前回までの手記では、これまでサリバンが持っていた〈ゆっくりと教育していく中で愛情を勝ち取る〉という方法論にどうやら問題があるため、ヘレンの教育は滞っている、という事が書かれていました。そして今回彼女は、ある大きな決断を下す事になるのです。
なんと彼女はヘレンを親元から離し、2人だけで「つたみどりの家」という場所で暮らすことにしました。そしてこの決断はサリバンの内面を考えても大きな 決断であったと言っても過言ではありません。と言いますのも、これまで持っていた方法論を完全になげうって、ヘレンを〈服従させる〉為に「つたみどりの 家」にうつったのですから。彼女曰く、そうする事こそが知識と人間的な精神を勝ち取る為の大きな一歩だというのです。
しかし多くの読者からしますと、ある疑問が浮上してくるのではないでしょうか。それは、何故ヘレンを〈服従させる〉事がそれらに繋がっていくのか、ということです。
ここでひとつ訂正させていただきたいのですが、以前の考察(1887年3月6日の記事)において、私はヘレンが服従を覚える事がサリバンへの愛情(人間的な感情)が芽生える直接的な原因になる、というような書き方をしていたかとは思いますが、それは間違いでした。ではこの問題を解くにあたって、はじめに私たちはどのようにして愛情を、人間的な精神を培っていったのかということを考えなければなりません。
結論から申しますと、私たちはそれらを社会に関わっていく中で培っています。例えば小学生にも満たない年齢の子供達は、自分の知らない他人が近づいてくるとよくお母さんやお父さんの後ろに隠れてしまいますが、あれははじめて対峙する人物にどのようにして関わればよいのかわからないからこその反応でしょう。またちらちらと親の態度を伺いながら、少しずつ関わっていこうという態度を見せる場合もあります。これは、子供達は親とその他人の関係を自分達なりに見極める事によって、他人との関わり方を学んでいっているのです。
事実、私は両親の振る舞いを見ていた為に、幼少の頃、祖父の事が嫌いでした。両親は本人の前では口をつぐんではいたものの、家の中では祖父への愚痴を常々こぼしていました。そして私の方でも、はじめの頃は祖父の事を好いていましたが、徐々に両親と祖父との社会的な関係が見えはじめるにつれて、一緒に遊ぶことをなんとなく断ってみたり、突然避けたりしていたように思います。その中でいつしか私の心の中では、祖父という人物は私の両親を困らせる悪者であるという像が深まっていき、両親と同じく祖父を避け、或いは両親以上に直接的に祖父を嫌っている態度を示していったのです。(もっとも、今思えば少々可哀想な態度をとってしまったとは思いますが。)
ここで注意して頂きたいのが、私の両親の祖父に対する表現というものが、私個人に対する認識に非常に大きく影響していている、ということです。どうやら子供というものは両親をはじめとする周りの人々の振る舞いや態度を見て、それらをはじめは表現をそのまま受けとり、次にその内実(認識)を埋めていっているのです。
そして、サリバンも恐らくは子供のこうした性質を知っていた上で、はじめはヘレンもこうした子供らしい敏感さによって、彼女が自分にどのように働きかけているのかを少しずつ理解していってくれると考えていたのでしょう。ですが、ヘレンがあまりにも社会とかけ離れ、長い間、家族に守られた自分だけの世界に篭っていた為に、そうした能力すらも欠如していたのです。ですからサリバンとしては、一度そうした環境から離し、服従させる事で、強制的に自身の表現を模倣させる必要があったのでした。果たして彼女のこの試みはうまくいくのでしょうか。
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