父と兄を早くに亡くし家も貧しく、母だけに仕事をさせている事を心苦しく思っていたお幸(こう)は、高等学校を卒業してからは、友人の家で女中として働いていました。しかしその友人が女学校に進学してからというもの、意地の悪い他の女中からご飯を食べさせて貰えずに働く毎日を送っていました。そしてお幸はその事を家族の誰にも告げず、ただ堪えるばかりでした。ですが、やがてそうした暮らしにも嫌気がさし、郵便配達見習募集の張り紙を見たことをきっかけに、彼女は職業というものを今一度考えはじめます。そして人のために何か役に立つことをしたいという思いから、次第に転職を考えるようになっていくのでした。
そんな事を考えて帰っていた月夜のこと、お幸と同じ家で働く音作(おとさく)が職場での彼女の待遇を彼女の弟に話した事で、家族に彼女が他の女中にいじめられている事がばれてしまいます。そしてお幸はそれをきっかけに、自分が郵便配達見習に転職しようと考えている事を母や弟に話しました。しかし彼女は、そこで母の農業へ向ける思いを聞いた途端、百姓になることを決意していきます。そしてそこから親子で農業をすることを夢見た3人は、幸福に包まれていくのでした。
この作品では、(母への思いが強かった故に、自分の問題意識を捨てたある少女)が描かれています。
この作品において、お幸の心情が大きく変化している箇所が下記にあたります。
「お幸は百姓をどう思ふの。」
「まだそれは考へません。」
「それを考へないことがあるものですか。母様が若し間違つたことをして居たらおまへは注意をしてくれなければならないぢやないの。母様のして居ることは百姓ですよ。私は世の中へ迷惑をかけないで暮して行くと云ふことが世の中の為めだと思つて居るよ。自身で食べる物を作つて私は自分やおまへ達の着物を織つて居ます。自分の出来ないものは仕事の賃金に代へて貰つて来ると云ふこの暮しやうが私には先づ一番間違ひのない暮しやうだと思つて居るよ。」
この母の言葉を聞くまでの彼女は、女中にいじめられていた事をきっかけに、何か世の中の為になる仕事はないのか、という問題意識を持っていました。そして母は、上記で人様に迷惑をかけないで生きていくには、という問題意識から、百姓という仕事について論じています。ところが、お幸は自分が持っていた意見と相反するものにも拘わらず、母のこうした持論を聞くと、その後すぐに百姓をしたいと言い出しました。一体何故彼女は、それまでの問題意識を捨て、母の意見を採用したのでしょうか。
そもそも彼女がこうした問題意識を持ったのは、女中が社会の人々の為になる仕事だと思えないから、ではなく、女中から郵便配達見習に転職したかったからに他なりません。つまり彼女の問題意識というものは、転職する口実を自分の中につくる手段でしかなかったのです。
ですが彼女は母の話を聞き、今一度職業というものを冷静に考えはじめます。そして、もともと母だけに仕事をさせている事を心苦しく思い助けたいという目的から、女中をしていたお幸は母の言葉を全て採用し、転職の口実としていた自分の問題意識をあっさりと切り捨てます。彼女にとって最も大切だったものは、仕事やそうした社会に対する思想ではなく、純粋な母への思いだったのです。またそうした思いは、母や弟もそれぞれにあります。ですから彼女たちは物語のラストでそれを共有し、幸福に包まれる事ができたのです。
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