。下手をうつような事はしていません。学会の活動を面白くないと思っている者達がいる、という言っておきましょう。あなたが見つけたくらいだ。そろそろ世間が私たちの事に気がついてもおかしくはありません。私たちは死を処方します。人が自分で死期を決める権利を持つことをあまり道徳的ではないと思っている人達がいるんです。」
「そうかね?尊厳死は人に認められて当然の権利だと思うがね。」
「いいえ、ご理解頂けてない。尊厳死というのは患者の希望で延命治療を中止することしか意味しません。これからやることはあなたにとっては自殺、私にとっては殺人、それ以上でも以下でもないのです。」
「うむう……。」
 安田はここまで聞いて一切が飲み込めた。しかしこれから死ぬ人間が法律を気にしたって仕方がない。寧ろ法律を犯してでも、彼は死を羨望した。
「よかろう、これからは慎重になる。で、具体的には私はどうすればいい?いつ殺してくれる?」
「待って下さい。死は誰にでも処方できるものではありません。まずはあなたを審査させて頂きます。」
 人を1か月も待たせておいて、一体何を、何の権利があって審査するというのか。こう思うと安田は自身の内から憤怒が湧き出てくることを抑えきれなかった。それを来島も感づかかない程愚鈍ではなかった。
「私たちのやり方に従って頂けないのなら話はこれで終わりです。」
「い、いや……それは、困る。」
 安田は怒りを鎮めることに務めた。しかし、そうまでして他人に殺してもらおうとする彼の姿勢に来島は疑問を感じた。
「何故です。貴方は末期の肺ガンでもう余命幾許もないとお聞きしています。どうしてそこまで私たちに拘るのです。」
「そうだ、だが余命半年と言われ、もう2年と半分になる。私は自分の最後をせめて自分らしく迎える為に、自宅療養を選んだのだ。君も医者なら分かるだろう。ガン患者というものは症状が悪化していけば、そのうち寝たきりなってチューブで全身を繋がれて、そして最後には痛み止めで意識が朦朧としながら、家族に別れを告げられぬうちにあの世行き……。私ももう歳だ。これまでそのような死に方をいくつか見てきたが、それだけは嫌だと思ったものだ。だが、その私の我儘のせいで、妻がもう耐えられなくなってきている。あれはちょうど君たちの学会に依頼する2週間ぐらい前の話だ。私は妻の介護で飯を食っていたが、ちょっとした不注意で味噌汁を手から零してしまってね。妻がそれをとってこちらを振り向いた時に、それまで私をなんの文句も言わず、健気に世話をしてくれる妻はそこにいなかった。『別の何か』がそこにはいたんだよ。まるで煉獄に繋がれている亡者のようだった。妻は私という煉獄に囚われているのだ。だから何処にも行けず、何も出来ず……。元々妻は社交的で活発な性格で、私が病気をするまでは茶道を人に教えていた。しかしそれも私がこうなってしまって以来、ぱったりとやめてしまった。それが私という鎖に繋がれたまま、自分の人生を生きられないのはあまりにも不憫過ぎる。だから、一日でもはやく私を殺して欲しいのだ。」
 こう述べる安田の顔は次第に目はカッと開き、口は釣り上がり、まるで鬼のような形相へと変貌していった。しかしこれとは対照的に来島の表情は穏やかで、まるで全てを見透かしたような笑みを浮かべていた。
「いや、感動しました。私も協力のし甲斐があるというものです。」
 こうした彼の反応は安田の怒りを再び呼び起こした。が、またもぐっとこらえて、彼の次の句を待った。
「どうか心配なさらないで下さい。その時がくれば再び貴方を訪れます。」
「それはいつなのだ。」
 感情を殺すようにして安田は聞いた。
「さぁ、ですがそう遠くはありませんよ。いずれまた来ます。それまではくれぐれも慎重に頼みますよ。」
 来島はそう言うと安田の次の言葉も待たず、窓から去っていってしまった。

 来島はその後、安田の死の審判のための準備に取りかかった。まずは情報屋でもあり彼の右腕とも言っていい鈴木の力を借りることにした。まずは相手の基本的な個人情報を調べさせる。すると安田は15年前まで大手総合建設業、所謂ゼネコンの役員をやっていた、エリートサラリーマンであることがわかった。だがこれだけで彼にまで死を処方して良いという判断はつかない。死を望んでいるのには、何か裏があるかもしれない。それこそ、自分たちの対抗勢力がなんらかの形で絡んでいる事も否定出来ない。そこで来島は藤堂に頼み、安田宅の近くのマンションの一室を借り、鈴木に彼のデータを集めながら安田の動向を覗うことにした。鈴木はプロだ。仕事に関して一切文句を言わず、昼夜を問わず盗聴器に耳を傾けていた。ただ来島の差し入れだけは容認できないものがあるらしく、一言が二言、二言が三言と小言が増えていった。しかし、その盗聴の成果も虚しく、安田はいつもと変わらない日常を送っているようだ。彼の一日のうちの会話といえば食事や入浴の時に妻の問いかけに「ああ」や「うん」と答えるぐらいで、怪しい言動はひとつもなかった。
 ただ収穫がなかったわけではない。退屈で眠くなるような張り込みの傍らで、鈴木は彼の戸籍標本をインターネットからハッキングして手に入れていたのである。そしてこの戸籍のコピーを手にした時、来島の目は鋭く光った。そこには彼ら夫婦には嘗て息子が存在していた事が記載されていたのだ。