春のあたたかい日、わたし舟に2人の小さな子供を連れた女の旅人が乗っていました。やがてその舟には遅れて一人の侍が乗り込み、居眠りをはじめました。
そして、しばらくすると2人の子供は飴を欲しがり、手を出してきました。ですが女は飴玉をひとつしか持っていません。しかしそんな事情などは知らずに、子供たちは出したてを引っ込めません。この儘では、眠っている侍が起きて怒ってしまう。そう考えた女は子供たちをどうにかなだめようします。しかし、子供たちはだだをこねるばかり。やがて子供たちの騒々しさに今まで眠っていた侍がとうとう目を覚まして刀を抜きはじめました。さて、一体親子の運命はどうなってしまうのでしょうか。
この作品の特徴は、〈侍に悪い印象を持っていたが故に、かえってふとした親切がより良い印象となっていく読者の特性〉を生かしているというところにあります。
その後、この侍は女の予想通り彼女達に斬りかかったのではなく、ひとつの飴玉を2つに分けてやります。そして、侍は再び眠りにつくという場面までが描かれています。ここまで作品を読んでみると、多くの読者はこの侍に対して強く、良い印象を持つことでしょう。ですが、私達は何故ほんのささやかな親切をしただけの侍に、強い印象を持ったのでしょうか。
例えば、これが薬屋さんや百姓であったなら話は変わってくるはずです。恐らく女は妙な緊張感を抱くことはなかったでしょうし、そうなれば読者たる私達も、そのような親切に少しも関心をよせなかったでしょう。つまり私達が侍に対して強い印象を抱いているのは、彼が私たちの印象を悪いものから良いものへと大きく揺れ動かしたからに他なりません。侍が侍だったからこそ、私達は彼に強いを持っていったのです。
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