サリバンがヘレン・ケラーという少女と出会った時、彼女はある衝撃を受けました。ケラー大尉の車を降りて階段に足をかけようとした瞬間、小さな可愛らしい少女が彼女目掛けて突進して来たのです。それがヘレン・ケラーという小さな女の子でした。サリバンはそれまでヘレンの事を、ハウ博士が書いたローラ・ブリッジマンのレポート(※1)から、青白くひ弱な子供を彷彿していたのです。しかしヘレンはそれとは対照的で、活発で動きをとめる事を知らない元気な子供だったのでした。
そしてサリバンは彼女に対して、もうひとつ、大きな違和感を感じはじめます。それは彼女は他の同年代の子供達に比べて、明らかに精神的な未熟さがあった、ということです。彼女にはここまではしていい、してはよくないといった線引きが全く出来ず、常に自分のしたいように行動しているのです。この為サリバンはヘレンを「野生動物」だと称しました。ですから、この時期の彼女の段階に名前をつけるとすれば、「野生動物期」と呼ぶことが出来るでしょう。
ではこの「野生動物期」にあるヘレンを教育していくにはどうすれば良いのでしょうか。結論から述べますと、ヘレンに必要だったのは教育以前の段階で行うべき、躾です。彼女の両親はそれまで同情の気持ち、目が見えず、耳が聞こえず、口がきけないという状況を可愛そうだと思う気持ちから、彼女の好きなようにさせてきました。しかしそれは彼女の我儘を助長させ、したくない事は絶対にしない暴君をつくりあげる結果となってしまったのです。
そこでサリバンはヘレンを自分に「服従」させ、しては良いこといけないことを「形式的」に強要させようとしました。そしてこの「服従」という言葉には、教育において必要な条件とヘレンの特殊性を示す、2つの意味合いが込められています。前者は教育とは生徒が指導者の言うことを聞くことが前提となっていること。後者はヘレンがこれまで躾をせずに人格が形成されてきたために、土台の部分からつくりなおさなければいけないという意味において使われているのです。
しかしこのように述べると、一部の方からは、「それでは一方的に自分の感情によって子供を育てている為に、虐待をおこなっている親とまるで同じじゃないか」という反論がきてもおかしくはありません。ですが彼女は何も、感情的に「服従」
させたわけでもなく、また大人の目線によって、「してもいいよくない」を区別させたわけでもありません。2通目の手紙において、サリバンはヘレンと食事の作法において、正しく食事をさせることに執着しました。ところが1通目の手紙においては、バックをひったくりその中身を確認しようとしたり、インク壺に手を突っ込んだりした時にはそれ程怒ろうとはしなった様子なのです。恐らく彼女はヘレンの行動における「したい」という衝動を、動物的な本能によるものなのか、子供らしい、なんでも気になってしまう好奇心とに区別し、前者のみを「してはいけない」部類にカテゴライズしたのでしょう。こうする事で、彼女は動物的本能にエネルギーを注ぐことをやめていき、好奇心のみに注意を払うことが出来るようになっていったのです。
そしてこの好奇心こそ、サリバンの教育論において重要な役割を果たす要素になっています。
私はいつも、何が彼女の興味を最もひくか見つけだし、それが計画した授業に関係があろうとなかろうと、それを新しい出発点にした。
これはヘレンとの授業を振り返ったサリバンの言葉ですが、ここでサリバンは、あくまでも教育とは教育者が主体ではなく、生徒の好奇心こそが主体であり、教育者はそこに目線を合わせ指導を行うべきであると述べているのです。
「野生動物期」のヘレンにも好奇心と認められるものは確かにあった事でしょう。しかしそれを伸ばす方法がありませんでした。というのも、サリバンの方法論のひとつとして、頭をなでたり、褒めたりして、子供達の心を満たし、好奇心を正しい方向へと導くという方針を掲げていましたが、ヘレンにはそれが通用しなかったのです。何も響かず、気が向かないことは一切してきませんでした。ですから彼女はそうした器を形成する意味においても、「服従」させる事が必要だったのです。(※2)
こうして「服従」を経て、「教育者の言うことには従う」、「相手の気持ちを受け止める器がある」という条件を揃えた、次の段階こそ、「知性の生成期」(※3)なのです。彼女は「服従」という苦難を経て、教育における土台を形成していったのでした。
※脚注
1・ハウ博士のレポートには、ヘレンと同じような境遇であるローラ・ブリッジマンは、青白くひ弱そうな子どもとして書かれていた。
2・1887年3月20日の日記においてーこの子どもの心のなかで動き始めている美しい知性を方向づけ、形づくることが、私の楽しい仕事となりました。
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