2014年3月9日日曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日〜4月3日(修正版1)

 1887年3月3日のこと、アン・マンスフィールド・サリバンは身体が震えるほどの熱い期待を胸に、ヘレン・ケラーとの出会いを果たします。そしてその出会いというものは、彼女にとって衝撃的なものでした。車から降りて階段に足をかけようとすると、突然小さな可愛らしい何かが、突進してきたのです。それがヘレン・ケラーその人でした。
 サリバンは彼女と出会う以前に、ハウ博士が書いたローラ・ブリッジマンのレポート(そこには盲目で神経過敏な少女が書かれていた)を読んで、それまでヘレンに対して青白く神経質な少女をイメージしていました。しかしそうした予想は、現実のヘレンの突進を受けた事によって大きく崩れ去ってしまいます。この小さな生徒は、自身の先生に思いっきりぶつかったかと思うと顔や服やバッグを触り、バッグを取り上げようしました。

 ここで多くの方々は彼女のこうした行動を受けて、脳に物理的な障害があることをまずは疑うのではないでしょうか。結論から述べると、それは間違いであると言わざるを得ません。何故ならヘレンは他の子供達と同様に、ビーズに糸を通したり、その糸がするする抜けてしまう場合には大きな結び目をつくって自分で解決したりといったのうに、人間として、ある程度高度な遊びが可能だからです。
 ではヘレンの場合、教育にあたっての問題というものは何処にあるのでしょうか。それは外面ではなく内面、彼女の精神的なことろにこそあったのです。と言いますのも、それまで彼女は両親の同情、目が見えず、耳が聞こえず、可愛そうだなという気持ちから、彼女の好きなようにさせてきました。ですから彼女はこれまで教育らしい教育を受けてこなかったどころか、気に入らないことは一切せず、あたかも「野生動物」のように、ただしたいかしたくないかによって行動してきたのです。(よって、ここでは現在のヘレンのこのような状態を「野生動物期」と呼ぶことにします。)

 それでは、このような状態にあるヘレンを「正しく」教育する為にはどうすればよいのでしょうか。結論から申しますと、彼女に必要なのは「躾」です。そもそも彼女がこのようになっていった原因は前記した通り、両親の彼女に対する接し方にあります。そしてそうした接し方を続けていくうちに、ヘレンはヘレンでしたいかしたくないかという段階から次の段階には進めず、ある程度の土台をつくりあげてしまい、両親は両親でそれを容認していく中で、ヘレンのそうした精神性を、その行動がエスカレートしていっただろうにも拘わらず、自然と受け入れてきたのでした。だからこそ、サリバンはヘレンを「服従」させることで、強制的に躾し、それまでの土台を壊して新しいそれをつくっていく必要があったのです。
 ですがこう述べると、一部の方々から、「服従とは何事か、それでは虐待している親たちと変わらないではないか!!」という罵詈雑言にも似たような批判が飛んできそうなものでしょう。ですがそうした方々も、きっとサリバンが何を基準にしてヘレンを「服従」させていったのかを知ったならば、そうした感情の牙をおさめてくれるはずです。というのも、勿論彼女は自身の感情の起伏によって、或いは大人の目線(これはしていい、してはいけない)によって、彼女を征服したのではありません。サリバンはヘレンのいちいちの行動を、好奇心からきているのか、或いは動物的な本能のようなもの(寝たいから裸で寝る、食べたいから手で掴んで食べる)からそうしているのかを区別し、前者が勝っている場合にはそれを容認し、後者が勝っていると思った場合には力によって抑制していきました。

 すると、彼女の内面にはどのような変化が表れていったのでしょうか。
 例えば皆さんには小さかった頃、好きな食べ物、嫌いな食べ物はありましたか。私の父は野菜が嫌いだった為に、よく皿の端にビーマンや茄子が残していたのを記憶しています。そんな父の後ろ姿を見てきた私も、昔は茄子が嫌いでした。逆に牛や豚などの肉類は大好きで、現在でもそうです。ところでそうした食べ物の好みというものはどのようにして決まっていくのでしょうか。私自身、きっとはじめから肉の味を好んでいたわけではないと思います。恐らく、最初は肉を食べても美味しいとは思わなかったと思います。何度も何度も食卓に出されていくうちに、その味を覚えていき、やがてそれを食べることに快感を覚えていったはずです。そしてある時点から、それを見た瞬間に顔が綻ぶようになっていった事でしょう。要するに、同じ刺激を何度も何度も与えられる事によって、私は肉という食べ物の像を深めていきました。
 そして「野生動物期」から次の段階へと移り変わっていくヘレンにも同じ現象が起こっていきました。ただ彼女の場合、多くの快感は知っているものの、それが豚肉なのか鶏肉なのか、それぞれの像が漠然としていたために、更に言えば美味しいと不味いということしかない為に、自分が何を食べているのかについてはまるで分かってはいなかったのです。(本書の中で彼女の表情が動き、あるいは魂みたいなものが欠けていると表現されていたのは、この為でしょう。)そこでサリバンは躾によってそれぞれの刺激を整理していくことで、この場合にはこうした快感が得られる、この場合にはこうした快感が得られるといったように、刺激や快感にも種類があることを教えていったのです。そしてヘレンの方でも、それぞれに合わせた反応を取るようになっていき、(勿論、その反応の仕方については、サリバンが自分の顔を触らせたり、彼女の顔を触ったりするといった方法で教えていったのではないかと考えています。)それが感情としてあらわれはじめます。その結果、3月20日以降のヘレンは、晴れやかな顔で編み物をしたり、気分の良い時にはサリバンの膝に乗るような、快活で表情豊かな少女へと変わっていきました。「知性の生成」段階です。

 こうして彼女は、「野生動物期」という曖昧で無秩序な世界を脱出し、「知性の生成期」という、人間として必要な、教育という扉を開いたのです。

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