ある時、学校で先生が言った、「人間は正しく左右対称ではないために、目を瞑った儘、真っ直ぐ歩くことはできない」という発言を受けて、子どもたちは放課後本当に真っすぐ歩けないのか野原で実証してみることにしました。
しかしそうした実験は、やがて子供達の競争心に火をつけて、誰が最も目を瞑った儘真っ直ぐ歩けるかというゲームに変わっていきます。そしてその中で唯一、まっすぐ歩くことができた「マサちゃん」は、他の子供達の賞賛を受けて、自ら指導する立場をとっていったのです。
やがて夕方になって練習も終わろうとしていた時、「マサちゃん」はもう一度皆の前で見本を見せようとしました。ところが、まさちゃんが真っ直ぐ歩いていた時とは違い、野原には風が吹いています。風は「マサちゃん」を妨害するように吹きますが、それでも彼はめげません。するとそのうち、「マサちゃん」の耳元で「ばかー、ばかー」と言ってくる「もの」があります。それは風だったのですが、なんとこの空耳を受けて、「マサちゃん」は風に本当に馬鹿にされたのだと勘違いして、風に向って怒鳴り出したのです。
そして家に帰って彼は、両親に今日あった出来事を話しました。すると「お父さん」は、
「それは、お前の方がばかだよ。風にさからってもつまらない。風というものは、強くなったり弱くなったり、息をついて吹くから、その中をまっすぐに歩くのはむずかしいよ。木の葉だって、まっすぐに落ちたり、ななめに吹きとばされたりしてるじゃないか」
と指摘しました。「マサちゃん」は聞き返します。
「風って、息をするんですか」
「うむ、息をするよ。息をするというより、風は息なんだよ」
「なんの息?」
「なんの息って……。どういったらいいかなあ、空気の息、神様の息、いろんなものの息……ただ息だよ」
「ただ、息だけ?」
「息だけだよ」
「ばかな奴だな」
そうした「まさちゃん」の発言を聞いて「お父さん」は声高く笑いました。そしてそれに続く形で、「マサちゃん」もお母さんも笑い出します。そしてガラス戸の外で風が吹いている事を確認すると、「マサちゃん」は、「ばかな風だな」と言って晴れ晴れと笑ったのでした。
この作品では、〈風というものを常識の観点から眺めている大人の観点と、自分たちと同じ、生き物のように捉えている少年のイキイキとした感性との対比〉が描かれています。
物語の最後で、「お父さん」は「マサちゃん」の、「ばかな奴だな」というコメントを聞いて笑い、「マサちゃん」もそれに続く形で笑ってはいるのですが、果たして二人の笑い方は同じところを笑っているのでしょうか。
この問題を解くにあたり、もう一度物語を「マサちゃん」の世界観での「風」というものと、「お父さん」の世界観での「風」というものを比較してみましょう。
まず、「マサちゃん」は、自身の遊びの妨げとなっている風に対して、「ばかー、ばかー」という「音」を聞いて、憤慨します。この時、「マサちゃん」は風をあたかも自分たちと同じような「意思」を持ち、自由に動けるものとして扱っているのです。
一方、「お父さん」はこの「マサちゃん」の話を聞いて、「風というものは、強くなったり弱くなったり、息をついて吹くから、その中をまっすぐに歩くのはむずかしいよ。木の葉だって、まっすぐに落ちたり、ななめに吹きとばされたりしてるじゃないか」とコメントしています。つまり「お父さん」は、大人の常識的な観点から、風が意思を持たない事を説明しようと試みているのです。
そして「マサちゃん」が、今度は風って、息をするんですか」と言って、風の正体について興味を持ちはじめます。「お父さん」はこれについて、「うむ、息をするよ。息をするというより、風は息なんだよ」と、風が自分たち人間とは違い無機質なものであることをやんわりと伝えようとしました。
それを受けて「なんの息?」と、今度は風の裏側にある意思を探そうとしています。
そして「お父さん」も、「マサちゃん」がまだありもしない実体を風の中から探そうとしている事を感じ取り、すぐに修正しようとしているのです。
「なんの息って……。どういったらいいかなあ、空気の息、神様の息、いろんなものの息……ただ息だよ」
しかしこれま「マサちゃん」にとっては衝撃でした。何故ならば、それまでの「マサちゃん」の世界観では、万物は皆意思のようなものを持っており、自分たちと同じように自由に動きまわっていると考えているのですから。だからこそ、自分たちとは違う存在がいることを確認するために、
「ただ、息だけ?」と聞き返しているのです。そして「ばかな奴だな」と笑うのでした。
ここで注意しなければならないのは、「マサちゃん」は何も風を無機物だ、とは考えていないということです。「マサちゃん」は、自らの意思とは関係なく運動している存在は認めてはいるものの、「モノ」にはすべて意思があるという世界観を捨て切れず、風のことを「奴」と表現しているのです。ですから、ここでの彼の笑いというものは、「自らの意思で動けず、僕達とは違って不自由に動いているなんて、風はばかだなぁ」と笑っているに過ぎません。
それに対してお父さんは、常識的な立場から「マサちゃん」を見て、「大人は風に心がない事をしっているから何も思わないが、子供が風に対して悪態をつくなんて、面白いものだなぁ」と、冷静に分析した上で笑っています。
一つの表現は同じでも、どうやらその文脈は全く違うものだったのです。
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