2014年6月27日金曜日

タナトスの使者ーFile1−2

 来島は早速、安田を「審査」する為に鈴木に連絡をとった。鈴木は彼の右腕とも言える存在で、これまでに幾度となくコンビを組んで仕事をこなしてきた、言わば戦友なのである。来島は彼に基本的な情報を調べさせた。鈴木はその日のうちに、しかも1時間とかからない時間で彼に情報を送ってくれた。それによると、安田は15年前まで大手総合建設業、所謂ゼネコンの役員をやっていた、エリートサラリーマンであることがわかった。また欠勤も退勤も殆ど無く、真面目に勤務していたようである。しかしこれでは彼の事をまだ分かったことにはならない。来島は携帯電話を取り出し、鈴木に電話をかけた。
「もしもし、来島だ。データには目を通した。……ああ、だけどまだ白だとは言い切れない。いつでもいいからうちに来てくれないか。……悪いがよろしく頼む。」
 来島の家からだと鈴木の家はそう遠くはないが、夜も大分更けている。恐らく明日の朝ぐらいにくるだろう。そう来島は考えたが、この彼の計算は少し甘かったようだ。彼の家のインターフォンは、彼が予想していたよりもはやく鳴ったのだ。ため息混じりに玄関のドアを開けにいった。すると、そこには今風の黒縁の眼鏡をかけ、髪の上部のみを染めた、いかにも軽薄そうな男がそこにいた。
「これじゃあ藤堂会長に軽いと言われても、俺は反論できないな。」
「失礼だなぁ。」
 鈴木は笑って反論しているものの、少し心外に思っているらしい。
「善は急げって言うじゃない。仕事に対して実直なだけだよ。」
「……分かったから入れ、珈琲でも入れてやる。」
 鈴木はそう言った軽薄さとは裏腹に、靴をきちんと整えてから上にあがった。彼は見かけと言動とは裏腹に、慎重で細かいのだ。来島はこうした彼の細やかさや慎重さを感心せずにはいられなかった。しかし声に出して褒めたことは一度もない。
「で、あと僕は何をすればいいの?」
「張り込みをして欲しい。依頼人の近くのマンションを借りれる事になっている。」
「期間は?」
「そうだな、2週間ぐらいだな。その間俺は依頼人の奥さんに接近する。」
「どうやって?」
「……まぁ手段ならいくらでもあるさ。だがあまり時間は長くかけたくない。会長からもそう言われている。」
「そうだね、誰かに感づかれないとも限らないし。」
 このような会話をしている間、来島は珈琲をいれて彼の前に出してやった。鈴木は礼を言ってから、一口目をゆっくり味わった。
「……お、やっぱ珈琲だけはお前の方が美味いな。」
「だけとか言うな。それよりも明日からしっかり取り掛かってくれ。」
「へいへい。」
「それから、それ飲んだらさっさと帰れよ?俺だって依頼人とどう接近するか考えないといけないしな。」
「えー、つれないなぁ。折角来たんだし、もうちょっとゆっくりさせてよぉ。」
 人懐っこい声で鈴木は言った。しかし来島は彼を容赦なく突き放す。
「非常識な時間に人の家に来といて何言ってるんだ。大体、今日じゃなくても良かっただろ?」
 そう言われた鈴木の顔が一瞬ニヤついた。来島は彼のこの表情が妙に引っかかった。
「ただ僕が仕事の話をはやく聞きたいが為にきたと思っているなら、それは間違いだよ。」
 そう言うと鈴木は自分の鞄の中から数枚の書類を取り出した。来島はそれを手に取り目を通しはじめた。それは安田に関する、住民票や戸籍標本など、どれも重要な個人情報ばかりであった。
「そこに面白い事実がのってあるよ。」
 やがて徐々に来島の表情が真剣になっていった。それとは対照的に、鈴木は鈴木で愉快そうにそうした彼を見ている。
「……鈴木、調べる価値はありそうだな。」


 安田奈保子は、いつものように行きつけのスーパーで買い物を済ませて家路につこうとしていたところ、荒々しい男達の声を耳にした。声の主たちはどれも若そうではあったが、どれもお世辞にも上品とは言えぬ台詞を吐いていた。声は自然と奈保子の方へと向かってきた。心臓が脈打ってきたのが自分でもよく分かった。が、彼女は平生を保てる自信も同時に持ち合わせていた。やがて、裏路地から1人の男の影がうっすらと見えてきた。春らしく涼しそうなスーツを身につけているが、20代ぐらいだろうか。必死の形相をして走ってきた。その後ろから、髪を金色に染めた者や、髪を好き放題に伸ばしピアスをつけている者、そうかと思えば、綺麗に毛を抜いた者まで実に派手やかで柄の悪そうな集団が血眼にスーツの若者を追ってきた。若者は決して捕まらんとここまで頑張ってきたようだが、やがて賑やかな男たちの迫力に負けたのか、足を絡ませて七転八倒した。その様子を見た集団は下品な声で嘲笑し、その中の1人が男を蹴りはじめた。
「だっせぇなぁ、おい!!!!え!??」
「ねぇねぇねぇねぇ、何に躓いたの??んん??」
 1人に続いてもう1人、更にもう1人と罵声を浴びせながら、集団は蹴手繰り出す。奈保子はすかさすバッグから携帯電話を取り出し、「ちょっと!!」と大きな声で集団に向かって言った。しかしそれに狼狽したのは奈保子の方ではなくて、賑やかな男たちの方であった。誰か奈保子の手の中にある機械の存在に気づくと「やべっ、見られた!!」と言い、仲間の背中を叩いて逃げ出した。他の仲間もそれに従う形で次々と逃げていった。彼らが逃げると、奈保子はすかさずスーツの青年の方に走り寄った。
「大丈夫なの?」
「え、ええ、大丈夫です。」
 見ると青年の唇の横あたりが少し腫れており、新しく買ったばかりと思わしきスーツは埃にまみれ、靴の跡がいくつもついていた。
「怪我してるじゃない。お洋服もボロボロ。あたしの家でゆっくりしていったら?」
「いや……でも…。」
 青年は明らかに躊躇していた。自分に遠慮しているのだろうと奈保子は思い、やさしい口調で諭そうとする。
「何処に行くつもりかは知らないけれど、その格好では駄目だよ。遠慮せずに……ね。」
「……すみません、何から何まで。」
 それから2人は安田家へと向かい、そこで青年は傷の手当をしてもらい、顔を洗わせてもらった。その間、青年は自分の事について色々と話した。名は宮田と言い、就職活動中の大学生らしい。そして先程の男たちには、目を合わせた瞬間に誤解されたらしく、追いかけられる羽目になったというのだ。
「しかし安田さん、息子さんも僕ぐらいの年頃じゃないですか?」
 奈保子はにこやかな表情で答えた。
「そうね、産んでいればそれぐらいかな。でも、残念ながら主人とあたしには子供はいないから。」
 青年はほんの一瞬、目が鋭くなった。しかし奈保子は全く気づかなかった。
「そうなんですか、ところでご主人さんは今はお仕事をさているんでしょうか。急にお邪魔させてもらった手前、挨拶なしにはちょっと……。」
「ごめんなさいね。」
 奈保子は先ほどの調子とはやや違い、俯きボソボソとした口調で言った。
「家にいるんだけど、今癌でね。滅多に人には会いたがらないの。だからごめんなさいね。」
「……そうでしたか。」
 察するように青年は続けた。
「僕の父も癌で療養してて、今は実家の兄が週に何度か病院に通っています。」
 奈保子の目は少し大きく開いた。
「まぁそうだったんだ。お兄さんも大変じゃない。」
「ええ、でもこの前なんか、親父は病気になっても我儘で困るって愚痴を零していました。」
「そうなんだ。」
 奈保子の表情が少し和らいだ。それを見た青年も笑みを浮かべた。
「安田さんのご主人さんって、どんな方なんですか?」
「んー、堅物で根っからの仕事人間ね。そして仕事仕事かと思えば、今度は病気して家にこもりっきり。全く、人の気も知らないでね。」
 そう語る奈保子の顔は夫に対する憎さと怒りとの表情に満ちているように、青年には見てとれた。しかし、奈保子は青年のそうした真剣な眼差しに気づくとはっとした。
「あっ!!ごめんなさい。なんだか愚痴っぽくなっちゃって。」
 今度は困ったような笑いを浮かべた。対する青年は愉快そうに答えた。
「ごめんなさいはこっちのほうなのに、なんだか安田さんの方が謝ってばっかりだ。」
「あら、あの状況で助けないわけにはいかないから、そんな気にすることないとおもうけど?」
「もう行かなきゃ。長居し過ぎました。」
 そう言うと青年は立ち上がり、帰り支度をはじめる様子を見せた。
「あら、じゃあまた暇な時に寄っていって。こんな時間ばかりを持て余した老婆の相手を良かったらしに来てね。」
「いえいえ、安田さんは気持ちもお若い。それじゃあお世話になりました。」
 青年は安田家をあとにすると、ポケットから携帯電話を取り出し、あるところに電話をかけた。
「もしもし、鈴木。さっき出てきた。」
「おお、どうだった?」
 電話の向こうの鈴木と呼ばれた男は興味津々といった感じで青年の話に食いついた。
「安田氏の事を嫌っているようにも見えなくはない。」
「おまえ……それどっちだよ。」
 鈴木は呆れたような声を出した。
「今の時点ではまだ分からん。だがあの夫婦に何らかの亀裂がある事は確かだな。」
「そりゃあ、あれ以外にないんじゃない?」
「結論を出すのははやい。お前の方はどうだ?」
「退屈なもんさ。話もなんかこう、店員さんとお客さんのやりとりみたいに、「お身体拭きましょうか」、「うん」、「ご飯にしましょうか」、「うん」ぐらいなもんだよ。あとは時々爺さんが咳き込む声が聞こえてくるだけ。」
「収穫なし、か。あとで食い物買っていってやるから、欲しいものがあればメールをくれ。」
「おう、流石に腹へったわぁ。頼んだよ、来島。」
 青年は通話を切り、急ぎ足で何処かへと歩いていった。

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