前回の手記までは、サリバンはヘレン・ケラーを「人間的な感情の機微に欠けている」と規定しながらも、言葉の節々では彼女を普通の少女として教育しようとしていた事が伺えました。
ところが今回はどうやら事情が違うようなのです。サリバンは彼女と過ごしていく中で、彼女の欲求が成長に連れて大きくなる一方でその癇癪も大きくなっている事、自分の望みが叶えられるまでは決して争うことをやめない事、愛撫する事を拒む事(その他の、彼女のためにする行動は受け入れる)等から、ヘレン・ケラーという少女は子供らしい(人間らしい)感情に訴られるものをひとつも持っていない、ただ快不快があるだけの動物的な人物なのだと規定したのでした。そして彼女は普通の少女と同じく教育するといった方針を改め、ヘレン・ケラーを土台の部分から再教育していくことにしました。ここでいう土台とは、彼女が生まれてから培ってきた、それまでの生き方や教育(?)といったものを指します。つまりサリバンは、ケレン・ケラーを動物的に育ててしまった両親のもとから離し、それまでの土台を捨て去らせ、2人で別の家で生活する事で人間的な土台を形成しようとしたのです。
そして彼女はまた、こうした手段をとることで、ケレン・ケラーに備わっている「ある能力」を呼び起こそうと考えています。具体的な箇所は下記に記しておきました。
私たちは心のなかにある何か、つまり知識や行動のためにもって生まれた能力を頼りにするほかありません。その能力は、それが大いに必要となるまで、自分たちが持ち合わせていることに気づかなかったものです。
この箇所は前回私が末尾に書いておいた、「人間にできないことをうまくやってくれる何かの力」と同じ意味を持っています。これらの彼女の言葉から察するに、サリバンはヘレン・ケラーにもともとから備わっている、「知性」を教育によって引き出そうとしているのでしょう。そもそも彼女がこれまでその「知性」を発揮する必要がなかったのは、そうする必要がなかったからに過ぎないのです。彼女の環境というものは、ものを考えたり自分の身体を動かしたりせずとも、召使や両親が大抵の場合、問題を解決してくれていたのでしょうから。そうした意味からも、ヘレン・ケラーはそうした環境から離れ、自身の頭と身体を動かす事によって、「知性」を呼び起こさなければならなかったのです。
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