2013年5月14日火曜日

羅生門ー芥川龍之介

 ある雨の日のこと、主人から暇をだされて行き場をなくしたある下人は、荒廃した羅生門(※1)で雨宿りをしていました。彼はそこで自身の行く末について、盗人になって生き長らえるか、この儘何もせずに死をまつかで悩みあぐねています。そうして右往左往と歩きながら考えていると、老婆が死人の毛をむしり取る光景が目に飛び込んできました。彼女はそれをかつらにして売るつもりなのです。下人はその老婆に憎悪を感じ、成敗しようとします。しかし彼女の言い分を聞いているうちに、どういうわけか彼は盗みを働く「勇気」が内から湧きあがった為に老婆の服を脱がし走り去ってしまうのでした。

 この作品では、〈悪事を憎むあまり、かえって自らも悪事を働いてしまったある男〉が描かれています。

 ここで読者たる皆さんは、「何故悪に対して嫌悪感を感じていた下人は、自らも盗みを働いてしまったのか」という疑問を持つことでしょう。その疑問を晴らすためには、はじめに彼が具体的に何を悩んでいたのか、ということについて考えなければなりません。そもそも彼が悩みあぐねていた内容とは、下記にある理性(対象化された観念)と本能(自由意志)との矛盾にあります。

理性;悪いことをしてまで生きるべきではない。
本能;悪いことはせずに生きたい。

 つまり彼の中での葛藤は、悪い事をするのか否か、ということにあると言えます。(※2)そしてその葛藤の解消のきっかけは下人の行動を見るに、老婆の言い分の中に含まれていたと理解する事ができるのです。その内容が下記にあたります。長いものですが、この作品の根幹を成す台詞ですのであえて注釈には入れませんでした。

「成程な、死人の髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと云うて、太刀帯の陣へ売りに往んだわ。疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料に 買っていたそうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた 事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女 は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」

 老婆は自分の行動に正当性を持たす為に、大きく分けて2つの理由をここで述べています。ひとつ目は悪人は悪事を誰かから受けても仕方のない存在であるということ。そしてもうひとつは生きるために成す悪事は同情するに値し許される、ということです。さて下人はこれを自身のうちでどう聞き入れたのでしょうか。恐らく、前者にも後者にも同意したことでしょう。それ以前は、悪による反発から彼女を斬りつけようとしていたわけですし(※3)、毛をむしり取らなければ死ぬかもしれない老婆に多少の同情をよせて聞いていたわけですから。(※4)また彼女の言い分は、同時に彼の「盗む事は悪である」という論法を打ち砕くのに十分な破壊力を持ち得ていました。最早、悪人たる老婆に悪事を働いたとしても、彼女は相応の対象なのであり、生きるために悪事を働く行為は悪ではないのです。ですから彼は老婆の話を自分に照らしあわせて考えた結果、「では、引剥をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」と言って老婆の服をはがしてしまったのでした。まさに悪人たる老婆の言い分の中にこそ、彼に悪の道を進ませる要因があったのです。

注釈
1・旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹がついたり、金銀の箔がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪の料に売っていたと云う事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲む。盗人が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。

2・選んでいれば、築士の下か、道ばたの土の上で、饑死をするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊した揚句に、やっとこの局所へ逢着した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「盗人になるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。

3・ その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来た。――いや、この老婆に対すると云っては、語弊があるかも知れない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。

4・「己は検非違使の庁の役人などではない。今し方この門の下を通りかかった旅の者だ。だからお前に縄をかけて、どうしようと云うような事はない。ただ、今時分この門の上で、何をして居たのだか、それを己に話しさえすればいいのだ。」

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