ある教養ある家庭で、友人たちが文学談をしていました。やがてその中のある男は、自分の弟にまつわる、クリスマスをテーマにした美談を話しはじめるのでした。
3年前のクリスマス、弟は休暇を利用して兄(語り手)のうちに泊まりにきていました。そこで彼は突然、猛烈な剣幕で、独り身に堪えられなくなったので、自分に嫁を世話してくれないか、と申し出てきました。その為兄嫁は、頭のいい、気立ての立派な娘であるマーシェンカを早速彼に紹介しました。ところが兄はそれに異を唱えます。彼曰く、彼女の父は、お金に関しては世間の人々が噂する程の曲者で、弟も一杯食わされるに違いないない、というのです。これに対して兄嫁は、結婚する事にお金などは問題ない、と真っ向から対立してきました。2人の意見は平行線をたどるばかりですが、それに反して弟とマーシェンカの準備は着々と進んでいってしまいます。
そして結婚式の当日、マーシェンカの父は彼女に立派な真珠の首飾りを送りました。ですが、真珠は結婚式の贈り物としては縁起の悪いものだったので、マーシェンカは泣き、兄嫁は彼女の父に抗議しました。しかし父の言い分では、それは迷信であり、尚且つこれを送ったのには理由あるというのです。そしてその理由は、翌日の彼自身の手紙によって明らかになりました。その手紙によると、真珠は偽物で心配することはないといった事が書かれていたのです。これには兄嫁も呆れてしまいました。ですが、弟の方はその手紙を受け取って痛快な様子。一体何故彼は、この手紙を受け取ってそう思ったのでしょうか。
この作品では、〈お金は家庭にとって、常に価値のあるものとは限らない〉ということが描かれています。
上記の疑問に答える為には、この物語に登場する人々のお金に対する価値観を見なおしていく必要があります。何故ならば登場人物たちは、「弟とマーシェンカに良い家庭を築かせるには」という共通の問題意識を持ちながらも、それに対するお金の位置付けにおいて、桜梅桃李の意見を持っており、それがこの問題を解く鍵になっているからです。
そしてこの問題に対して、はじめに物申したのは兄でした。彼は弟達の結婚に関して、「あの親父と来たら、上の二人の娘を嫁にやるとき、婿さんを二人とも一杯くわせて、びた一文つけてやらなかったんだぜ。――マーシャにだって、一文もよこさないに決まってるよ。」、「マーシェンカにはびた一文よこすまいってことさ、――困るというのは、つまりそこだよ。」等と言っていました。
そして、これに対して意見したしたのは兄嫁です。彼女は、幸せな家庭が築けるのかと、彼女の父からお金が貰えるのかは全く別の問題である、と反論しました。しかし、いざマーシェンカの父が娘に偽物の真珠を送ったことを知ると、「ちぇっ、ひどい奴!」と避難していました。
上記から彼らに共通して言えるのは、兄達夫婦は家庭とお金に何らかの関係性を認めており、必要不可欠なものである、と考えていたということです。ですから兄は、弟夫婦にお金が彼女の父から渡らない事を予想できたからこそ、黙ってはいられず、兄嫁は、真珠に値打ちがない事を知ると避難せずにはいられなかったのです。
しかし弟の方はどうでしょうか。彼が真珠が偽物と分かり痛快だと言っているところを察すに、彼は家庭とお金との関係性を切り離して考えているのです。ですから真珠が偽物だと知った時、弟は騙されたという気持ちはなく、何故贈り物として縁起の悪いはずの真珠を娘に送ったのか、という疑問と不安を抱いていたそれまでの自分を、笑わずにはいられませんでした。
では弟は家庭において、お金というのもをどのように考えていたのでしょうか。それは彼の腹の中を知った、マーシェンカの父とのやりとりの中で見えてくるはずです。彼の気持ちを知った父は感激のあまり、夫婦に大金を渡そうとします。ですが、金銭のトラブルのために父とうまくいっていないマーシェンカの姉夫婦達の姉の事を考えると、弟は彼女たちと自分が今度はトラブルになることを恐れました。そこで彼は3つの過程を円満に取り持つ手段として、大金を姉夫婦達と3等分して受け取る事を提案してきます。ここから彼は、お金というものは家庭において、それを保つ手段のひとつでしかない、と考えている事が理解できます。
そして、これまで自分の家庭のためにお金に執着していた人々を憎み、それをこらしめる手段として、お金を使い自分を守っていたマーシェンカの父だからこそ、弟のお金の使い方に感心し、心から娘の結婚を祝うようになっていったのです。
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