前回の手紙では、ヘレンがアナグノス先生に自分で書いた手紙を送った事が綴られていました。またそこにはいくつかの代名詞が使われていたのです。そして今回もまた、彼女は彼に手紙を送ったのですが、前回よりも多くの代名詞を、しかも正しい形で使っています。
また彼女は、このところ自身の想像力によって、自分の状況を正しく理解していけるようになってきているようです。というのも、ヘレンは自分と他の子供達がどこか違うことに気がつきはじめています。その証拠に、彼女はサリバンに「私の目は何をするの?」という質問をしたそうです。恐らく、彼女は自分が慎重に歩いたり動いたりしているのに対し、他の子供達が大きな足音を立てて走っている様子や、自分が知り得ない知識(空の色や、人がどれほどいて、何をしているのか等)を知っているところから、どうやら自分が知ることができない情報をなんらかの形で取り入れているのだ、と推察していったのではないでしょうか。
2014年1月18日土曜日
2014年1月15日水曜日
レポート;ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年10月25日
ヘレンはなんと自ら、「私」、「貴方」といったような代名詞を使いはじめるようになっていきました。これは彼女が、自分や周りの人々を、ある程度客観視しはじめてきているという傾向を示します。
「ヘレン」や「サリバン」といった固有名詞は、特定の人物、たったひとりを指す普遍的な言葉ですが、「私」、「僕」といった代名詞は誰が話しているのかでその人物が変わりますし、「貴方」、「彼」などもまた、誰に話しかけているのかで変わってくるものです。ですから代名詞を使うということは、自分と相手、またはその人々の立場関係をある程度把握していなければなりません。
つまりヘレンも、自分や周りの人々の立ち位置、関係を把握できるようになってきつつある、ということが言えるでしょう。
「ヘレン」や「サリバン」といった固有名詞は、特定の人物、たったひとりを指す普遍的な言葉ですが、「私」、「僕」といった代名詞は誰が話しているのかでその人物が変わりますし、「貴方」、「彼」などもまた、誰に話しかけているのかで変わってくるものです。ですから代名詞を使うということは、自分と相手、またはその人々の立場関係をある程度把握していなければなりません。
つまりヘレンも、自分や周りの人々の立ち位置、関係を把握できるようになってきつつある、ということが言えるでしょう。
2014年1月11日土曜日
レポート;ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年10月3日
ここではヘレンがボストンの子供達に向けて、話すのと同じように、「自分で手紙を書いて送った」ということが書かれてあります。彼女はまた、どうやら次回のボストンへの訪問を心待ちに思っているようです。
2014年1月6日月曜日
レポート;ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年9月18日
最近のヘレンは色について、とても興味を示してきています。彼女は初歩読本から「褐色」という単語を見つけて、その意味を知りたがったり、「考えることはどんな色なの?」といった事をサリバンに尋ねてくるのです。そしてこうした彼女の行動を観察していくうちにサリバンは、どうやらヘレンは生後数十ヶ月という、自身が目も見え耳も聞こえていた僅かな時期の事を覚えているに違いないという推察を立てていきます。(その根拠はどこにも記載されていません。)
ヘレンの色に対する概念は、(正しいか正しくないかは兎も角として、)私達以上に大きな広がりをもっています。その証拠に、彼女は「考えること」にも色があるのではないかと思い、サリバンに質問を投げかけました。そしてサリバンは彼女の考え方を否定することなく、幸せなときは輝く色をしているし、そうでないときは悲しい色をしているのだと話したのです。
ヘレンの色に対する概念は、(正しいか正しくないかは兎も角として、)私達以上に大きな広がりをもっています。その証拠に、彼女は「考えること」にも色があるのではないかと思い、サリバンに質問を投げかけました。そしてサリバンは彼女の考え方を否定することなく、幸せなときは輝く色をしているし、そうでないときは悲しい色をしているのだと話したのです。
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