1887年3月3日。この日、アン・サリバンは熱い期待の中、生涯の生徒となるヘレン・ケラーとはじめて顔を合わせました。そして彼女はヘレンと同じ時を過ごしていくうちに、ある違和感を感じていきます。というのも、ヘレンには普通の7歳前後の子供と比べて、「動き、あるいは魂みたいなもの」が欠けていたのです。つまりサリバンは、彼女の表情が乏しさ、何かぼんやりしたところがあるところをここで指摘しています。そしてこの違和感はすぐさま彼女の問題意識として浮上し、そこから彼女の教育に対する重大な欠陥を見つけていったのでした。
それは「身体的な障害という物理的な障壁があるために、子供らしい内的な衝動を抑える、発散する術がない」というところにあります。通常7歳前後の子供というものは、自分の足で思いっきり大地を蹴ったり、自転車を力いっぱい漕いだりして、自身の内から湧き出てくる衝動を発散する事ができます。ところがヘレンの場合、盲、聾という障害の為に、それが出来ないどころか、知る事もできません。
またそればかりか、そうした障害は彼女の「内的な衝動」を間接的にも発散させにくくさせてしまっています。というのも、ヘレンの世界観というものは、障害がある為に外界からの情報が極端に制限されている故、私達よりも非常にぼんやりとした、観念的なもので出来上がってしまっているのです。(彼女の表情が乏しいのはその為です。)ですから、彼女の表現方法も私達のそれとはかけ離れた、極端なものになってしまっています。
例えば、彼女がサリバンの持ってきた人形に興味を示した際、サリバンは彼女の掌に「doll」と綴り、人形を指して頷きました。ヘレンの表現では、頷くというのは「あげる」ということを意味します。そして彼女はサリバンの真似をして「doll」と綴り人形を指さしました。その後、サリバンは人形を手に取りましたが、彼女曰く、もう一度上手にかけたらあげるつもりでいたのです。ところがどういうわけか、ヘレンは人形を取り上げられると思い、急に怒りだしました。これはヘレンの表現の範囲が非常に狭く、彼女の望む範囲の表現以外は全てノーとして捉えられてしまうという性質からきています。もしこれが私達であれば、自身の理解できない表現を見てとった時、「これは何を意味するのだろう」と多少なりとも考えるのでしょうが、彼女には外界の人々の反応を知るすべがあまりにも少ないので、彼女のなりの、かなり限られた表現の中で他人の行動を受け止めていくしかなのです。
こうした事情からサリバンはヘレンを教育するにあたって、「彼女の基質(内的な衝動)を損なわずに、どうやって彼女を訓練し、制御するか」という目的論を獲得していきました。そして辿り着いた方法論というものが、「ゆっくりやりはじめて、彼女の愛情をかちとる」というものでした。これは即ち、ヘレンのこうした極端な表現方法を正しく理解しながらも、人間的な表現や振る舞いといった社会性を教え身につけていってもらう、ということを意味します。そうして社会性を身につけていく中で、サリバンはヘレンが自然と人間的な感情を自身に向けてくれる事を期待しているのでしょう。
またここで注意しなければいけないのは、この時の教育の「主体」というものは、あくまでヘレンにある、ということです。というもの、サリバンは自身の方法論を述べた後、こう付言しています。
力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。
第2文で、あまりにも人間の土台から逸れた行いには力をもって制御するとは言いながらも、サリバンの基本的な指導方針は第1文にもあるように、あくまでもヘレンの側に教育の主体はあります。
よってここでのサリバンの大まかな方針としては、ヘレンの意思を基本的には尊重しつつ、彼女を理解していきながらも、社会性を身につけていく、というものなのです。
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