2011年5月6日金曜日

うた時計ー新美南吉

 二月のある日、野中のさびしい道を、十二、三の少年と、皮のかばんをかかえた三十四、五の男の人とが、同じ方へ歩いていました。やがて二人は自然と会話をはじめます。その会話をしている中で、少年は男のポケットに注目し、自分の手を入れたいと言ってきました。男は快く了承し、少年は彼のポケットに手を入れます。すると少年はそこで、男のポケットに何か入っていることに気がつきます。彼のポケットに入っていたのはうた時計でした。少年はそのうた時計に興味を抱き、やがてそれは彼がよく遊びにいく薬屋のおじさんのものと同じだということに気がつきます。さて、しかし男が持っていたうた時計は、果たして本当に薬屋のもっていたものと偶然同じだったのでしょうか。
この作品では、〈二人で話しているときは相手の気持ちが分からなかったものの、他人を介することで、それが分かったある男〉が描かれています。
まず、上記の男の正体とは、なんと少年の行きつけの薬屋の主人の息子だったのです。彼は改心して真面目に働くつもりでしたが、一晩で仕事を辞め、挙句の果てには父親の時計を二つ盗んで出てきてしまったのです。この時、恐らく男の心には罪悪感というものはなかったでしょうし、薬屋の主人の気持ちも全く知らなかったことでしょう。ですが、少年を介して薬屋の主人の話を聞くことによって、自分がどう思われているか、またどれだけ心配しているかを知り、時計を返すことを決心したのです。
そして、男が少年を介して薬屋の主人の気持ちを知ったように、薬屋の主人も、少年が持ってきた自分の時計を見てその音楽を聴くと、「老人は目になみだをうかべた。」と男の気持ちを知ることができたのです。
このように、直接二つの物、人物では上手くいかないことがあっても、その間に何かを挟むことに物事が円滑に進んみ、或いは相手の気持ちが理解できることがあります。例えば、私の数少ない経験から申しますと、ある友人と喧嘩をしたことがありますが、私は相手の話のペースに呑まれ、言いたいことの半分も言えなかったことがあります。そこで私は、二人の間に手紙という文章を挟み、相手に送りました。後日相手から返事があり、私と同じように自分にも悪い部分があったと非を認めてくれました。
当人同士ではうまくいかない時でも、何かを挟むことによって、かえってうまくいく場合があるのです。

1 件のコメント: