2014年6月15日日曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日〜4月3日(修正版5)

1・躾期

1887年3月6日ーヘレンの欠点とはどういうものか

 アン・マンスフィールド・サリバンはヘレン・ケラーという7歳前後の少女と出会う以前、彼女の事を「色白くて、神経質な子供」だと思っていました。これはハウ博士が書いた、ローラ・ブリッジマンのレポートを読んだ上で、彼女との教育を予め想定した事が由来しています。
 ですが実在のヘレンはそのような人物ではありませんでした。彼女はこれまで両親に、なんの制約も制限も受けてこなかった為に、活気溢れる健康的な子供へと育ってきたのです。じっとしていることは殆どなく、子馬のようにうごきまわっています。
 ですが、そうした教育方針が仇となっている面もあるのです。ヘレンとはじめてあったサリバンは、彼女の突進を受けて、危うく地面に頭をぶつけそうになりました。そればかりか、彼女はサリバンのバッグを勝手に開けて、なんと中身を確認しようとしたのです。一体何故彼女はもうすぐ7歳の少女とは思えない、幼稚で無作法な行動をとってしまうのでしょうか。
 先程も述べておいたように、彼女は両親によって「自由に育てられて」きました。例えそれが子どもとして、人間としてやってはいけない行動であっても、障害を持って生まれた子供への同情から、子供故の純粋な気持ちから来ていることを察している事から、それらを容認してきたのです。またヘレンの側でも、他人のしている行動や行為が物理的に見えない、聞こえないという事情から、外界からの情報が殆どはいってはきません。ですからヘレンは私たちの原始的な感情たる快不快の感覚だけが極端に発展させていき、社会性を持たない子供へと成長していってしまったのです。
 そこでサリバンは自身のはじめの仕事として、教育以前の、人間の土台となり得る躾の部分から手をつけようと考えたのでした。

1887年3月月曜の午後ー人間的に躾けるとはどういうことか

 ですが、サリバンの言うところの躾とは、どのようなことを指すのでしょうか。この手紙を書いた日、彼女はヘレンと激しい喧嘩をしています。原因はヘレンの食事作法にあったのですが、それが目の前のものは全て手づかみでとり、欲しいものは例え他人の皿でも勝手に取るといった、すさまじしいものでした。ここで「成程、流石にこれは誰でも怒るだろう。」と思った方も多いでしょう。ですがサリバンは単純に、その作法の汚さ見苦しさから怒った訳ではありません。
  私たちはどのようにして便器で用を足すことを学んだのでしょうか。どのようにしてお風呂で体を洗い、清潔を保つことを習慣化させていったのでしょうか。言うまでもなく、自分の両親から「人間として」躾を受け、習慣とさせていったのです。ですがこれが人間以外のもの、例えば狼に育てられたのならば、どうなっていたでしょうか。こう問われると、一部の方々は「アマラとカマラ」を彷彿すると思います。彼女らは狼に育てられた為に、背筋は曲がり、口を食べ物に近づけて食事をし、4本足で歩行したといいます。私たち人間は他の動物とは違い、はじめから人間として完成している訳ではありません。複雑なルールや取り決めのある社会で生きる為に、人間として躾られることではじめて人間と言えるのです。
 ですからサリバンは、ヘレンの、あまりに人間としての作法から離れたこうした食べ方を容認する事は出来ず、躾が必要だと感じ実力で言うことをきかせようとしたのでした。
 しかし大きな課題も残りました。結果的にヘレンは正しく食事をすることが出来ましたが、それまでに両者ともくたくたになるまで争わなければならなかったのです。こうしたことを続けていて、果たしてヘレンの躾はうまくいくのでしょうか。

1887年3月11日〜13日ーそれまでの自分を捨てさせる
 サリバンはそれまでの方針を大きく変えて、ヘレンと「つたみどりの家」ということろで2人暮らしをはじめることにしました。そもそもヘレンがこうなってしまったのは、彼女の独裁を許してきた両親にも責任があるのです。両親は彼女の我儘を受け入れ続けてきた事で、自然とそれを受け入れる心身を手に入れ、環境を整えてしまっていったのでした。ですから彼女が幾ら人のお皿に手をつけようとも叱ったりはせず、泣き喚けば全てを許して彼女に屈服するのです。そしてヘレンの側でも、そうした自分にとって我儘を言いやすい環境が整っていた為に、暴君としての気質を磨いてきました。
 だからこそサリバンは、そうした暴君の存在を許せる環境からヘレンを一度切り離した上で、独裁できない環境で躾けようとしたのです。
 そして、サリバンは彼女の暴君としての気質を失わせるべく、彼女を「征服」することにしました。「征服」と言っても一般的な野蛮な意味ではなく、前回の手紙のように、人の道にあまりにも逸れた行動にのみ、力によって抑えこむことを意味します。これにははじめの方こそ、ヘレンは強い拒否を示し、手がつけられない程でした。ですが「つたみどりの家」がこれまでのような、独裁を許してくれる環境ではないことを悟ると、不本意ながらも言うことを聞くようになっていきます。


2・知性の生成

3月20日〜4月3日ー教育の土台の生成

 環境という自身よりも大きなものが変化していったことで、ヘレンの内面もそれに合わせる形で変化を見せているようです。はじめはあれ程「征服」されることを拒んでいたものの、日が経つにつれてそれを受け入れはじめました。そして「征服」されることに慣れてくると、今度はそれを楽なものだと感じるようになっていったのです。またサリバンの側でも、彼女がうまく「征服」を受け入れた時には、好きなものを与えたり頭を撫でたりなどして、「征服」されることを快感とすら思うようにさせていったことが考えられます。
 ですから3月20日というその日を、ヘレンは晴れやかな表情で迎えられたのです。彼女は「征服」を完全に受け入れると同時に、人間として「やってもいい、いけない」という事を学んだのでした。
 しかし彼女はまだ、教育という長い道のりのスタートラインにたったに過ぎません。また更に大きな問題は、彼女は「ことば」というものの存在にすら気づいてはいません。私たちは知識や知恵を「ことば」によって保存し、自由自在に使うことができます。それは「犬」や「猫」といった具体的な概念から、「理念」や「思想」といった高度な概念まで、あらゆるものを「ことば」によって規定し他者との交流に用いるのです。だからこそ、「ことば」というものは、人間社会において他者と交わることにおいて欠かすことは出来ません。ましてや、何かを教えたり自身の考えを伝えたりする教育の場において、それなしには不可能と言っていいほどでしょう。果たして彼女らはこの大きな問題をどのようにして乗り越えていくのでしょうか。

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